詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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不定期論文〈女性論〉 《唐代民間女性詩人(3) 》
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2017年8月27日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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不定期論文 〈女性論〉 |
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《民間の才女(3)》 |
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女性論
民間の才女(3)
唐代には貴婦人、令嬢が詩を吟じ賦を作ったばかりでなく、姫妾、家妓、侍婢の中にも文章を書き詩を作る者はいた。
⑳.盧東表の侍女竇梁賓、㉑.郭元振の妾薛瑶、㉒.李華の侍児程洛賓、㉓李愿の家妓崔紫雲らは、皆よく詩を作ることができた。
竇梁賓の次の一首「雨中看牡丹」はたいへん情緒がある。
東風未放曉泥乾,紅藥花開不奈寒。
待得天晴花已老,不如攜手雨中看。
東風未だ放かず 暁に泥は乾く、紅薬(ここでは牡丹の意)花開くも寒さを奈ともするなし。天の晴れたるを待ち得たれば花は已に老ゆ、如かず手を携えて雨中に看るに。(雨中に牡丹を看る)
披女たちの中で、最も有名なのは節度使張恰の愛姫関附附である。彼女は一人で燕子楼(徐州市に在った楼)に十余年も住んだ。彼女が作った「燕子楼」の詩三首は、人々から伝誦された。それには傷心と悲哀の気持がよく表現されており、彼女の独居生活の真情が溢れている。
この他、㉔寇坦の母趙氏、㉕郎大家の宋氏、㉖鮑参軍の妻張文姫、㉗潘令の妻王氏、㉘長孫佐転の妻、㉙劉元載の妻、㉚魏求己の妹、㉛喬知之の妹、そして㉜劉媛、㉝劉雲、㉞張琰、㉟劉瑶、㊱崔仲容、㊲梁瓊、㊳楊徳麟、㊴薛蘊、㊵葛鵶兒、㊶崔萱、㊷崔公遠、㊸廉氏、㊹田峨、㊺張瑛などの一群の才女、才婦たちがいた。彼女たちの身の上
はもはや調べるすべもない。また名前さえ失われた人々もいる。しかし、残された作晶には佳作が少なくない。
㊺張瑛 《望月》
天漢涼秋夜,澄澄一鏡明。山空猿屢嘯,林靜鶴頻驚。
天漢 秋夜涼しく、澄澄として一鏡明らかなり。
山空しく猿は屡しば礦き、林静かに鶴は頻りに驚く。(張瑛「望月」)
㉕郎大家宋氏《雜曲歌辭。長相思》
長相思,久離別。關山阻,風煙絕。台上鏡文銷, 袖中書字滅。不見君形影,何曾有歡悅。
長の相思、久しき離別。関山に阻まれ、風煙に絶ゆ。台上の鏡の文は蛸え、袖中の書の字も滅ゆ。君の形影を見ざれば、何ぞ曾て歓悦有らん。(㉕郎大家宋氏「長相思」)
㊻劉淑柔 《中秋泊夜武昌》
兩城相對峙,一水向東流。 今夜素娥月,何年黄鶴樓。 悠悠蘭棹晚,渺渺荻花秋。 無奈柔腸斷,關山總是愁。
両城(武昌、漢口)相い対峙し、一水 東に向きて流る。今夜素蛾の月、何年黄鶴楼。悠悠として蘭の棹は晩く、渺渺と荻の花は秋なり。無奈せん柔らかき腸は断たれ、関山総て是れ愁なり。(劉淑柔「中秋の夜武昌に泊す」)
㊵葛鵶兒 懷良人
蓬鬢荆釵世所稀,布裙猶是嫁時衣。胡麻好種無人種,正是歸時不見歸。
「蓬の鬢 荊の釵は 世の稀とする所なり、布の裙は猶お是れ嫁ぎし時の衣。胡麻は種えるに好きも人の種える無し。正に是れ帰る時に帰るを見ず。(葛輯児「良人を懐う」)
(胡麻好種 胡麻の種蒔は夫婦が共にまけば豊作になると信じられていたことをいう。)
これらの詩の多くは真情にあふれ、胸中の思いを率直に述べている。また表現も自然で素朴であり、飾り気がない。これは唐代の女性の詩詞にみえる一つの特色であるのは、女性を人として認める社会であったことを示すものであろう。
大量の詩詞の他に、一群の女性たちが書いた女道徳書がある。これらの作品はそうたいした価値があるわけではないが、記録によれば著者たちには文学の教養があり、著述をよくする女性であったようだ。『全唐文』にはまた別の女性たちの著作が収録されている。
㊼李邕妻温氏 《為夫謝罪表》
妾温氏言邕効職不謹狀涉貪狼逼迫囹圄獲罪以聞誠宜不待刑書便當殞滅然事有所隠恐負明時天聞夐逺號訴不敢倉卒之際分從嚴誅豈謂天鑒仁明邕得生竄荒外再造之幸上答何階死罪死罪邕少習文章薄竊時譽疾惡如讐徃任拾遺奏張昌宗之黨後叅憲府劾武三思之罪坐此為累不容于衆秉邪佞者切齒攻文章者側目由是頻謫逺郡削跡朝端不見闕庭何啻十載嵗時凝戀聞者傷懐屬國家有事東岳大禮告成法駕西旋路遵近境邕奉牛酒之獻各展臣子之心不意天澤曲垂恩私屬沐邕當再躍何以為心懇至夙誠冀遂申効妾聞正直見用邪佞生憂邕之禍端自此為始且邕比任外官竟無一議天顔暫顧罪則旋生諺云士無賢不肖入朝見嫉伏惟陛下明察此言妾之㣲軀萬死無恨死罪死罪邕初䝉勘當即便禁身水不入口向逾五日孤直援寡邪黨相趨窘急至深實不堪忍氣㣲息奄惟命〈唐書作吏〉是聽遺邕手書事生吏口貸百姓蠶糧〈唐書作種〉抑稱枉法市羅以進令作贓私吏以為能守此加罪當時匭使朝堂潛皆守捉號天訴地誰肯為聞嚴命将行恭徃奔逐泣血去國没〈唐書作投〉骨炎荒長任欽州示以無用願邕充一卒之用効力明時膏塗朔邉骨糞沙壤使得身死王事成邕夙心妾則碎首粉身萬死為足妾夫婦義重當見其志不避罪責冒死上聞儻天光垂照即當殞滅妾之榮幸實荷再生謹奉表投延恩匭
この詩は、李邕の妻温氏の亡夫の為めに罪を謝す表であり、
㊽曹因の妻周氏が亡夫のために書いた
曹因妻周氏 《唐曹因墓铭》
慶元三年,信州上饒尉陳莊發土得唐碑,乃婦人為夫所作。其文曰:「君姓曹,名因,字鄙夫,世為鄱陽人。祖、父皆仕於唐高祖之朝,惟公三舉不第,居家以禮義自守。及卒於長安之道,朝廷公卿、鄉鄰耆舊,無不太息。惟予獨不然。謂其母曰:『家有南畝,足以養其親;室有遺文,足以訓其子。肖形天地間,範圍陰陽內,死生聚散,特世態耳,何憂喜之有哉!』予姓周氏,公之妻室也。歸公八載,恩義有奪,故贈之銘曰:『其生也天,其死也天,苟達此理,哀復何言!』」予案唐世上饒本隸饒州,其後分為信,故曹君為鄱陽人。婦人能文達理如此,惜其不傳,故書之,以裨圖志之缺。
「曹君の墓碑」等である。これらの作品は、作者が非凡な才能と見識を持っていたことをよく示している。しかし、多くの女性たちの著作はほとんど残らず失われてしまったのである。