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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

六―二 その他の労働婦人 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8788

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2017527

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六―二 その他の労働婦人 

 労働する女性は、耕作をし機を織る農家の女性が大多数であったが、それ以外の仕事に従事する人々もいくらかいた。彼女たちの多数もまた農家で育った人々であったが、農業を主な仕事にはしていなかった。

 まず第一は、専業の織布エである。彼女たちは朝廷や官府のために専門に紡織するエ匠身分に属した。たとえば「織錦戸」、「貢綾戸」等である。王娃の「錦を織る曲」という詩に、「大女(長女)身は織錦戸と為りて、名は県家(県庁)の供進簿(御用達名簿)に在り」とある。白居易の詩「椋綾」において、「去年 中使(皇帝派遺の御史)口勅を宣し、天上に様を取り人間に織らしむ」と描写された「越渓の寒女」、あるいは鮑溶の詩「葛を采る行」に描写されている、葛布を進貢する「蛮女」、こうした女性たちはだいたい専業の織女であった。

 彼女たちの技能は、一般の女性たちに比ぺてきわめて高度で精密なものであり、皇帝や貴族が用いる豪華で精美な織物を専門に織っていた。「一尺を織り成し・て一両(一斤の十分の一の重さ)も無し、天子に供進す五月(真夏)の衣」(鮑溶「采葛行」)、「一匹干金なるも亦た売らず、日を限って未だ成らざれば宮裏怪む」(王建「織錦曲」)。このようであったればこそ、彼女たちは特別の苦労をした。「蛮の女は手足を損なうを惜しまず、鈎刀もて一一柔らかく長きを牽く。葛糸は茸茸 春の雪の体、深き澗にて泉を択び清らかなる処にて洗う。殷勤に十指は蚕が糸を吐くごとく、当窓にて搦搦に声は機〔の音〕より高し」(鮑溶「采葛行」)。「椋綾 織り作すに功績を費やす、尋常の紺と帛(絹)とに比する莫し。糸細く繰り多くして女の手疼む、孔札と千声なるも尺に盈たず」(白居易「椋綾」)。

 このように真心をこめて織ったものでも、必ずしも皇帝や官府の称讃を得るとは限らなかった。蛮族の女性が織った葛布は、呉の織物とは比べものにならなかったので、宮中の人々は目もくれなかった。そこで、彼女たちは織った布を「嶺南(広東、広西方面)の貧しい怯客に売り与え」(鮑溶「采葛行」)、ほんのわずかの収入に代えるしかなかった。官府の課税は重くまた頻繁であり、厳しく取りたてられたので、織女たちは日夜苦労を重ね、青春を虚しく費やさざるを得なかった。荊州(湖北省江陵県)の多くの貢綾戸の女たちは、老いさらばえて生涯嫁にも行けなかった。「東家の頭白き双りの女児、挑紋を解するが為に嫁ぎ得ず」(元袱「織婦詞」)というように。こうして唐代の紡織に多大な貢献をした才能ある女性たちは、自らの紅顔、青春、苦労等をすべて天子や貴族の着る金欄緞子の中に織り込まざるをえなかったのである。  裁縫で生活する女性もたいへん多かった。注州(河南省開封市)の趙懐正の妻阿賀は、こうした仕事をして稼ぎ、夫の死後も他家に雇われて針仕事をした(『酉陽雑俎』続集巻三)。また江陵(湖北省刑州)の郭七郎の家は戦乱で没落したが、その母は幾人かの下婢と毎日針仕事をして生活を支えた(『南楚新聞』)。また、ある女性たちは寺院の針仕事を専門にしていた(『太平広記』巻三三六「曹朗」)。以上はみな「女紅」(女専門の仕事)で生活していた例である。段成式の著した『酉陽雑俎』(統集巻三)に、一人の女鬼(女の亡霊)が、死後もなお「針仕事を罷めず、常に雨衣をつくり、胡氏の家に雇われていたが、およそ数年で十三万銭もの金をためた」という記載がある。これを見ると、収人もそれほど少ないというわけではなかったようだ。

 雇われたり手伝い仕事をする女性は必ずしも針仕事だけではなく、その他の生計の道もあった。九陛(四川省彭県)の人張守珪は茶園を一つ持っていた。彼は「毎年茶摘みの人を百余人九雇った。男女の雇エが茶畑に入り混っていた」(『太平広記』巻『七「陽平滴伯」)。これは女性が茶摘みに雇われた例である。張薦の著した『霊怪集』には、耶州(山東省東平県)の関某なるものが、紐という姓の女を傭婦として雇い、それに衣食を給して酷使した話が載っている(『太平広記』巻二八六)。これは家の雑事に雇われた例である。これらの傭婦たちの大半は生きるすべがなく、他人に雇われたものであるが、しかし彼女たちと主人の関係は雇傭関係であって、売買可能な奴婢と同じではなかった。

 その他にも、別の仕事に従事する女性も若干あった。たとえば、澄州(広西省上林県)の砂金採りの女性たち。「日は澄みたる洲を照らし江霧は開け、金を淘う女伴は江の隈に満つ。美人の首飾 侯王の印、尽く是れ沙の中 浪の底より来る」(劉萬錫「浪淘沙」)。その他に手工業に従事する女性もいる。広州に何二娘という女がおり、年わずか二十歳で専ら靴を編んで生業としていた(『太平広記』巻六二)。

 これら農業以外の仕事に従事する女性たちは、農家の女性と同じように、唐代社会の経済的発展,富の蓄積、さらには科学技術文明に対して貢献をなしたのである。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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