詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.93 薛濤 《和劉賓客玉蕣 》
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2017年11月20日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.93 薛濤 《和劉賓客玉蕣 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9522
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
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薛濤詩 |
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79. 上王尚書
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
80. 段相國游武擔寺病不能從題寄
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
81. 贈段校書
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。
82. 題武擔寺西臺
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
今日登臨意,多歡語笑同。
83. 和段相公登武擔寺西臺
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
九層連晝景,萬象寫秋空。
天半將身到,江長與海通。
提攜出塵土,曾是穆清風。
84. 酬文使君
延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。
85. 酬李校書
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
86. 酬雍秀才貽巴峽圖
千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊吳。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。
87. 贈蘇十三中丞
洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。
今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。
88. 酬楊供奉法師見招
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。
89. 酬杜舍人
雙魚底事到儂家,扑手新詩片片霞。
唱到白蘋洲畔曲,芙蓉空老蜀江花。
90. 酬吳使君
支公別墅接花扃,買得前山總未經。
入戶剡溪云水滿,高齋咫尺躡青冥。
91. 籌邊樓
平臨云鳥八窗秋,壯壓西川四十州。
諸將莫貪羌族馬,最高層處見邊頭。
92. 棠梨花和李太尉
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
93. 和劉賓客玉蕣
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
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薛濤 93 《和劉賓客玉蕣》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9522 |
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和劉賓客玉蕣
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
劉賓客の玉蕣【ぎょくしゅん】に和す
瓊枝【けいし】玓瓅【てきれき】露 珊珊【さんさん】,折らん欲とすれば云彩【うんさい】の寒さを披くが如し。
閑かに朱房【しゅぼう】を拂えば何の似たる所ぞ,山に緣【そ】うて 偏映【へんえい】 日輪の殘するに。
『和劉賓客玉蕣』 現代語訳と訳註
(本文)
和劉賓客玉蕣
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
(下し文)
劉賓客の玉蕣【ぎょくしゅん】に和す
瓊枝【けいし】玓瓅【てきれき】露 珊珊【さんさん】,折らん欲とすれば云彩【うんさい】の寒さを披くが如し。
閑かに朱房【しゅぼう】を拂えば何の似たる所ぞ,山に緣【そ】うて 偏映【へんえい】 日輪の殘するに。
(現代語訳)
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
(訳注)
和劉賓客玉蕣
1. (太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
2. 【構成】
瓊枝玓瓅露珊珊、欲折如披云彩寒。
閑拂朱房何所似、緣山偏映日輪殘。
○○●●●○○、●△△△○●○。
○●○○△●●、△○△●●○○。
3. ・劉賓客 賓客は大子賓客の略、官名。劉は姓、劉禹錫をいう。劉禹錫(772~842年)白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。
秋風引(何處秋風至) 浪淘沙(八月濤聲吼地來) 楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱) 石頭城(山圍故國週遭在) 浪淘沙(九曲黄河萬里沙) 再遊玄都觀(百畝庭中半是苔) 烏衣巷(朱雀橋邊野草花) 與歌者何戡(二十餘年別帝京) 秋詞(自古逢秋悲寂寥) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難) 元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來) 杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣) 詠紅柿子(曉連星影出) 逢舊 憶江南
貞元元年の進士で、監察御史となったが、王叔文に利用されて達坐し、連州(廣東省にある)の刺史におとされ、途中でさらに郎州(貴州省にある)司馬に左遷された。十年後、やっと召しかえされたが、有名な「玄都觀看花」玄都観にて花を看る」
紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回,
玄都觀裡桃千樹,盡是劉郎去後栽。
(原註:後魏元樹,南陽王禧之子。南陽到建業,數年後北歸,愛姬朱玉兒脫金指鐶為贈。樹至魏,卻以指鐶寄玉兒,示有還意。)
の詩が執政の怒りにふれ、すぐに播州の刺史に出され、裴度の救いにょって遠州に改められ、その後、夔州(現四川奉節)・和州の刺史をへて、やっとよびもどされて中央の主客郎中になった。しかしまたも「再遊玄都觀」重ねて玄都親に遊ぶ」
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
という詩を作って問題を起こし、東都洛陽の分司に出された。その後また裴度の力添えによって長安に帰ることができ、禮部郎中・集賢直學士となったが、裴度が宰相をやめると、蘇州・汝州・同州と刺史をつとめ歩き、開成三年にまた中央へもどり、太子賓客となってまたも東都に分司した。まったく一生を廉い中国の地方めぐりに歩かせられたようなものであった。しかし詩名は高く、晩年には自盾易(欒天)と多くの詩を酬和し、會昌二年、検校値部周書のとき七十二歳で沒した。(「新唐書」巻一六八)彼の詩集のなかには、剣南西川節度使であった武元衝や李徳祐に贈った詩がのこっているが、ことに李徳祐と薛濤の詩に和した「和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什」(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)と題したつぎの詩は、注意されなければなるまい。
玉兒已逐金鐶葬,翠羽先隨秋草萎。
唯見芙蓉含曉露,數行紅淚滴清池。
4. ・玉蕣 玉は詩語として冠したもの、蕣は、むくげ、木模。銭葵料の落葉濯木。枝の繁るのを利用して生垣につくる。あさがおの国訓もある。
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
5. ・瓊枝 瓊はたま。美しい赤玉。ただし物の美称として上に冠する語。ここはたんに朝殊のつるをいったもの。
6. ・玓瓅 あざやか、鮮明なさま。きらきらと輝くさま。
7. ・珊珊 膝に帯びる玉の鳴る形容、ここははらはら。
8. ・抜 開く、また衣を肩にかけること、ここは後者をとる。
9. ・玉彩寒 玉彩は、美しいいろどり。それをもって女の衣をいったもの。寒は、涼しい。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
10.・朱房(しゅはう) 赤い花房。
11. ・偏映 偏はかたよる。山に入りかけている日光。
12. ・日輪残 沈みかけた太陽。落日、花弁がちぎられた朝顔、妓女である女性の過去から現在の年を取っていく様子を云うのである。朝顔に玉の露というのは女性性器を表現している。年増芸妓の下ネタの詩という見方もできる。
30 劉禹錫(りゅううしゃく) 772~842年 劉禹錫:中唐の詩人。772年(大暦七年)~842年(會昌二年)。白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。
秋風引(何處秋風至) 浪淘沙(八月濤聲吼地來) 楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱) 石頭城(山圍故國週遭在) 浪淘沙(九曲黄河萬里沙) 再遊玄都觀(百畝庭中半是苔) 烏衣巷(朱雀橋邊野草花) 與歌者何戡(二十餘年別帝京) 秋詞(自古逢秋悲寂寥) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難) 元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來) 杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣) 詠紅柿子(曉連星影出) 逢舊 憶江南
22 武元衡(ぶげんこう) 758~815 字は伯蒼。河南の人。建中四年(783)、進士に及第した。徳宗に才能を認められ、華原の令から比部員外郎・右司郎中・御史中丞を歴任。順宗のときに、王叔文に従わなかったため降職されて太子右庶子となった。憲宗の時代になって御史中丞・戸部侍郎を歴任し、元和二年(807)には門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)に至った。淮西節度使・呉元済が叛乱を起こしたとき、憲宗から委任されて討伐を準備したが、呉元済派の朝臣の放った刺客に暗殺された。 題嘉陵驛(悠悠風旆繞山川)