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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9487

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八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9487

八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》

 

20171115

の紀頌之"6"つの校注Blog

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9487

(南の国から妃賓となったものの春が来ることを抒情的にうたい、誰も来ない春の日をだれにも話すことは難しいと詠う。)

まだ少し寒い裏庭に越の国の梅の花が咲かせている、その梅の枝を少し折り取って飾る、桶には冰が清らかに張っているが、花籠の陰の水は藍色に映る。

日が昇り暖かくなると杏の梢の花が色鮮やかにてらされて、そこに柳の枝が風に揺られ、そこに、強い風が吹くと狂ったように揺れる。

階はしずかなもので、しなやかな莎草の小路は緑にあふれ、遠く故郷の夢を見るだけで惜しいと思うことに耐えている。

くやしさ、うらみから逃れる春が又来る、あのお方のことを思い、あの人のことをかさねて話すことはもう難しい。

 

 

 

 

薛濤詩 

 

 

79. 上王尚書

碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。

手持云篆題新榜,十萬人家春日長。

 

80. 段相國游武擔寺病不能從題寄

消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。

儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。 

 

81.  贈段校書

公子翩翩校書,玉弓金勒紫綃裾。

玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。

 

82.  題武擔寺西臺

秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。

水暗餘霞外,山明落照中。

鳥行看漸遠,松韻聽難窮。

今日登臨意,多歡語笑同。

 

83.  和段相公登武擔寺西臺

開閣錦城中,餘閑訪梵宮。

九層連晝景,萬象寫秋空。

天半將身到,江長與海通。

提攜出塵土,曾是穆清風。

 

84.  酬文使君

延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。

 

85. 酬李校書

才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。

自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。

 

86. 酬雍秀才貽巴峽圖

千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊

感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。

 

87. 贈蘇十三中丞

洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。

今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。

 

88. 酬楊供奉法師見招

遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 

不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 




 

 

 薛濤 87 《贈蘇十三中丞》

 

 

訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9480

 

  


85

酬李校書
(李校書さまから贈られた詩にお返しの詩を作りました。)
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。
自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
さて、あなたさまもご自分のこと振り返ってみて、賓客を支えるには、これからはいろんな病気が心配でなりません、あの青室の雲の上を群をぬいて飛んでいる鳥を仰ぎ見るように、ご出世になったあなたさまを仰ぎみることでございましょう。

李校書に酬ゆ
才は象外に游び 身は雖【こ】れ遠く,學は區中に茂【ひい】いで 事 聞し易し。
自ら顧うに 漳濱【しょうひん】多病の後,空しく逸翮【いつかく】青云に舞うを瞻ん。 

86

酬雍秀才貽巴峽圖
(雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊

かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。

雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。

(雍秀才の巴峽の圖を貽【のこ】せしに酬る)

千疊 云峰 萬頃【ばんけい】の湖,白波 分去して荊を繞る。

君 我が枕流【ちんりゅう】の意を識すを感じ,重ねて示す 瞿塘峽 口の圖を。

87

贈蘇十三中丞
(蘇辯十三中丞さまにこの詩を贈ります。)

洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。

後漢の時代に、地方官の心のゆるみをひきしめるために派遣されました張嗣が、「中央の執政者がよくない行為をしているのにくらぶれば、地方の小官の乱れなどは些細なことである。むしろ問題は中央の宰相の行為にあるんだ」といって、地方出張のためにあたえられた車を、都の郊外で埋めて、出かけなかったというような気概のあるものでしたが、あなたさまは、御史臺の長官できっとそのようなお方だと思っております。またたとえたならば、秋峯を高く飛んでいるはやぶさのように、役所に巣食う悪者どもを射落としてもらいたいものです。
今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。
天子さまの新しい印肉の勅命で悪い者どもを成敗されるという、どうかわるい人の恐れるようなきびしいご態度で、あらゆる方面におのぞまれることと、心からご期待申しあげております。


(蘇十三中丞に贈る)
洛陽 陌上【はくじょう】 埋輪【まいりん】の氣,秋空を逐うて隼の飛ぶを擊たんと欲す。
今日 芝泥【しでい】 征詔【せいしょう】に檢し,別に台外に霜威【そうい】を振わんことを須【ま】つのみ。

 88

酬楊供奉法師見招

(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 

遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 

後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。

(楊供奉法師の「招かる」を見ゆ に酬ゆ)

遠水 長流 潔くして復た清く,雪窗 高臥して 雲と平かなり。 

袁室 煙火 無きを嫌わず,惟だ商山 姓名有るを笑う。


『酬楊供奉法師見招』 現代語訳と訳註
(
本文)
酬楊供奉法師見招

遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 

不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 


(下し文)
(楊供奉法師の「招かる」を見ゆ に酬ゆ)

遠水 長流 潔くして復た清く,雪窗 高臥して 雲と平かなり。

袁室 煙火 無きを嫌わず,惟だ商山 姓名有るを笑う。


(現代語訳)
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)

遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。

後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。


(訳注)

酬楊供奉法師見招

1. (山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
2. ・供奉 官名。唐の時代に、文芸や技芸にすぐれた者を宮中へ奉仕させた。僧や道士なども宮中にあがって経典の講義・法話をしたりした。(13)においてもみえる。

宣上人見示與諸公唱和 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-148-20-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2287

3. ・見招 見るを受身によむ。この二字が楊法師の原作の題。供奉官として都へよばれたので、その感想を記した詩を昏清に贈ったものと思われる。


遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 

遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。

4. ・雪窗 雪は清らかな意と、山上の書斎の窓であることとから加えた修飾語。

5. ・高臥 世を避け、山に隠れなどして、自由な生活をすること。「晋蓄」の謝安伝に「東山に高臥す」という語が見えている。


不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 

後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。

6. ・袁室 後漢の袁閎が、朋党の争いが起こると、それに抱きこまれたくないので、土室を築いて入口をつくらず、窓から食物を入れてもらい、妻子とも顔をあわせず、十八年にわたって、経をつ誦えづけたという故事がある。

7. ・煙火 ご飯を焚く煙。

8. ・商山は陝西省の商県の東にある山の名。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以飢。皇虞邈,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。ところが、有名なりつばな人物たちであったので、漢の高祖は、招こうとしたが、四人ともことわった。後に高祖が太子を廃して趙王の如意を立てようとしたとき、母の呂后は、張良の計にょって、厚く礼してこの四人を招き、太子の相談役として、太子といっしょに高祖に会わせたので、高祖は、自分がよんだときには山をおりてこなかった四人が、太子のためにはきたのかと驚き、「羽翼すでに成る」(もうりつばに天子になる準備資格ができているな)といって、廃立をあきらめたという。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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