詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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不定期論文 《唐 女性と文学 3. 中唐のころの芸妓詩人 》
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2017年11月30日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
746-011卷一七九 陪從祖濟南太守泛鵲山湖三首其一(卷二十(二)一一七二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9580 |
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不定期論文 《唐 女性と文学 3. 中唐のころの芸妓詩人 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9620 |
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不定期論文 《唐 女性と文学 3. 中唐のころの芸妓詩人 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9620
3. 中唐のころの芸妓詩人
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唐代の妓女で詩がうまかったのは薛濤一人にとどまらない。詩で名を上げた娼妓はたいへん多く彼女たちは少なからざる名詩とそれにまつわる佳話を残した。
劉国容は、長安の名妓。才色兼備で詩文を善くした。披女が恋人に贈った書簡に、「歓寝 方く濃かなるに、鶏声の 愛を断つを恨む。恩憐 未だ洽からざるに、馬足 以て情無きを嘆く」という名文句があり、当時の人々は争ってこの句を伝誦した。
張窃究---蜀の詩妓。彼女の詩は清らかで情緒があり、当時の人々から大いに推賞を受けた。その詩「思う所に贈る」は、「君と焉尺なるに長えに離別し、妾が容華をして誰が為に説ばしめんとす。夕べに層なれる城を望めば限は穿たんと欲し、暁に明鏡に臨めば腸は絶たるるに堪えんや」と詠んでいる。
徐月英-江淮の名妓で詩を善くした。彼女の有名な詩「懐を叙ぶ」は、娼妓の運命を悲しんだもので、その素朴さが人の心を打った。彼女の「妓優」の一節はすでに紹介した(第二章第六節)。彼女の名句「枕前の涙と階前の雨、箇の窓見を隔て滴りて明に到る」は、多くの人々から絶讃を浴びた。
蔀仙姫-‐一名妓。彼女はかつて回文四時詩(回文は逆からも読める文章)を作り、春夏秋冬の四景を詠んだ。この詩は逆から読むことができ、また内容も清らかで雅やかであった。
趙鸞鸞―‐-長安の平康里の名妓で、「閉房五詠」と題する詩が今日まで流伝している。繊細で艶かしく、情緒に富んだ詩である。
王福娘-平康里の妓女。心に想う人が自分を身請けしてくれるかどうか試そうとして、詩を贈った。その詩に「日日 悲傷して未だ図ること有らず、心事を凡夫に話るに瀬し。覆水と同じく応に収得すべきに非ず、只だ間う 仙郎 意有るや無しや」という。なんと聡明にして多情の才女であったことか。
以上に紹介した人々以外に、平康里の妓女顔令賓、楊莱児、楚児、王蘇蘇、宣城(安徽省宣城県)の名妓史鳳、蜀の成都の名妓灼灼、青州(山東省益都県)の名妓段東美などがいて、いずれもみな詩詞が伝わっている。その他、名は残らなかったが、名句だけが伝わっている妓女もある。
京鰹は宴を設け、席上で次の二句を詠んだ。「悲しみは生別離より悲しきはなし、山に登り水に臨んで将に帰らんとするを送る」と。そして客人に後の句を続けるように頼んだ。すると席にいた一人の妓女が次のように口ずさんで言った。「武昌 限り無し 新たに栽えられし柳、楊花の 顔を撲ちて飛ぶを見ず」(武昌には新参の美人が山といて、模架のょうに殿方への想いが飛びかっております。それなのに、殿方は気付かれません、の意)と続けて詠み、満座の喝采を浴びた。それで章熾は一万金を彼女に贈り自分の姫妾にした。
裴思謙が科挙の試験に合格して、平康里に遊んで泊ったところ、一人の妓女が詩を作って祝いに贈った。「銀の虹は斜めに背き明璋を解く、小語 倫声 玉郎を賀う。此れより蘭斎(蘭花と癖香、共に高貴な香料)の貴きを知らず、夜来 新たに惹く 桂枝の香」。
* 桂枝の香-進士に合格することを古来「娠宮折桂」(月で桂枝を析る)と言った。今夜は蘭僻の香などは忘れて、進士に合格した貴方の「桂枝の香」に惹かれます、という意。
欧陽聊は太原で一人の妓女と恋をした。別れて以後音信が絶えたのぺ彼女は思いがつのって病気になってしまった。彼女は髪を切り、それに詩を添えて送った。その詩には、「別れし後より容光を滅ずるは、半ばは是れ郎を思い半ばは郎を恨むがため。旧来の雲暫の様を識らんと欲すれば、奴の為に開き取れ鎔金の箱」とあった(以上は『唐才子伝』、『仝唐詩』、『本事詩』、『唐語林』、『開元天宝遺事』、『北里志』、『太平広記』巻二七三等の記載に拠る)。