詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.63 薛濤 《續嘉陵驛詩獻武相國 》
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2017年10月19日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.63 薛濤 《續嘉陵驛詩獻武相國 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9305
(『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。)
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
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薛濤詩 |
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62. 賊平后上高相公
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。
63. 續嘉陵驛詩獻武相國
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
64. 上川主武元衡相國 其一
落日重城夕霧收,玳筵雕俎荐諸侯。
因令朗月當庭燎,不使珠帘下玉鉤。
65. 上川主武元衡相國 其二
東閣移尊綺席陳,貂簪龍節更宜春。
軍城畫角三聲歇,云幕初垂紅燭新。
66. 題嘉陵驛 武元衡
悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。
路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。
67. 聽歌 武元衝
月上重樓絲管秋,佳人夜唱古梁州。
滿堂誰是知音者,不惜千金與莫愁。
武元衝 贈歌人
林鶯一哢四時春、蟬翼羅衣白玉人。
曾逐使君歌舞地、淸泉長咽翠眉頻。
68. 摩訶池宴
摩訶池上春光早,愛水看花日日來。
穠李雪開歌扇掩,綠楊風動舞腰回。
蕪臺事往空留恨,金谷時危悟惜才。
晝短欲將清夜繼,西園自有月裴回。
69. 摩訶池贈蕭中丞
昔以多能佐碧油,今朝同泛舊仙舟。
淒涼逝水頹波遠,惟有碑泉咽不流。
70. 鄉思
峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。
71. 送盧員外
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
72. 斛石山曉望寄呂侍
曦輪初轉照仙扃,旋擘煙嵐上窅冥。
不得玄暉同指點,天涯蒼翠漫青青。
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薛濤 《續嘉陵驛詩獻武相國》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9305 |
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續嘉陵驛詩獻武相國
(『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。)
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
この詩は、武元衝の「嘉陵驛に題す」と題した次の詩につづけて作ったものである。
悠悠風旆繞山川、山驛空濛雨作煙。
路半嘉陵頭己白、蜀門西更上青天。
悠悠 風旆 山川を繞る、山驛 空濛 雨 煙と作る。
路 嘉陵に半ばして頭は己に白くし、蜀門 西のかた更に青天に上る。
『續嘉陵驛詩獻武相國』 現代語訳と訳註
(本文)
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
(下し文)
(「題嘉陵驛」の詩に續いて武相國に獻ず)
蜀門 西のかた更に青天に上り,強いて公の為に蜀國の弦を歌わん。
卓氏 長卿 士女を稱し,錦江 玉壘 山川を獻ず。
(現代語訳)
(『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。)
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
(訳注)
續嘉陵驛詩獻武相國
『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。
・續 武元衝の「嘉陵驛に題す」の原作につづける意。武元衝の詩の第四句が。薛濤の詩の第一句になっている。
・嘉陵驛 今の四川省の広元。嘉陵江の東岸にあり、秦から蜀への要道を拒し、その第一の高処。西は剣門に入り南の成都へ向かう。城の西門に「全蜀咽喉」の四字が掲げられている。
・武相國 武元衝が創南西川節度使として蜀に赴任してきたとき、最初の宴席で彼女が賦したものであろう。武元衡の赴任は、憲宗の元和二年、冬十月のことであった(武元衡の「准南の中書相公の寄せらるるに酬ひたてまつる」といぅ詩の序文に、「皇帝改元の二年、余、詔によって放校更部尚書兼門下侍郎を授けられ、膨弓致矢、出でて西局を潰す」とあることにょって知られる)から、従ってこの詩は蹄溝が四十歳のときの作ということになる。武詩の第四句を、蒔溝は第一旬に取り入れてうけていることに注意。また彼女が武元衡にたてまった詩は、ほかにもある。
62・63 上川主武元衡相國二首
其一
落日重城夕霧收,玳筵雕俎荐諸侯。
因令朗月當庭燎,不使珠帘下玉鉤。
其二
東閣移尊綺席陳,貂簪龍節更宜春。
軍城畫角三聲歇,云幕初垂紅燭新。
とある。
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
・卓氏長卿 卓氏は卓王孫のむすめの卓文君。長卿は漢の司馬相如のあざな。成都の人。相如は臨邛の官邸に客として泊まっているうち、卓邸に招かれ、琴をひいて卓文君を誘惑し、二人は手を振りあって成都に逃走し、酒肆を開いて、文君は炉にのぞみ、相加は酒器を洗ったので、王孫は恥じてこれに金と奴隷を与えたので、司馬相如は一挙に富人となり、都へ出発。武帝に「上林」・-「子鹿」の杭を献じて、郎となり、西南夷を平定して功あり、孝文園の吏となり、病んで茂陵で死んだが、漠代文学の代表的作家であった。
・錦江 成都附近を流れる河の名。もとこの地に錦官を置き、この川で濯いでつくられた錦の製造を監督した。
・玉塁 四川省理蕃県東南にある山の名、現在四川省都江堰市玉塁山(標高約800m)。奇石千尺、城表に伐立屹立している。青城山、峨媚山とならんで四川省の代表的な山。