忍者ブログ

中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10399

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10399

(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治

 

201842

の紀頌之"6"つの校注Blog

【字解集】B》.

釋言§6-2〔#15

紀頌之"6"つのBlog

臨江仙二首其一

5-1雜詩九首其五

3.)無為の政治

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

201842

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

748年-B《【字解集】B》4王三首 7.廬江主人婦 8.敘舊贈江陽 ....

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年-09元和二年40歳《釋言§6-2》〔#15〕 807年-09元和二年...

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

2018年4月2日の紀頌之"6"つの校注Blog

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (409)回目《孫光憲巻八17臨江仙二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10432 (04/02)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉臺 巻四巻4•3-1-5-1雜詩九首其五 夢還詩 3.鮑照   Ⅴ漢文...

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10399

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

(Ⅱ-8)中国史・女性論 《§-2 政権を手中にした呂太后》3.)無為の政治 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10399

 

 

 

 

 

中国史・女性論

 

 

 

中国史・女性論

Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性    目次

§-1 呂后と戚夫人との葛藤      

1.)大風の歌と鴻鵠の歌

2.)高祖と戚夫人

3.)呂后のまきかえし

4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着

5.)威夫人の末路       

             

§-2 政権を手中にした呂太后

1.)呂太后の専権

2.)劉氏への迫害と呂氏の専横

3.)無為の政治          

             

§-3 項羽と劉邦の人物評価      

1.)家柄・性格の相違

2.)阬殺と「法三章」

3.)漢中放棄と懐王の弑殺

4.)将に将たるの器

5.)劉氏政権の強化と保持

6.)死に望んで          

 

 

Ⅱ 漢の高祖をめぐる二人の女性

 

 

(Ⅱ-8)中国史・女性論

§-2 政権を手中にした呂太后

3.)無為の政治

 

 

3.)無為の政治

 劉氏一族に対する迫害ばかりではない、高祖以来の諸功臣・大臣らに対しても呂后の強圧はいよいよ烈しく、陰湿な呂后の専制下で、彼らが保身するためには、張良か陸賈のように隠遁するか、病にかこつけて職を退くか、あるいは丞相の曹参のように、道家的無為の政術に身をゆだねるか、あるいはまた陳平のように放蕩にみせかけて卑屈な保身をはかるか、のいずれかしか方法がなかった。

陳平については『史記』の「陳丞相世家」をみれば、かれが高祖の死後、呂太后の専制下で、保身のために、いかに卑屈にふるまったかが知られる。そのようなかれの行動を『史記』の「陸賈伝」 には

右丞相の陳平は、これを(呂氏の勢力増大を)憂うるも、争う力もなく、禍がおのれに

及ぶことをおそれて、つねに家にじっとして深く考えこんで(燕屠深念)いた。

といい、また、かつて呂太后が呂氏一族を王として封建することに反対した右丞相王陵が、太后に賛成した陳平らを難じたとき、かれは

朝廷で面とむかって論争することは君にはかなわないが、国家の命運を全うして高祖の後を安泰にすることでは、君は私にはかなうまい。

と答えている。はたして呂太后の死後、呂氏の勢力を打倒して政権を劉氏の手にとりかえしたのは陳平や周勃らの力であった。

このように呂太后の専権下では、大臣・功臣たちといえども、それぞれに精いっぱいの保身を考えねばならないというのは、陰湿で重苦しい政情であり、暗黒政治の時代であったことがわかる。

 建国後、まだ十数年しか経過していない漢王朝にとっては、まことに困難な情況であったといわざるをえない。ただーつの救いは「呂后本紀」の賛で司馬遷が、

孝恵皇帝二局后(呂后)時代は、庶民は戦国および秦末の苦しみから解放され、君臣ともに無為の政治の下で休息したいと欲していた。それゆ、恵帝は、あたらしく事をおこさず、高后は女君として権勢をとったが、後宮を出ないままで政治をとったので、天下は安泰であった。刑罰は用いることまれに、罪人も稀少で、民は農務にはげみ、生活はようやく豊かになった。

というように、民の休息を求める強い願望によって、呂太后および呂氏の専権も、漢室内だけのことにかぎられたので、大した反乱もおこらず、その害が民生にあまり波及せず、国内は平和に、庶民は安らかに生活を楽しんだといわれる。

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

P R