詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》
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2017年11月15日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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753年 s-76擬古,十二首之十二(巻二四(二)一三八五) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9468 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 LiveDoor |
806年-178 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 6 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9469 |
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Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
767年-151 秋野五首 其五卷二〇(四)(頁一七三五)注(1168) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9428 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉-巻三-09 為顧彥先贈婦二首其二 #2(東南有思婦) 〔陸 雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9465 |
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Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
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八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9487
(南の国から妃賓となったものの春が来ることを抒情的にうたい、誰も来ない春の日をだれにも話すことは難しいと詠う。)
まだ少し寒い裏庭に越の国の梅の花が咲かせている、その梅の枝を少し折り取って飾る、桶には冰が清らかに張っているが、花籠の陰の水は藍色に映る。
日が昇り暖かくなると杏の梢の花が色鮮やかにてらされて、そこに柳の枝が風に揺られ、そこに、強い風が吹くと狂ったように揺れる。
階はしずかなもので、しなやかな莎草の小路は緑にあふれ、遠く故郷の夢を見るだけで惜しいと思うことに耐えている。
くやしさ、うらみから逃れる春が又来る、あのお方のことを思い、あの人のことをかさねて話すことはもう難しい。
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薛濤詩 |
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79. 上王尚書
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
80. 段相國游武擔寺病不能從題寄
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
81. 贈段校書
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。
82. 題武擔寺西臺
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
今日登臨意,多歡語笑同。
83. 和段相公登武擔寺西臺
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
九層連晝景,萬象寫秋空。
天半將身到,江長與海通。
提攜出塵土,曾是穆清風。
84. 酬文使君
延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。
85. 酬李校書
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
86. 酬雍秀才貽巴峽圖
千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊吳。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。
87. 贈蘇十三中丞
洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。
今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。
88. 酬楊供奉法師見招
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。
八、2.87 薛濤 《贈蘇十三中丞 》
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2017年11月14日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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花間集 訳注解説 (294)回目和凝巻六18菩薩蠻一首 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9478 (11/14) |
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玉-巻三-09 為顧彥先贈婦二首其二 #2(東南有思婦) 〔陸 雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9465 |
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八、2.87 薛濤 《贈蘇十三中丞 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9480
(蘇辯十三中丞さまにこの詩を贈ります。)
後漢の時代に、地方官の心のゆるみをひきしめるために派遣されました張嗣が、「中央の執政者がよくない行為をしているのにくらぶれば、地方の小官の乱れなどは些細なことである。むしろ問題は中央の宰相の行為にあるんだ」といって、地方出張のためにあたえられた車を、都の郊外で埋めて、出かけなかったというような気概のあるものでしたが、あなたさまは、御史臺の長官できっとそのようなお方だと思っております。またたとえたならば、秋峯を高く飛んでいるはやぶさのように、役所に巣食う悪者どもを射落としてもらいたいものです。
天子さまの新しい印肉の勅命で悪い者どもを成敗されるという、どうかわるい人の恐れるようなきびしいご態度で、あらゆる方面におのぞまれることと、心からご期待申しあげております。
八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》
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2017年11月13日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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花間集 訳注解説 (293)回目和凝巻六17臨江仙二首其二 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9471 (11/13) |
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八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9473
(雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。
雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。
八、2.85 薛濤 《酬李校書 》
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2017年11月12日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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767年-148 秋野五首其二(卷二〇(四)頁一七三二)注(1165) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9407 |
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花間集 訳注解説 (292)回目和凝巻六16臨江仙二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9464 (11/12) |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉-巻三-08 為顧彥先贈婦二首其一 #2(辭家遠行遊) 〔陸 機〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9451 |
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Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
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八、2.85 薛濤 《酬李校書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9466
(李校書さまから贈られた詩にお返しの詩を作りました。)
すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。
さて、あなたさまもご自分のこと振り返ってみて、賓客を支えるには、これからはいろんな病気が心配でなりません、あの青室の雲の上を群をぬいて飛んでいる鳥を仰ぎ見るように、ご出世になったあなたさまを仰ぎみることでございましょう。
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薛濤詩 |
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八、2.84 薛濤 《酬文使君 》
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2017年11月11日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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731年 s-73擬古,十二首之七(巻二四(二)一三七八) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9447 |
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Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
767年-148 秋野五首其二(卷二〇(四)頁一七三二)注(1165) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9407 |
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花間集 訳注解説 (291)回目和凝巻六15小重山二首其二 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9457 (11/11) |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉-巻三-08 為顧彥先贈婦二首其一 #2(辭家遠行遊) 〔陸 機〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9451 |
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八、2.84 薛濤 《酬文使君 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9459
(文使君さまにこの詩をお贈りいたします)
延英殿で、唐朝廷の新任の御礼をもって拝謁されます。長官として五頭立ての馬で移動され、八街九陌におこる塵もはなやかに舞いあがっていることでしょう。
今日は、ここ四川成都のお邸での宴席で、晋の謝庭の故事のように、白雪をどんなふうに詠いあげるのか、巴蜀の田舎の歌なのか、それでもまた、誰もが一緒に歌えない宋玉の「陽春白雪」のような高尚な曲にはなっていないことでしょう。
八、2.84 薛濤 《酬文使君》
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2017年11月10日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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757年 s-72擬古,十二首之七(巻二四(二)一三七八) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9440 |
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806年-174 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9378 |
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767年-147 秋野五首其一(卷二〇(四)頁一七三二)注(1164) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9400 |
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花間集 訳注解説 (290)回目和凝巻六14小重山二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9450 (11/10) |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉-巻三-08 為顧彥先贈婦二首其一 #1(辭家遠行遊) 〔陸 機〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9444 |
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八、2.84 薛濤 《酬文使君》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9452
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ
八、2.83 薛濤 《送扶煉師 》
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2017年11月9日 |
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757年 s-71擬古,十二首之六(巻二四(二)一三七七) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9433 |
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806年-173 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9371 |
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767年-146 峽隘(卷一九(四)一七二六)注(1160) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9265 |
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花間集 訳注解説 (289)回目 歐陽烱 巻六 《鳳樓春鳳》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9443 (11/09) |
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八、2.83 薛濤 《送扶煉師 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9452
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ
八、2.81 薛濤 《贈段校書 》
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2017年11月7日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9419 |
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806年-集21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句 b. 贈劍客李園聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9364 |
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Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
806年-集21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句 b. 贈劍客李園聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9364 |
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花間集 訳注解説 (287) 回目 歐陽烱 巻六 《賀明朝二首其二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9429 (11/07) |
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玉-巻三-06 擬古七首其六( 擬庭中有奇) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9423 |
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八、2.81 薛濤 《贈段校書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9438
(段校書さまにこの詩を贈る。)
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。
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薛濤詩 |
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八、2.80 薛濤 《段相國游武擔寺病不能從題寄 》
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2017年11月6日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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730年 s-68擬古,十二首之二(巻二四(二)一三七四) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9412 |
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806年-172 補遺-22贈劍客李園聯句【案:韓愈、孟郊】 -#3 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9357 |
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767年-143 秋清(卷一九(四)一七二四)注(1157) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9372 |
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花間集 訳注解説 (286)回目 歐陽烱 巻六 賀明朝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9422 (11/06) |
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玉-巻二其五 擬古七首其五( 擬青青河畔) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9416 |
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(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)
病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。
わたくしの心は、「まだまだ若さを持っております」といってはおりますが、年は隠せず飛蓬のように枯れた感じがしております。お供して、石鏡に自分の姿がうつると、はずかしくて、おともできなかったわけでございます。
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薛濤詩 |
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79. 上王尚書
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
80. 段相國游武擔寺病不能從題寄
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
81. 贈段校書
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。
82. 題武擔寺西臺
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
今日登臨意,多歡語笑同。
83. 和段相公登武擔寺西臺
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
九層連晝景,萬象寫秋空。
天半將身到,江長與海通。
提攜出塵土,曾是穆清風。
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薛濤 80 《段相國游武擔寺病不能從題寄》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9431 |
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段相國游武擔寺病不能從題寄
(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
わたくしの心は、「まだまだ若さを持っております」といってはおりますが、年は隠せず飛蓬のように枯れた感じがしております。お供して、石鏡に自分の姿がうつると、はずかしくて、おともできなかったわけでございます。
(段相國 武擔寺に游ぶ、病みて從うに能わず題して寄す)
消瘦【しょうそう】翻【かえ】って令公を見えるに堪【たえ】んや,落花 那【いか】んともする無し東風を恨む。
儂【わ】が心には猶お青春在りと道【い】う,飛蓬【ひほう】を石鏡の中に看るを羞じる。
段文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。
段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒赠太尉。子段成式,為太常少卿。
段校書は、後に二度も剣南西川節度使として、成郡に赴任し「新唐書」によれは、に景初のあざな段文昌といい、もあり、剰州の生まれ。さっぱりした人物で、賄が嫌いで、刑南節度使の襲胃に愛されたが、やがて成都に出て彼はあざなを墨卿といい、別義侠な男、こせこせとしたこと、ここでもまた節度使の尊卑に醇清が死んだとき、彼女のために墓誌を書いてやった段文昌であろう。めに墓誌を書いた。
かわいがられ、韋皐は彼を中央政府に願って校苦邸とした。そして順宗の805年永貞元年に、韋皐が蜀で死に、807年元和二年に、李書簡が宰相となると、彼は抜擢されて登封(河南省にある)の尉になった。したがってこの作は、その前のことであるから、彼女の三十五歳から四十歳までの間のことであろう。段は彼女よりおそらく若干年下であった
八、2.79 薛濤 《上王尚書 》
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2017年11月5日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.79 薛濤 《上王尚書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9424
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。