詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.10 薛濤 《春望詞四首
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2017年6月12日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.10 薛濤 《春望詞四首 其四 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8884
(また約束の春が来た、もう花も見たくない、でももらった簪を指して鏡を見て化粧をしなおす。)
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
官妓(6)
これら何百何千もの宮妓は、どのような生活をしていたのであろうか。宮妓は宮人と共通するところもあったが、しかし全く同じというわけでもなかったようだ。宮人の中から選抜されて宮妓にされたものの大半は、「宮婢」の身分のままであったが、それ以外の民間から選抜されたものの地位と身分は、一般の宮人に比べてやや高かったようである。各時代の記録はきわめて少ないが、ただ玄宗の時代についてだけは、『教坊記』という書物が彼女たちについて専門に書いている。その記載によると、選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲詔院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」には佩魚(五品以上の貴人が身に着けることを許されていた魚形のバヴジ)が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二目、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。敬宗の時、皇帝は自ら内人の家族千二百人を招待し、教坊で宴席を設け、褒美として錦を下賜した(『旧唐書』敬宗紀)。
彼女たちの生活も比較的自由で、彼女たちに対する宮中の束縛も、それほど厳格ではなかった。年をとり容色が衰えると、宮中から出て家に帰りたいと申し出ることが許されており、宮人のように必ずしも深宮の中で朽ち果てねばならないというわけではなかった。『教坊記』に記されている竿木妓の芭漢女大娘子、許渾の「蕭煉師に贈る」という詩に出てくる内妓の蕭煉師、また『楽府雑録』に記されている宣徽院(宮中の一役所)の門弟楊氏などは、みな年老いて後、宮中から退出した内人であった。張結の「退宮の人」という詩に、「歌喉漸く退えて宮閲を出でんとし、泣いて伶官(宮中の楽官)に話せば 上 帰るを許す」とある。席融の「退宮妓」という詩に、「一且色衰えて故里に帰るも、月明 猶お夢に梁州(曲名)を按く」とあるが、これらはいずれも内人が年老いて後、宮中から退いたことを述べているのである。宮妓が宮中から出た後の境遇は、おしなぺてそれほど良いというわけでもなかったが、宮人に比べれば概して白由の身であったといえよう。以上によって、唐朝の宮廷は宮妓を芸人と見なして待遇し、宮人のような賤民身分とは区別していたこと、少なくとも玄宗の時代には、宮妓たちの待遇はまだ比較的良かったことが分かる。
もちろんのこと、たとえ宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたにせよ、そしてまた一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたにせよ、所詮彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になるものも少なくなかった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓囲」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に乎を入れて暖をとった(『開元天宝遺事』巻古。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。
1. 井梧吟
庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。
2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
3. 池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
4. 風
獵蕙微風遠,飄弦唳一聲。
林梢明淅瀝,松徑夜淒清。
5. 月
魄依鉤樣小,扇逐漢機團。
細影將圓質,人間幾處看。
6. 蟬
露滌音清遠,風吹故葉齊。
聲聲似相接,各在一枝棲。
7 春望詞四首其一
花開不同賞,花落不同悲。
欲問相思處,花開花落時。
8 春望詞四首其二
嚂草結同心,將以遺知音。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
9 春望詞四首其三
風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。
10 春望詞四首其四
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
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薛濤詩 《春望詞四首 其四》 |
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春望詞四首其一
(約束の春が来て、すでに花が落ちるころになっても、あの人は来ない、今度は私がそこに行きますと詠う)
花開不同賞,花落不同悲。
花さく季節が来ました。でもこの同じ場所で同じときに観賞することはないのです。花が落ちる季節になってもその悲しみを一緒にすることはないのです
欲問相思處,花開花落時。
お聞きしたいことがあります。あなたがわたしのことを思ってくださる場所のことを。それがわかったら私がその場所に飛んで行って花さくときから花が散る時まで一緒に過ごしたいと思います。
(春 望 四首其の一)
花開くも 同に賞せず、花落つるも 同に悲まず。
問はんと欲す 相思の處、花開き花落つるの時。
春望詞四首 其二
(約束した春になっても帰ってきてはくれない、同心を結んで誓った楽しい時を思い出してこの春を過ごすが、松だけの女は愁いを断ち切ることはできない。)
嚂草結同心,將以遺知音。
行楽を愉しむ中、二人で声を上げてたくさん草をとり、それを愛のあかしとして「同心むすび」にむすぶ。
まさに客とそれをしたことで恋しい人への思いをふと忘れ得たような思いがするのです。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
女の春の愁いというものはそんなことでも断ちることになるのです。春に盛んな鳥が啼くと、おんなにとってはまた悲しそうな聲でさえずっているように聞こえてきます。
(春 望 四首其の二)
草を携りて同心を結び、將に 以て知音に遺らんとす。
春愁 正に断絶す。春鳥 また京吟す。
春望詞四首 其三
(春の日は終わった、お仕事のあるあなたは帰ってこられなかった、二人で誓って結ん多草を又今日も一人で結んでいると詠う。))
風花日將老,佳期猶渺渺。
春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。
不結同心人,空結同心草。
心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。
(春 望 四首其の三)
風花 日に將に老いんとする、佳期 猶は渺渺。
同心の人とは 結ばれず、空しく 同心の草を 結ぶ。
春望詞四首 其四
(また約束の春が来た、もう花も見たくない、でももらった簪を指して鏡を見て化粧をしなおす。)
那堪花滿枝,翻作兩相思。
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
(春望四首 其の四)
那んぞ堪えん 花 枝に満つるに、翻って 両相思を作す。
玉箸 朝鏡に垂る、春風 知るや知らずや。
『春望四首 其四』 現代語訳と訳註
(本文)
春望四首 其四
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
(下し文)
(春望四首 其の四)
那んぞ堪えん 花 枝に満つるに、翻って 両相思を作す。
玉箸 朝鏡に垂る、春風 知るや知らずや。
(現代語訳)
(また約束の春が来た、もう花も見たくない、でももらった簪を指して鏡を見て化粧をしなおす。)
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
(訳注)
春望詞四首
67.(また約束の春が来た、もう花も見たくない、でももらった簪を指して鏡を見て化粧をしなおす。)
春になっても来てくれない客がどうしているのかあいさつ代わりに贈った詩で、通り一遍の手紙、一般的な詩ではなくこのような詩は上品であっても心をかなり動かすなかなかのテクニックである。
自分の気持ちを表に出してはいけない時代である。したがって、日本における訳注はどうも間違ったものが多く、参考にならない。
那堪花滿枝,翻作兩相思。
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。
68. ・那堪 反語。とてもたえきれない。
69. ・翻 ふりかえって。満開の花を背にすること。 花が咲きはこって、はなやかであればあるほど、かえって自分の孤独寂蓼の感じが増す。
70. ・作 つくる。なしとげる。おこす。いつわる。なまける。
71. ・兩相思 自分と相手の男と両方で恋しあっている、思いあっていること。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
72. ・玉箸 キラキラしている簪。空しい表現。
73. ・朝鏡 寝化粧をなおす、朝の化粧をする鏡。男性と夜を過ごしていない場合は「朝鏡」という表現がよく使われる。一緒に過ごした場合は、天上のが明るくなる表現、梁に朝日が当たるという表現をする。
74. 【解説】この春望四首は薛濤個人のことを詠ってはいない。女盛りを過ぎようとしている女性の一般論を述べたのである。ここには女性が男性にすがって生きていくことしかできない時代を反映しているのである。余生を過ごすには数名の下女に身の回りの世話をさせられるだけのものを残していないと隠棲できないのである。
したがって、この頃の芸妓は高級官僚か、富貴の者の夫人にり、手切れ金で余生を送ることが一番の願いであったのだ。一夫多妻制はともに白髪の映えるまでという思想は全くないのである。こうした前提の上での男女交際を考えなくてはいけないのである。