詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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2018年3月21日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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中国史・女性論 |
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項羽と虞美人
§-2 垓下の戦い
1. 垓下の詩 -⑴
1. 垓下の詩 -⑵
2. 虞美人について
3. 項羽の最後
4. 項羽の死にざま
10. 項羽の死にざま
ところが、項羽は烏江にたどりついたとき、渡し船をととのえて待っていた烏江亭長の申し出を拒み、ついに、かれは渡河を断念して江畔でみずからくびはねて果てたという。項羽のこの突然の心境の変化は、いったいなんであろうか。それは、つぎのような烏江亭長のことばではなかったか。
烏江の亭長は船を用意して待っており、項王にいうよう「江東は小さいとは申せ地方千里、人口は数十万人いまして、王として不足はありません。どうか大王よ、いそいでお渡り下さい。いま船をもっているのは臣だけです。漢軍が来ましても渡ることはできません。」
おもうに、烏江亭長のこのことばほど、誇り高き項羽の心を打ったものはなかったであろう。ここまで項羽を支えてきたのは、「垓下の詩」にもあるように、山をも抜く武力と一世をも蓋う気力への自負であった。というよりか、項羽はかれのこの自負心を、これまではじぶんを見すてようとする天の悪意に対置させることによって、孤独な自己をからくも支えてきたのであった。それは人間失意のとき、たれしもよくみる強がりであり虚勢である。それでも核下までは、まだ愛する虞姫がかたわらにいたため、大きななぐさめとなったであろう。しかし虞姫を失った―かの女は前述したように、おそらく東城付近で落命したものと思われる―うえに、従う部下も戦死したり、あるいは脱落したりして、目にみえて減っていくのをみるにつけ、項羽はいよいよ内心の孤独感を深めたことであろう。
項羽が東城で従騎の二十八人を前にして「天がわれを亡ぼすのだ、それは天のせいなのだ、わが用兵のせいではない(天之亡我、非戦之罪也)といっているのは、従騎に対するよりも、むしろかれ自身の孤独感へのいいきかせであり、自身に対する抗弁であるといえるであろう。
いや『史記』の著者司馬遷は、このときの項羽に代わって、このように推測したのである。司馬遷は「項羽本紀」末尾の論賛に
項羽は自ら功伐に衿り、その私智を奮って古を師とせず、覇王の業は力をもって征しようと欲し、天下を経営すること五カ年、ついにその国を亡ぼし、その身は東城で死んだが、なお覚寤ずして自ら過ちを責めようとしなかった。むしろ天が我を亡ぼすので、わが用兵の罪ではないといい張るが、なんと謬まったことであろうか。
といって、項羽はただおのれの力を過信するあまり、ついに国をほろぼし、一命をも失ったが、かれは最後までこれを天のせいにして、わが謬りに気づかなかったと難じている。
しかし、この司馬遷の非難は、四面楚歌の悲境に立って、たのむ部下を失い、愛人すらも失って、必死に孤独感との戦いをつづける人間項羽の心情に対する思いやりに欠けるうらみがある。
これまでの数年間、優勢をとりつづけて負けることを知らなかった身が、垓下の決戦に敗れてからは、急転直下敗残の淵に落ちこんで、たれ一人として頼るもののなくなったいま、項羽の誇り高い性情と強い自負心とが、天意に対する虚勢ともみえる強がりのことばや、姿勢となったのであろう。
こうして孤独にうちひしがれそうな自分を、からくも支えつつ烏江にたどりついた項羽では あったが、ここで思いもかけず烏江亭長から、肉親にもまさる温かいはげましを聞いて、これまで張りつめてきたかれの誇りと自負心とは、音をたててくずれ去ってしまった。そしてかれをして
さきに籍(項羽の名)は、江東の子弟ら八千人と江を渡って〔秦をほろぼすため〕北上し、また西征したが、いまはそのうちの一人も還るものがない、縦い貴下のいうように、江東の父兄たちが憐れんでわれを王としようとも、われなんの面目あってか、かれらに見えられようか。縦いかれらが(子弟たちを戦死させたことを)言わずとも、籍独り心に像じないでおられようか。
といわしめているが、この瞬間に項羽ははじめて天命を自得し、ついに一武将としての人間性にめざめたのではなかったろうか。
たとい江東の父兄、憐れんで我を王とするも、我何の面目あってか、これに見えん
とは、まさに古今の名将たちが、いくたびか口にしたことばであり心境である。
司馬遷は「項羽は敗北を最後まで天のせいにして、自己の謬りに気づかなかった」と難じているが、項羽はその最後の瞬間において天命を自得し、人間性の真実に立ちかえったものだとわたくしは考える。でなければ、かれの口から決してこのような語は吐けなかったであろう。
こうして項羽は、烏江亭長の真情あふれる申し出を拒みつつも、その厚い情義に深い感謝をこめて
わたしは、そなたがりっぱなお人だということがわかった。この馬はわしが五年間騎ってきたが、向かうところ敵はなく、かつては一日に千里を駈けた名馬です。これを殺すにはしのびないので、そなたにさし上げよう。
といって愛馬の騅を与え、従騎たちにも下馬を命じて歩行させ、鎗をすて短兵をもって接戦したのち、みずから首刎ねて死んだのであった。