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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

不定期論文 《唐 女性と文学 4. 女冠詩人の李冶、魚玄機 (1) 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9627

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不定期論文  《唐 女性と文学 4. 女冠詩人の李冶、魚玄機 (1) 》

 

2017121

の紀頌之"6"つの校注Blog

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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4. 女冠詩人の李冶、魚玄機

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 唐代女性文学を担うもう一つの重要な柱は、寺院や道観といった、清浄の地「方外」(俗世の外)に住む女性、つまり女冠(女道古と尼であった。披女たちには家事の煩わしさや、寒さと飢えの心配もなく、書を読み文を習うに充分な時間と恵まれた条件がそなわっていた。彼女たちの生活は比較的自由かつ気ままであり、常に四方を巡遊し、山水を伴とし、感性を磨き、同時にまた、いつも多くの文人墨客と交わり語らった。こうした特殊な生活が、彼女たちが文学の世界で成果をあげる上で有利な条件を提供した。その他にまた次のような情況もあった。きわめて多くの女道士が、古井戸の中にいて俗世に出ることなど思いも及ばないといった人々ではなく、逆に娼妓に比べてもなお一層色っぽく多情多感な人々だったこと、また、披女たちの身分は娼妓よりは高く、肉体を売って生きるといった必要もなく、異性との交際や恋愛はより平等であり、自由であったことである。こうした理由によって、彼女たちの恋愛詩は往々にして娼妓詩人のそれよりも感情が豊かであり、より情趣があり、より自由奔放でもあった。『唐才千伝』に、彼女たちは「みな俗世を超脱し、心静かに教えを修め、幽かな想いをよく書き記し、自然の風光に心を留めた。これは暇にまかせて各地を逍遥した賜物であり、山水を愛する気持に他ならない。披女たちは名儒犬屑を並べ、美しい詩詞のやりとりができた。しかし、華美なだけで情がなく、人に依存する心を遂になくすることはできなかった。このことだけが珠に瑕であった」とある。この評価はきわめて的確であるが、ただ「珠に瑕」という箇所は必ずしも正しくはない。情がないところでどうしてよい詩が作れるだろうか。おそらくは、この点こそ、逆に彼女たちがよい詩を作‥りえた原因の一つであったのである。

 

 李冶と魚玄機は、蔀濤とならぶ唐代の著名な女冠詩人であり、両者とも優れた多くの詩を後世に残した。

 李冶、字は季蘭。人々から「女の詩豪」と称された。彼女はだいたい盛唐の開元・天宝頃の人で、容姿はきわめて美しく、幼い時から詩を上手に詠み琴をよく弾いたという。五、六歳の頃、薔薇を詠んだ詩一首を作ったところ、その中に「時を経て未だ架却さず(薔薇を這わすませ垣をしない)、心緒乱れて縦横」という佳句があった。「未架」は「未嫁(未だ嫁さず)」に通じるので、父はそれを見て不機嫌になり、フ』の子はあまりにませすぎている。おそ・らく道をふみはずした女になるだろう」と言った。後、まことに父の言葉どおりに彼女は女道士となり、自由奔放な生活と文学に生涯をかける道を歩みはじめた。彼女は非常に多くの文人墨客j‐‐-たとえば隠士の陸羽、僧の咬然、文士の閣伯釣、劉長卿などと親しい友となり、常に集っては遊び、詩や書簡のやりとりをした。彼女が閣伯均らに与えた情緒纏綿たる詩をみると、交友関係にはただの親しい友人ばかりではなく、彼女が恋した愛人もいた上うである。

 彼女の詩人としての名声は宮中に伝わり、天宝年間、皇帝から宮中に入るように命ぜられた。彼女は感慨にふけって詩をつくり、自分の詩名が九重(宮中)にまで達したのは、自分の青春時代がすでに終ったことだと慨嘆した。宮中に入ってから、彼女は最大級の礼遇を受け、たくさんの褒美をヅえられて故郷に帰された。徳宗の時、彼女は叛乱将軍朱流と于紙のやりとりをしていたということで死刑に処せられた。哀れなことに、この一代の才女もついに政治の波浪に呑み込まれてしまったのである。

 彼女の詩は誠実で、また情緒もあり、恋愛詩である「相思怨」に、その特微を読みとることができる。

  「人は道う 海の水は深しと、相思の半ばにも抵ばず。海の水には尚お涯有るも、相思は激に  畔焦し。琴を携えて高楼に上れば、楼は虚しく月華満つ。相思の曲を弾著けば、弦も腸も一時に断たる」

 この詩から、彼女の抜群の才能を読みとることができるばかりでなく、またこの詩人は激しい多情多恨のなかに、深い悲哀の心を秘めていたこともわかる。もし、李冶が「形気(外形と内面の気)すでに雄にして、詩意また蕩(奔放)なり」(『唐才子伝』巻ことするなら、次の魚玄機は、李冶に比べてさらに豪爽であり、率直であり、自由奔放であった。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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