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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

八、2.9 薛濤 《春望詞四首 其三 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8878

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八、2.9 薛濤 《春望詞四首 其三 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8878

 薛濤 《春望詞四首 其三 》

 

 

2017611

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八、2.9 薛濤 《春望詞四首 其三 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8878

(春の日は終わった、お仕事のあるあなたは帰ってこられなかった、二人で誓って結ん多草を又今日も一人で結んでいると詠う。))

春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。

 

官妓(5

唐代には「妓」と呼ばれた人は三種類あった。家妓・宮妓・官妓の三種である。いずれも妓と称されたが、三者の身分・生活はそれぞれ異なっていた。家妓は私人が自宅で養い蓄えている女楽、歌舞人であり、私有財産であって、姫妾とか婢女と呼ばれる人と同類であった。それで彼女たちは「姫妾」の部に入れて論ずることにし、ここでは言及しない。以下に、先学たちが「公妓」とよんだ二つの種類、宮妓と官妓について論ずることにする。

 

宮妓、敦坊妓

 宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職貴は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

 宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上乎だったため選ばれて宮中に入った。蔀瓊瓊はもとは色町の妓女であったが、筝が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、

玄宗時代には特に「権弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『占今図書集成』閑媛典閔艶部、崔令欽『教坊記』による。以下『教坊記』を出典とするものは一々注記しない)。

 

  * 楽戸とは、楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上された。また文宗の時代、回屹に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雑編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々宮女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘「教坊記隻訂」中華書局、一九六二年)。

 


玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃バ勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内廷に入れると宜言したので(『H唐書』李絲伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「覚裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

 

  * 梨園、宜春院。玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学ばせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

1. 井梧吟

庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。

 

2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
春日長,不管秋風早。

 

3. 池上雙鳧 
雙棲綠池上,朝去暮飛還。 
更憶將雛日,同心蓮葉間。

 

4. 
獵蕙微風遠,飄弦唳一聲。
林梢明淅瀝,松徑夜淒清。

 

5. 月
魄依鉤樣小,扇逐漢機團。 
細影將圓質,人間幾處看。

 

6. 

露滌音清遠,風吹故葉齊。 
聲聲似相接,各在一枝棲。

 

7  春望詞四首其

花開不同賞,花落不同悲。 
欲問相思處,花開花落時。 
  
春望詞四首其

草結同心,將以遺知音。 
春愁正斷
,春鳥復哀吟。 
  
春望詞四首其

風花日將老,佳期猶渺渺。 
不結同心人,空結同心草。 
  
10 
春望詞四首其

那堪花滿枝,翻作兩相思。 
玉箸垂朝鏡,春風知不知。 
 

 

 

 

薛濤詩 《春望詞四首 其三》

 


春望詞四首其一
(約束の春が来て、すでに花が落ちるころになっても、あの人は来ない、今度は私がそこに行きますと詠う)

花開不同賞,花落不同悲。
花さく季節が来ました。でもこの同じ場所で同じときに観賞することはないのです。花が落ちる季節になってもその悲しみを一緒にすることはないのです
欲問相思處,花開花落時。

お聞きしたいことがあります。あなたがわたしのことを思ってくださる場所のことを。それがわかったら私がその場所に飛んで行って花さくときから花が散る時まで一緒に過ごしたいと思います。

(春 望 四首其の一)
花開くも 同に賞せず、花落つるも 同に悲まず。
問はんと欲す 相思の處、花開き花落つるの時。

 

春望詞四首 其二  

 (約束した春になっても帰ってきてはくれない、同心を結んで誓った楽しい時を思い出してこの春を過ごすが、松だけの女は愁いを断ち切ることはできない。) 
草結同心,將以遺知音。
行楽を愉しむ中、二人で声を上げてたくさん草をとり、それを愛のあかしとして「同心むすび」にむすぶ。
まさに客とそれをしたことで恋しい人への思いをふと忘れ得たような思いがするのです。

春愁正斷,春鳥復哀吟。
女の春の愁いというものはそんなことでも断ちることになるのです。春に盛んな鳥が啼くと、おんなにとってはまた悲しそうな聲でさえずっているように聞こえてきます。
春 望 四首其の二)

草を携りて同心を結び、將に 以て知音に遺らんとす。

春愁 正に断絶す。春鳥 また京吟す。


春望詞四首 其三  
(春の日は終わった、お仕事のあるあなたは帰ってこられなかった、二人で誓って結ん多草を又今日も一人で結んでいると詠う。))

風花日將老,佳期猶渺渺。
春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。
不結同心人,空結同心草。
心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。
 

(春 望 四首其の三)

風花 日に將に老いんとする、佳期 猶は渺渺。

同心の人とは 結ばれず、空しく 同心の草を 結ぶ。

   

『春望詞四首 其三』 現代語訳と訳註
(
本文)

春望詞四首 其三

風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。


(下し文)
(春 望 四首其の三)

風花 日に將に老いんとする、佳期 猶は渺渺。

同心の人とは 結ばれず、空しく 同心の草を 結ぶ。


(現代語訳)
(春の日は終わった、お仕事のあるあなたは帰ってこられなかった、二人で誓って結ん多草を又今日も一人で結んでいると詠う。))

春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。
心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。


(訳注)
春望詞四首其三

61.
(春の日は終わった、お仕事のあるあなたは帰ってこられなかった、二人で誓って結ん多草を又今日も一人で結んでいると詠う。))

春になっても来てくれない客がどうしているのかあいさつ代わりに贈った詩で、通り一遍の手紙、一般的な詩ではなくこのような詩は上品であっても心をかなり動かすなかなかのテクニックである。
自分の気持ちを表に出してはいけない時代である。したがって、日本における訳注はどうも間違ったものが多く、参考にならない。


風花日將老,佳期猶渺渺。
春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。

62. ・風花 風流な風も、行楽の花。単なる風と花ではない。
63.
 ・老 花と女が老化していくこと。
64.
 ・佳期 会う時期を約束すること
65.
 ・渺渺 遠いぼんやりしたままの状態。

不結同心人,空結同心草。
心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。
66. 玉台新詠巻十に、銭唐蘇小歌一首として次の詩がある。「 妾乗油璧車、郎騎青□馬、 何処結同心、西陵松柏下。」(何れの処にか同心を結ばん)という句がある。
温庭筠 『更漏子』
相見稀,相憶久,眉淺淡煙如柳。
垂翠幕,結同心,侍郎熏繡衾。
城上月,白如雪,蟬
美人愁

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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