詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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(Ⅱ-14)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》6.)死に望んで
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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(Ⅱ-14)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》6.)死に望んで 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10448 |
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中国史・女性論 Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性 目次 §-1 呂后と戚夫人との葛藤 1.)大風の歌と鴻鵠の歌 2.)高祖と戚夫人 3.)呂后のまきかえし 4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着 5.)威夫人の末路 §-2 政権を手中にした呂太后 1.)呂太后の専権 2.)劉氏への迫害と呂氏の専横 3.)無為の政治 §-3 項羽と劉邦の人物評価 1.)家柄・性格の相違 2.)阬殺と「法三章」 3.)漢中放棄と懐王の弑殺 4.)将に将たるの器 5.)劉氏政権の強化と保持 6.)死に望んで |
(Ⅱ-13)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》5.)劉氏政権の強化と保持
2018年4月7日 |
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(Ⅱ-13)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》5.)劉氏政権の強化と保持 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10441 |
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中国史・女性論 Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性 目次 §-1 呂后と戚夫人との葛藤 1.)大風の歌と鴻鵠の歌 2.)高祖と戚夫人 3.)呂后のまきかえし 4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着 5.)威夫人の末路 §-2 政権を手中にした呂太后 1.)呂太后の専権 2.)劉氏への迫害と呂氏の専横 3.)無為の政治 §-3 項羽と劉邦の人物評価 1.)家柄・性格の相違 2.)阬殺と「法三章」 3.)漢中放棄と懐王の弑殺 4.)将に将たるの器 5.)劉氏政権の強化と保持 6.)死に望んで |
(Ⅱ-12)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》4.)将に将たるの器
(Ⅱ-12)中国史
2018年4月6日 |
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中国史・女性論 Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性 目次 §-1 呂后と戚夫人との葛藤 1.)大風の歌と鴻鵠の歌 2.)高祖と戚夫人 3.)呂后のまきかえし 4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着 5.)威夫人の末路 §-2 政権を手中にした呂太后 1.)呂太后の専権 2.)劉氏への迫害と呂氏の専横 3.)無為の政治 §-3 項羽と劉邦の人物評価 1.)家柄・性格の相違 2.)阬殺と「法三章」 3.)漢中放棄と懐王の弑殺 4.)将に将たるの器 5.)劉氏政権の強化と保持 6.)死に望んで |
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(Ⅱ-11)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》3.)漢中放棄と懐王の弑殺
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(Ⅱ-11)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》3.)漢中放棄と懐王の弑殺 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10427 |
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(Ⅱ-11)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》3.)漢中放棄と懐王の弑殺 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10427
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中国史・女性論 Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性 目次 §-1 呂后と戚夫人との葛藤 1.)大風の歌と鴻鵠の歌 2.)高祖と戚夫人 3.)呂后のまきかえし 4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着 5.)威夫人の末路 §-2 政権を手中にした呂太后 1.)呂太后の専権 2.)劉氏への迫害と呂氏の専横 3.)無為の政治 §-3 項羽と劉邦の人物評価 1.)家柄・性格の相違 2.)阬殺と「法三章」 3.)漢中放棄と懐王の弑殺 4.)将に将たるの器 5.)劉氏政権の強化と保持 6.)死に望んで |
Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性
(Ⅱ-8)中国史・女性論 |
§-3 項羽と劉邦の人物評価 |
3.)漢中放棄と懐王の弑殺 |
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3) 漢中放棄と懐王の拭殺
項羽の第二の不明は、劉邦を漢王として四川省の巴・筍と陝西省南部の漢中に 封じこめ、みずからは関内を去って彰城に遷都したことである。項羽が彰城にひきあげると、劉邦はたちまち漠中から礫陽に出て関内一円をその手中におさめ、やがてここを戦力の基盤としたのであった。関中が当時天下に覇をとなえようとする者にとって、いかにふさわしいものであったかは、このとき劉邦に進言した斉の儒生の婁敬(劉敬)の、つぎのようなことばが、よく語っている。
関中は四方山河にかこまれた天然の要衝であって、また人的資源や食糧物資にもめぐまれ
ているから、ここに都すれば、山東の地区が乱れることがあっても秦の故地は確保しうる。
そして関中に入って秦の旧領をおさえれば、天下を完全に手中にすることができましょう。
(『史記』巻九九、「劉敬伝」)
と。こうして劉邦は、婁敬の進言と、張良もまた関中に都せんことを勧めたので、両者の言に
したがって、秦の成陽に近い長安に国都を莫めたが、ここにも故郷に錦を飾ろうとする素朴な
感傷から、みずからの手で焼毀した威陽の荒廃さを見かぎって、彰城に本拠を移した項羽と
の好対照がみられるように思う。
項羽の第三の不明は、義帝懐王を彰城から長沙に追放したのち、途上これを江南で拭殺した
ことであるが、これはもっとも大きい誤りであった。というのは、漢王劉邦が項羽に対して挙
兵するのに、願ってもない大義名分を与えたからである。この辺にも感情におぼれて、あさ
はかに行動する項羽の思慮の浅さと、年の若さとが、うかがわれる。
漢王劉邦は項羽を討伐するにあたって、項羽の十大罪悪をかぞえるが、その一に、かつて懐王(義帝) が諸将に約した 「先に入って関中を平定する者がこれに主たるべし」との誓約にそむいて、自分を筍漢に移封した不信・違約をあげ、その九および十に義帝を追放し舐虐した大逆無道を非難している。
(Ⅱ-10)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》2.)阬殺と「法三章」
2018年4月4日 |
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(Ⅱ-9)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》1.)家柄・性格の相違
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(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治
2018年4月2日 |
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(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10399 |
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中国史・女性論 Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性 目次 §-1 呂后と戚夫人との葛藤 1.)大風の歌と鴻鵠の歌 2.)高祖と戚夫人 3.)呂后のまきかえし 4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着 5.)威夫人の末路 §-2 政権を手中にした呂太后 1.)呂太后の専権 2.)劉氏への迫害と呂氏の専横 3.)無為の政治 §-3 項羽と劉邦の人物評価 1.)家柄・性格の相違 2.)阬殺と「法三章」 3.)漢中放棄と懐王の弑殺 4.)将に将たるの器 5.)劉氏政権の強化と保持 6.)死に望んで
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Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性
(Ⅱ-8)中国史・女性論 |
§-2 政権を手中にした呂太后 |
3.)無為の政治 |
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3.)無為の政治
劉氏一族に対する迫害ばかりではない、高祖以来の諸功臣・大臣らに対しても呂后の強圧はいよいよ烈しく、陰湿な呂后の専制下で、彼らが保身するためには、張良か陸賈のように隠遁するか、病にかこつけて職を退くか、あるいは丞相の曹参のように、道家的無為の政術に身をゆだねるか、あるいはまた陳平のように放蕩にみせかけて卑屈な保身をはかるか、のいずれかしか方法がなかった。
陳平については『史記』の「陳丞相世家」をみれば、かれが高祖の死後、呂太后の専制下で、保身のために、いかに卑屈にふるまったかが知られる。そのようなかれの行動を『史記』の「陸賈伝」 には
右丞相の陳平は、これを(呂氏の勢力増大を)憂うるも、争う力もなく、禍がおのれに
及ぶことをおそれて、つねに家にじっとして深く考えこんで(燕屠深念)いた。
といい、また、かつて呂太后が呂氏一族を王として封建することに反対した右丞相王陵が、太后に賛成した陳平らを難じたとき、かれは
朝廷で面とむかって論争することは君にはかなわないが、国家の命運を全うして高祖の後を安泰にすることでは、君は私にはかなうまい。
と答えている。はたして呂太后の死後、呂氏の勢力を打倒して政権を劉氏の手にとりかえしたのは陳平や周勃らの力であった。
このように呂太后の専権下では、大臣・功臣たちといえども、それぞれに精いっぱいの保身を考えねばならないというのは、陰湿で重苦しい政情であり、暗黒政治の時代であったことがわかる。
建国後、まだ十数年しか経過していない漢王朝にとっては、まことに困難な情況であったといわざるをえない。ただーつの救いは「呂后本紀」の賛で司馬遷が、
孝恵皇帝二局后(呂后)時代は、庶民は戦国および秦末の苦しみから解放され、君臣ともに無為の政治の下で休息したいと欲していた。それゆ、恵帝は、あたらしく事をおこさず、高后は女君として権勢をとったが、後宮を出ないままで政治をとったので、天下は安泰であった。刑罰は用いることまれに、罪人も稀少で、民は農務にはげみ、生活はようやく豊かになった。
というように、民の休息を求める強い願望によって、呂太后および呂氏の専権も、漢室内だけのことにかぎられたので、大した反乱もおこらず、その害が民生にあまり波及せず、国内は平和に、庶民は安らかに生活を楽しんだといわれる。
(Ⅱ-7)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》2.)劉氏への迫害と呂氏の専横
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雜詩九首其五 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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中国史・女性論 Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性 目次 §-1 呂后と戚夫人との葛藤 1.)大風の歌と鴻鵠の歌 2.)高祖と戚夫人 3.)呂后のまきかえし 4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着 5.)威夫人の末路 §-2 政権を手中にした呂太后 1.)呂太后の専権 2.)劉氏への迫害と呂氏の専横 3.)無為の政治 §-3 項羽と劉邦の人物評価 1.)家柄・性格の相違 2.)阬殺と「法三章」 3.)漢中放棄と懐王の弑殺 4.)将に将たるの器 5.)劉氏政権の強化と保持 6.)死に望んで
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Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性
§-2 政権を手中にした呂太后
1.)呂太后の専権
高祖の死後、前節でもふれたように、呂太后はライバルの戚夫人を惨殺し、趙王の如意を毒殺して、わが子の皇太子盈を帝位に即け、みずからは、その背後で皇太后として権勢をほしいままにした。いや、もともと呂后の専権は、すでに高祖の最晩年のころから馴致されていたようで、『史記』 の「廬綰伝」には
さきの年〔漢十一年〕春には、漢室は准陰侯韓信を誅し、夏には彭越を誅したが、それはみな呂后の計であった。いま上(高祖)が病んで呂后に政事を任せている。呂后は婦人の身ながら、専ら事によって劉氏以外の異姓の王および大功ある臣下を誅殺しようとしている云云。
という。廬綰の多少のひがみはあろうが、呂后が高祖の死後、わが子孝恵帝の地位をすこしでも安泰にとの軽慮から、高祖の死を発表せず、諸将をことごとく族滅しようとさえしたことなどからみて、虚弱で内気な孝恵帝の行末をおもえば、劉氏以外の異姓の諸王や反骨的な功臣たちを除きたくなる心情はわからなくはない。
呂后のこのような傾向は、孝恵帝が即位し、太后としてかの女が政権をにぎると、いよいよ高じて、ついには手がつけられなくなった。
『史記』はそのためか、「高祖本紀」についで「呂后本紀」を立て、そのなかに孝恵帝の治世七年と、さらに少帝の恭および弘の八年をも一括して、都合十五年間を組み入れている。それは、司馬遷が政権の実際の掌握者を呂太后と考えたからであろう。ところが班固は『漢書』において、大義名分を正す上から「恵帝紀」を立てている(「漢書と史記」参照)。
孝恵帝の母后として実権をにぎった呂太后が、第一に企てたのは、孝恵帝の庶兄にあたる斉王肥に対して、孝恵帝が「家人の礼」にしたがって下座したのをみて、同席していた呂太后は、孝恵帝の君主としての地位を案じるあまり、斉王肥を毒殺しようとしたことである。これに気づいた斉王が、所領の城陽一郡を、呂太后の女の魯元公主に献じると、たちまち喜んで斉王の邸に酒宴を開くなど、被害妄想による、呂太后のヒステリックな心境がよくわかるであろう。