詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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不定期論文 《唐 女性と文学 2. 薛濤と娼妓詩人 》
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2017年11月29日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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不定期論文 《唐 女性と文学 2. 薛濤と娼妓詩人 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9613
2. 薛濤と娼妓詩人
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唐代の女性において詩詞の世界で最高の成果をあげたのは、ほかでもなく社会的地位が最も低い娼妓であった。これはなぜなのか。詩詞を作る上で最も忌むべきは、心が束縛されることである。その点、娼妓こそが礼法の束縛を何ら受けないですんだ。文学には豊富な生活休験が必要だが、その点、彼女たちこそ広汎な社交と多面的な社会生活を送っていた。文学を支える柱は感情にあるが、彼女たちの経歴や境遇は、一般の女性に比べて人生に対する遥かに多くの感慨や複雑多様な心情をはぐくんでいた。文学には修養が必要であるが、ただ彼女たちだけが充分な時間を持ち、また生きる必要から発して詩書、筆墨に全力を投じることができ、同時にまた文人墨客との交際から深い影響を受けることができた。以上の諸々の原因によって、披女たちは社会の最下屑に生活しながら、文学の殿堂ではかえって最高位に登りつめることができたのである。
彼女たちの中で、最も著名であり、最も傑出した詩人は薛濤である。「薩校書」(校書は、秘書官である校書郎)の美名と、彼女が考案した小幅の詩境「蔀濤隻」にまつわる話は、千年もの長きにわたって人々に伝わった佳話である。成都に今ある望江楼公園には、この昔の著名な才女のものといわれる遺跡が少なからずあり、披女を仰ぎ慕う後世の人々が往時をしのぶ所として残されている。
薛濤、字は洪度、中唐の詩人。彼女はもともと長安の官僚の娘であった。子供の時から驚くほど聡明であり、才智溢れる子だったという。ある時、父が桐の木を指して詩の最初の二句を吟じた。
「庭除(庭の階段)の一古桐、聳ゆる幹は雲中に入る」と。すると彼女はすぐに応じて「枝は迎う 南北の鳥、葉は送る 往来の風」と続けたので、父は驚きいぶかった。後、父が蜀(四川)に任官するのに随いて行ったが、父が死ぬと寄る辺なき孤独の身となった。しかし、詩名は遠方にまで伝わったので、身は楽籍(楽戸の戸籍)に落ちたが、蜀で有名な詩妓となった。彼女はいつも節度使やその賓客たちと同席し、彼らと酒を飲み詩をつくり、詩の応酬をし、冗談を言い合った。彼女の詩は泉の如く湧き、文才は群を抜いていたばかりでなく、応対は敏捷で警句が次々と。ロをついて出た。当時、一群の文人名士たちが争って彼女との詩歌のやりとりを求めてやって来、披女に熱中した。著名な才子元狽、白居易、張結、令狐楚、劉瓜錫、牛僧儒らは、いずれも彼女と詩詞の応酬があり、薛濤の才能をたいへん称讃した。かつて彼女と長年にわたって愛人関係にあった元袱は、詩を作って披女を誉め讃えた。「錦江(成都平原の川)滑脈にして峨眉(四川にある中国四大名山の一)秀で、幻出す文君(卓文君)と蔀濤とを。言語 巧みに倫む鸚鶏の舌、文章 分かち得たり鳳皇の毛」(「蔀濤に寄贈す」)と。
節度使の章皐は彼女の文才が堂々たる士大夫にもひけをとらないので、朝廷に上奏して披女に「校書郎」の官名を賜るよう願った。上奏は許可されなかったものの、「校書」の名はずっと伝えられて、ついに後世娼妓の雅称となった。
世に抜きんでたこの才女は、宴席での接待、花柳界での生活でその半生を過ごし、多くの才子名士と交わった。しかし、身分は卑賤であり、真の理解者に会えず、晩年は落ちぶれて見る彭もなく、孤独のうちに死んでいった。披女は晩年、女道士の服装をし、成都の涜花渓の傍に往み、終日詩を吟じ修行を続けた。結局、「一杯の浄土もて風流(色恋ざた)を掩う」ということになった。残された詩詞は百余首にとどまるが、詩名は千年の後にまで称えられ伝えられることとなった。藤濤は畢生
の心血と才智とをもって、中国女性文学史上に輝かしい了貝を飾ったのである。
披女の作晶の中で最も広く知られている「春望詞」を鑑賞しながら、彼女がこの詞に託した悲哀の心、怨恨の情を味わってみよう。
春望詞四首 薛濤
其一
花開不同賞,花落不同悲。
欲問相思處,花開花落時。
花開けど同に賞でられず、花落れど同に悲しめず。
相思処を問わんと欲れば、花開き花落る時と。
其二
嚂草結同心,將以遺知音。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
草を攬いて同心を結び、将に以て知音に遺らんとす。
春愁 正に断絶し、春鳥 復た哀吟す。
其三
風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。
風花 日に将に老いんとし、性期 猶お瀞激たり。
同心の人と結ばれず、空しく同心の草を結ぶ。
其四
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
何んぞ堪えん 花 枝に満ちて、翻って作す両相思。
玉筋 朝の鏡に垂れるを、存風は知るや知らずや。
春望詞四首
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