詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.92 薛濤 《棠梨花和李太尉》
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2017年11月19日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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767年-153 課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首(一云〈秋日閒居三首〉)其二(卷二○(四 )頁一七三六)注(1170) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9491 |
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八、2.92 薛濤 《棠梨花和李太尉》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9515
(「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。
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薛濤詩 |
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碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
80. 段相國游武擔寺病不能從題寄
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
81. 贈段校書
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。
82. 題武擔寺西臺
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
今日登臨意,多歡語笑同。
83. 和段相公登武擔寺西臺
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
九層連晝景,萬象寫秋空。
天半將身到,江長與海通。
提攜出塵土,曾是穆清風。
84. 酬文使君
延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。
85. 酬李校書
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
86. 酬雍秀才貽巴峽圖
千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊吳。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。
87. 贈蘇十三中丞
洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。
今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。
88. 酬楊供奉法師見招
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。
89. 酬杜舍人
雙魚底事到儂家,扑手新詩片片霞。
唱到白蘋洲畔曲,芙蓉空老蜀江花。
90. 酬吳使君
支公別墅接花扃,買得前山總未經。
入戶剡溪云水滿,高齋咫尺躡青冥。
91. 籌邊樓
平臨云鳥八窗秋,壯壓西川四十州。
諸將莫貪羌族馬,最高層處見邊頭。
92. 棠梨花和李太尉
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
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薛濤 92 《棠梨花和李太尉》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9515 |
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棠梨花和李太尉
(「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。
「棠梨の花」 李太尉に和す
吳鈞の蕙圃 嘉木に移し,正に東溪春雨の時に及ばんとす。
日晚れて 鶯啼き 何所にか為さん,淺深【せんしん】にして紅膩【こうじ】繁枝を壓す。
『棠梨花和李太尉』 現代語訳と訳註
(本文)
棠梨花和李太尉
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
(下し文)
(「棠梨の花」 李太尉に和す)
吳鈞の蕙圃 嘉木に移し,正に東溪春雨の時に及ばんとす。
日晚れて 鶯啼き 何所にか為さん,淺深【せんしん】にして紅膩【こうじ】繁枝を壓す。
(現代語訳)
(「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。
(訳注)
棠梨花和李太尉
1. (「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
2. ・大尉 官名。軍事をつかさどる。三公の一で、今日の国防長官。中央官庁の重職である。(官名) にまでなり、著述も多かった。ここでは、李大尉をその呉均になぞらえた。
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
3. ・吳鈞・吳均(469—520)字は叔庠。吳興故鄣(今浙江安吉縣西北)の人。南朝梁文學家。寒微の出身ではあったが,学問がすきで、すぐれた才をもっていた。梁の天監の初め、柳博が呉興の刺史となると、郡の主簿に迎え、毎日、詩を作りあったので、それにならう者が多くあらわれ、彼らの詩風を「呉均体」といった。仕えて奉朝詰・棠梨花 棠梨はアマナシの一名。薔薇科の落葉喬木で、新暦の四月ごろ、帝紅い花を咲かせる。
4. ・蕙圃 蕙は香り革。圃は庭、圃場。
5. ・嘉末 よい木。ここでは棠梨の木をさす。
6. ・東渓 東の谷。春は五行思想で東、青。春の渓谷の意。
7. ・及 間にあう。春の景色がその花園にいきわたる。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。
8. ・紅賦(こうじ) 脱は化粧するあぶら。紅脂のこと。