詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.62 薛濤 《賊平后上高相公》
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2017年10月18日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.62 薛濤 《賊平后上高相公》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9298
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
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薛濤詩 |
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62. 賊平后上高相公
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。
63. 續嘉陵驛詩獻武相國
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
64. 上川主武元衡相國 其一
落日重城夕霧收,玳筵雕俎荐諸侯。
因令朗月當庭燎,不使珠帘下玉鉤。
65. 上川主武元衡相國 其二
東閣移尊綺席陳,貂簪龍節更宜春。
軍城畫角三聲歇,云幕初垂紅燭新。
66. 題嘉陵驛 武元衡
悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。
路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。
67. 聽歌 武元衝
月上重樓絲管秋,佳人夜唱古梁州。
滿堂誰是知音者,不惜千金與莫愁。
武元衝 贈歌人
林鶯一哢四時春、蟬翼羅衣白玉人。
曾逐使君歌舞地、淸泉長咽翠眉頻。
68. 摩訶池宴
摩訶池上春光早,愛水看花日日來。
穠李雪開歌扇掩,綠楊風動舞腰回。
蕪臺事往空留恨,金谷時危悟惜才。
晝短欲將清夜繼,西園自有月裴回。
69. 摩訶池贈蕭中丞
昔以多能佐碧油,今朝同泛舊仙舟。
淒涼逝水頹波遠,惟有碑泉咽不流。
70. 鄉思
峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。
71. 送盧員外
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
72. 斛石山曉望寄呂侍
曦輪初轉照仙扃,旋擘煙嵐上窅冥。
不得玄暉同指點,天涯蒼翠漫青青。
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薛濤 《賊平后上高相公》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9298 |
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賊平后上高相公
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
始信大威能照映,由來日月借生光。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
賊 平ぐの后 高相公に上【たてまつ】る
驚き看る 天地の白 荒荒たるを,瞥見【べっけん】す 青山の舊【きゅう】夕陽。
始めて信ず 大威【たいい】の能く 照映【しょうえい】するを,由來 日月 生光【しょうえい】を借す。
『賊平后上高相公』 現代語訳と訳註
(本文)
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。
(下し文)
賊 平ぐの后 高相公に上【たてまつ】る
驚き看る 天地の白 荒荒たるを,瞥見【べっけん】す 青山の舊【きゅう】夕陽。
始めて信ず 大威【たいい】の能く 照映【しょうえい】するを,由來 日月 生光【しょうえい】を借す。
(現代語訳)
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
(訳注)
賊平后上高相公
1. (劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
2. ・賊 劉闢の乱をいう。元和元年(西暦806年)、相次ぐ皇帝の死で重臣と宦官が抗争を繰り広げ、朝廷は荒れていた。憲宗皇帝が即位し、綱紀粛正に努め、朝廷は収まる。
しかし、蜀(剣南、後の四川省)の西川(せいせん)節度使・劉闢(りゅうへき)が挙兵し、蜀は劉姓の者が支配するべき(自分は劉備の再来である)と公言、朝廷に背く。劉闢討伐で朝廷の意見は割れるが、劉闢が成都に逃げ帰った後で、皇帝もようやく劉闢討伐の決断を下す。
その頃成都には、陳昭という孔目典(文書担当官)がいた。陳昭は劉闢の部下であるが、家臣ではないため騒ぎを静観していた。ある夜、仕事を終えて帰ろうとすると、上司に呼び止められ、劉闢の内衙(ないが、住居のこと)へ行くよう命じられる。部屋に先客がいたようで、ふと奇妙な勘が働き、陳昭は窓から部屋を覗き見る。すると、劉闢が口を大きく開き、客を丸呑みする異様な光景を見てしまう。
劉闢と目が合ってしまい、すぐに逃げ出す陳昭。劉闢からは、問答無用で殺せと命令が下る。必死に逃げる陳昭だが、眼前に兵士が現れ、ほこが突き下ろされる、そう思った瞬間、凄まじい叫びと共に兵士は倒れる。陳昭を助けたのは、美貌の若い女、名を尋ねると、聶隠、劉闢を殺しに来たと冷淡に答える。・元和二年[807年]西川劉闢の乱を鎮定した高崇文が諸軍都統を兼ねて転任してきた。
邠寧は關内の諸鎭のうちで朔方に代わり最も有力であり、
対吐蕃の前線として常に緊張を求められていた。
・崇文は元和4年[809年]卒した。その後神策系を中心とした武将の赴任先として続く、
閻巨源・李光顔・高霞寓・李聴などがみられる。
3. ・高相公 高崇文(746~809) 幽州、或いは渤海の人。 早くから平盧軍にあって軍幹を称され、789年に寧州を侵した吐蕃を大破して行営節度・御史中丞とされた。順宗の末年(805)に西川節度使劉闢が叛くと工部尚書・左神策行営指揮使とされて神策軍を以て平定し、検校司空・剣南西川節度使・南平郡王とされた。
4. 劉闢(未詳~806)徳宗の貞元年間(785~805)の進士。韋皋の死に伴い強請によって西川節度使に直されたが、翌年には三川(剣南西川・剣南東川・山南西道)兼領を強請し、左神策行営指揮使高崇文・山南東道節度使らに討平された。 これは同時期の淮南節度使李錡の叛乱失敗とともに、憲宗の対藩鎮強硬策の契機になったとされる。
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
5. ・白荒荒(はくこうこう) 荒荒は、薄暗いこと。誓淡におなじ。杜甫 五言律詩『漫成二首其一』「野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。 只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。」
漫成二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 6) 杜甫 <411> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2000 杜甫詩1000-411-594/1500
6. ・青山 遠く春霞の中の山々。夕日のシルエットの山ではない。
7. ・旧夕陽 昨日一昨日とおなじく輝いている夕日。
始信大威能照映,由來日月借生光。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
8. ・大威 一本に天成、また火威につくるものもある。いずれにしても、高崇文将軍の武威をいったもの。劉闢をとりこにし、乱をたいらげたことをさす。
9. ・借生光 借は、かりる意ではなく、貸す意。成都に入城した高崇文が、乱に関係した諸官吏をすべて助命し、城民からも何一つ奪わなかったことをいったものと思われる。