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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

九、033卷804_31-#1 《遣 懷》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9930

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全唐詩卷804_31-#1 《遣 懷》 魚玄機

 

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九、033804_31-#1 《遣 懷》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9930

(ゆったりと風流に暮らしている時の胸の思いを詠う)

暇でのんびりしている。別に何かをしなければならないというわけでもない。よい景色のなかで、ひとりで悠々自適に過ごす。
雲の切れ間に明るい月が顔を出す、大江にかげをおとす。繋がれていた舟が、ともづなを解いて、海にむかって進む。
優雅に琴をきままにかなでるならば、南朝梁の時代に建てられた多くの寺であり、詩歌を吟ずるには南朝中原の名門貴族の家に生まれ、若い頃から美貌と威厳のある風格をそなえ、清談の名手としても名を知られていた庾亮の樓であろう。
しずかな竹林であれば一人でのびのびし散歩するものであり、庭の石をじっとめでるのは、こだわりやわずらわしさもないのがよいことだ。

 

 

 

 

魚玄機 全詩 

 

 

全唐詩卷804_31

遣懷

閑散身無事,風光獨自遊。斷雲江上月,解纜海中舟。

琴弄蕭梁寺,詩吟庾亮樓。叢篁堪作伴,片石好為儔。

#2
燕雀徒為貴,金銀誌不求。滿杯春酒綠,對月夜窗幽。

繞砌澄清沼,抽簪映細流。臥牀書冊遍,半醉起梳頭。

 

全唐詩卷804_32

寄飛卿 

階砌亂蛩鳴,庭柯煙露清。月中鄰樂響,樓上遠山明。

珍簟涼風著,瑤琴寄恨生。嵇君懶書劄,底物慰秋情。

 

全唐詩卷804_33

過鄂州  

柳拂蘭橈花滿枝,石城城下暮帆遲。

折牌峰上三閭墓,遠火山頭五馬旗。

白雪調高題舊寺,陽春歌在換新詞。

莫愁魂逐清江去,空使行人萬首詩。

 

全唐詩 卷804_34

夏日山居
移得仙居此地來,花叢自遍不曾栽。
庭前亞樹張衣桁,坐上新泉泛酒杯。
軒檻暗傳深竹徑,綺羅長擁亂書堆。
閑乘畫舫吟明月,信任輕風吹卻回。


 

 

魚玄機 《遣 懷》

 

 

訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9888

 

 

804_31 【遣懷】魚玄機

 

遣懷#1
(ゆったりと風流に暮らしている時の胸の思いを詠う)

閑散身無事,風光獨自遊。
暇でのんびりしている。別に何かをしなければならないというわけでもない。よい景色のなかで、ひとりで悠々自適に過ごす。
斷雲江上月,解纜海中舟。
雲の切れ間に明るい月が顔を出す、大江にかげをおとす。繋がれていた舟が、ともづなを解いて、海にむかって進む。
琴弄蕭梁寺,詩吟庾亮樓。
優雅に琴をきままにかなでるならば、南朝梁の時代に建てられた多くの寺であり、詩歌を吟ずるには南朝中原の名門貴族の家に生まれ、若い頃から美貌と威厳のある風格をそなえ、清談の名手としても名を知られていた庾亮の樓であろう。
叢篁堪作伴,片石好為儔。
しずかな竹林であれば一人でのびのびし散歩するものであり、庭の石をじっとめでるのは、こだわりやわずらわしさもないのがよいことだ。
#2
燕雀徒為貴,金銀誌不求。
滿杯春酒綠,對月夜窗幽。
繞砌澄清沼,抽簪映細流。
臥牀書冊遍,半醉起梳頭。

懐を遣る
閑散 身に事無く、風光濁り自ら遊ぶ。
雲を断つ 江上の月、纜を解く 海中の舟。
琴は蕭梁の寺に弄し、詩は庚亮の樓に吟ず。
叢篁 伴を作すに堪え、片石 儔を為すに好し。

#2

燕雀 徒に 貴と為し、金銀 志として 求めず。
杯に満せば 春酒 緑なり、月に封して 夜窗 幽なり。
砌を繞って 清沼 澄み、簪を抽いて 細流に映す。
臥牀 書冊偏く、半酔 起って 梳頭す。

 

『遣懷』 現代語訳と訳註
(
本文)

閑散身無事,風光獨自遊。
斷雲江上月,解纜海中舟。
琴弄蕭梁寺,詩吟庾亮樓。
叢篁堪作伴,片石好為儔。


(下し文)

(懐を遣る)

閑散 身に事無く、風光濁り自ら遊ぶ。

雲を断つ 江上の月、纜を解く 海中の舟。

琴は蕭梁の寺に弄し、詩は庚亮の樓に吟ず。

叢篁 伴を作すに堪え、片石 儔を為すに好し。

 

(現代語訳)
(ゆったりと風流に暮らしている時の胸の思いを詠う)

暇でのんびりしている。別に何かをしなければならないというわけでもない。よい景色のなかで、ひとりで悠々自適に過ごす。
雲の切れ間に明るい月が顔を出す、大江にかげをおとす。繋がれていた舟が、ともづなを解いて、海にむかって進む。
優雅に琴をきままにかなでるならば、南朝梁の時代に建てられた多くの寺であり、詩歌を吟ずるには南朝中原の名門貴族の家に生まれ、若い頃から美貌と威厳のある風格をそなえ、清談の名手としても名を知られていた庾亮の樓であろう。
しずかな竹林であれば一人でのびのびし散歩するものであり、庭の石をじっとめでるのは、こだわりやわずらわしさもないのがよいことだ。


(訳注)
遣懷
1.
 (ゆったりと風流に暮らしている時の胸の思いを詠う)

2. ・遣懷 胸中のおもいを吐きだすことと云うことだが、この詩は二句、一聯ごとにテーマがあり、八つのテーマがある。女性が律詩を詠う事が珍しい時代に、男性に負けてなるかと上句でテーマの全体について述べ、下句で、対句を表現しながらその具体的なことを述べている。

一聯:現在の生活(暇を玩び漫然とする⇒その中で悠々自適で風流に生きる。)

二聯:遠望(雲間から月が長江を照らす⇒係留している船が月に照らされ、帆を上げて出発する。)

三聯:風流【音楽・詩】(琴を奏でるには梁武帝が多く立てた寺が良いが、風流にかける、風流に詩詞を吟じるには庾亮樓が一番である)
四聯:風流【散歩・座して眺める】(今は竹林を一人で散歩してゆったりした思いであるくが、もっとゆったりとした気持ちで過ごせるのは、石庭の片石を眺めている時である。)


(
一)
閑散身無事,風光獨自遊。
暇でのんびりしている。別に何かをしなければならないというわけでもない。よい景色のなかで、ひとりで悠々自適に過ごす。
3. ・閑散 ひまで何するということもなくのんびりしていること。
4.
 ・風光 風景。自然をともとして。


(
二)
斷雲江上月,解纜海中舟。
雲の切れ間に明るい月が顔を出す、大江にかげをおとす。繋がれていた舟が、ともづなを解いて、海にむかって進む。
5. ・江上 大江。


(三)
琴弄蕭梁寺,詩吟庾亮樓。
優雅に琴をきままにかなでるならば、南朝梁の時代に建てられた多くの寺がいちばんよいが、詩歌を吟ずるには、南朝中原の名門貴族の家に生まれ、若い頃から美貌と威厳のある風格をそなえ、清談の名手としても名を知られていた庾亮の樓である。ここは、白居易、鄭谷など多くの詩人が詠ったところである。
6. ・琴弄 琴を情熱的につま弾いて、梁の上の埃をなくす。

7. ・蕭梁の寺 南朝梁は、蕭氏の朝廷であったことで、五代の後は、朱梁と区別するためこういう。この蕭梁の時に多くの寺が建てられたことをいう。
武帝は異常なほど仏教に傾倒し、後世からはこのために梁の亡国を招いたとして非難される一因となっている。まず武帝は在位中に4回も捨身を行なう異常ぶりで、さらに中国皇帝は国家儀礼は儒教に基づいて行なうのが当然なのだが武帝は仏教に基づいて行なっており、さらに大赦と改元を伴って行なうなど常識を逸脱する熱烈ぶりが目立つようになっている。ただし仏教が武帝や梁の民衆にここまで受け入れられたのは、後漢という長期政権の崩壊後、魏晋南北朝時代という動乱期で儒教の価値観が低下し自己の救済を仏教に求めたため、という側面もあった事を理解しておく必要がある。とはいえこのような異常ともいえる仏教傾倒は梁における仏教隆盛をもたらした反面で、皇帝や皇族の放恣や側近による専権、貴族層の実務忌避や寺院の建立による財政悪化による民衆の窮乏と社会不安の増大という国勢の衰退を助長した。
8.
 庾亮(ゆりょう、289 - 340年)は、中国東晋の政治家。字は元規。潁川鄢陵(現河南省)の出身。庾琛の子で庾彬、庾羲の父。
西晋時代、中原の名門貴族の家に生まれ、若い頃から美貌と威厳のある風格をそなえ、清談の名手としても名を知られていた。当時の人々は彼を夏侯玄や陳羣になぞらえたという。八王の乱、永嘉の乱で中原が戦乱に見舞われると、父親に従い会稽に難を避ける。ある秋の夜、南樓にのぼり配下の殷浩らとともに、月を愛でて詩を作った。九江に駐屯した時、この地に楼を立てていることから、庾亮樓といえば九江に建つ樓をいう。この語により、魚玄機が卾州から長江を下ったとされるが、詩人の地名の使い方は、想像もあるので、視点を変えた確認が必要であろう。


(四)
叢篁堪作伴,片石好為儔。
しずかな竹林であれば一人でのびのびし散歩するものであり、庭の石をじっとめでるのは、こだわりやわずらわしさもないのがよいことだ。
9. ・叢篁 むらがり生えている竹。しずかな竹林。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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