詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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2018年3月20日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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項羽と虞美人
§-2 垓下の戦い
1. 垓下の詩 -⑴
1. 垓下の詩 -⑵
2. 虞美人について
3. 項羽の最後
4. 項羽の死にざま
10. 項羽の最後
垓下の戦いの劉邦軍の主力は、准陰侯韓信のひきいる軍士たちであったが、戦いに敗れた項羽は、逃れて南のかた揚子江畔の烏江(安徽省南京市の西南対岸)めざし退去していった。かさねて『史記』の「項羽本紀」をみると、項羽の最後をドラマチックにもりあげている。
それによると、別れの酒宴を終わったのち、項羽は夜陰に乗じ麾下八百余騎をひきいて漢軍の重囲を突破して南走し、准水を渡渉してようやく陰陵(江蘇省定遠県の西北)にたどりついたものの、この間一〇〇余キロあまりの強行軍に従う騎馬は百余騎にすぎなかった。そのうえ道に迷って大沢中にふみ入り、ついに漢の追討軍に追いつかれる羽目になった。
そこでかれは東方に道をかえて東城(定遠縣の東南)にゆきついたときには、従騎はさらに減って二十八騎にすぎず、背後にせまる漢騎は数千、とうてい逃れがたいことを覚った項羽が、その部下たちをふりかえって言ったことばは、
われ兵を起こしていまにいたる八年、自ら戦うこと七十余戦、いまだかつて敗北したことなく、ついに天下の覇者となった。しかるに、いまここで、このような羽目になったのは、天がわれを見すてたからで、わが戦いの拙ないせいではない。いまじぶんは死を決意した。
そこで諸君のためにこれから決戟し、三たび戦ってかならず勝ち、諸君のために敵の囲みをやぶり、敵将を斬りその旗をうばって、諸君に天がわれを亡ぼすので、わが戦いの拙ないせいではないことを知らしてやろう云云。(『史記』「項羽本紀」)
この『史記』 の一文は、司馬遷がさきの「垓下の詩」に対応させて記述したものであろう。項羽は「わが力は山を抜き気は世を蓋う」ほどと過信する自己の武力と気力とを、いまや死を目前にしながらも、部下たちに誇示しようと決意した。そしてかれはその決意どおり、約束どおり、漢軍の先鋒と戦って、敵将と一都尉とを斬り、数十百の敵をたおし、また敵の手から旗をうばったのであった。
こうして項羽は、ここでも敵の重囲をやぶって脱出し、東南のかた烏江に走った。『史記』には「ここにおいて項王は東のかた烏江を渡らんと欲す」とあって、この瞬間まで項羽は烏江(南京の西南対岸、安徽省)から揚子江を渡って、かれが最初に兵をあげた江東に逃れ、再起をはかる考えであったことを伝えている。(「楚・漢戦争関係略図」参照)