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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9473

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八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9473

八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》

 

20171113

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9473

 (雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)

かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。

雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。



 

 

 

薛濤詩 

 

 

79. 上王尚書

碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。

手持云篆題新榜,十萬人家春日長。

 

80. 段相國游武擔寺病不能從題寄

消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。

儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。 

 

81.  贈段校書

公子翩翩校書,玉弓金勒紫綃裾。

玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。

 

82.  題武擔寺西臺

秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。

水暗餘霞外,山明落照中。

鳥行看漸遠,松韻聽難窮。

今日登臨意,多歡語笑同。

 

83.  和段相公登武擔寺西臺

開閣錦城中,餘閑訪梵宮。

九層連晝景,萬象寫秋空。

天半將身到,江長與海通。

提攜出塵土,曾是穆清風。

 

84.  酬文使君

延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。

 

85. 酬李校書

才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。

自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。

 

86. 酬雍秀才貽巴峽圖

千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊

感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。

 

 

 

 薛濤 86 《酬雍秀才貽巴峽圖》

 

 

訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9473

 

 

 

84

酬李校書
(李校書さまから贈られた詩にお返しの詩を作りました。)
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。
自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
さて、あなたさまもご自分のこと振り返ってみて、賓客を支えるには、これからはいろんな病気が心配でなりません、あの青室の雲の上を群をぬいて飛んでいる鳥を仰ぎ見るように、ご出世になったあなたさまを仰ぎみることでございましょう。

李校書に酬ゆ
才は象外に游び 身は雖【こ】れ遠く,學は區中に茂【ひい】いで 事 聞し易し。
自ら顧うに 漳濱【しょうひん】多病の後,空しく逸翮【いつかく】青云に舞うを瞻ん。 

 

酬雍秀才貽巴峽圖
(雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊
かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。
雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。

(雍秀才の巴峽の圖を貽【のこ】せしに酬る)

千疊 云峰 萬頃【ばんけい】の湖,白波 分去して荊を繞る。

君 我が枕流【ちんりゅう】の意を識すを感じ,重ねて示す 瞿塘峽 口の圖を。

 

 

『酬雍秀才貽巴峽圖』 現代語訳と訳註
(本文)

86. 酬雍秀才貽巴峽圖

千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊

感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。

 

(下し文)
(雍秀才に酬ゆるに、巴峽の圖を貽る)

雍秀才の巴峽の圖を貽【のこ】せしに酬る

千疊 云峰 萬頃【ばんけい】の湖,白波 分去して荊を繞る。

君 我が枕流【ちんりゅう】の意を識すを感じ,重ねて示す 瞿塘峽 口の圖を。

 

(現代語訳)

 (雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)

かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。

雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。

(訳注)

酬雍秀才貽巴峽圖
1. (雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
2. ・雍秀才 詩人蕹陶の若きころ。蜀の生まれで大和三年(薛濤六十二歳のとき)に南詔が入寇した直後のありさまを詠じた詩を遺している。ここに言う巴峡、三峡、瞿塘峡の画と詩は必ずしも薛濤に向けて書いたものではなく見せてもらったというところ、お返しの詩を作った。「贈」ではなく、残す意味の「貽」をつかっている。

3. ・貽 (1) 贈る.(2) 残す患災いの種をまく.

4. ・秀才 地方試験に及第した者の称。彼はこれから推薦を得て中央試験をうけようとしている人である。

薛濤『酬祝十三秀才』

浩思藍山玉彩寒,冰囊敲碎楚金盤。

詩家利器馳聲久,何用春闈榜下看。

5. ・巴峡 渝州(重慶)を過ぎたあたりを、巴峡と呼び、三峡の内には入れない。それより150km下流に三峡がある。巴山巴峡には雨がよくふる。


千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊
かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。

5. ・萬頃湖 一頃は百畝。すばらしい広さの湖といういみで、洞庭湖を指す。

6. ・荊呉 荊は今の湖北・湖南・広西・貴州地方。九州の一。ここでは湖北・紺南を主として据す。呉は趙江の下流域の江蘇地方。


感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。
雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。
7. ・枕流意 中国西晋せいしんの孫楚そんそは「石に枕し流れに漱くちすすぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事から。そこから、自分の失敗を認めず、屁理屈へりくつを並べて言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。▽「石に漱くちすすぎ流れに枕する」と常用され、夏目漱石の雅号「漱石」の由来として有名。「枕流漱石ちんりゅうそうせき」ともいう。
ここでは隠棲したいことを示すのであるが耳を洗う許由の故事を云う。《「史記正義」伯夷伝・註から。中国の伝説上の人物許由が、天子の堯から帝位を譲ろうと言われて、汚れたことを聞いたと耳を洗ったという故事から》汚れたことを聞いたので、その耳を流れで洗い清める。俗事にかかわりなく暮らすことのたとえ。潁水(えいすい)に耳を洗う。
8.
 ・瞿塘峡 瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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