詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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不定期論文〈女性論〉 《唐代民間女性詩人(2) 》
不定期論文〈女性論〉 《唐代民間女性詩人(2) 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8990
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2017年8月26日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
745-031-#2巻175-14 對雪奉餞任城六父秩滿歸京(卷十六(二)九八四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8963 |
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806年-123 先生-巻八-05秋雨聯句【案:韓愈、孟郊】-#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8964 |
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767年-138五律 雞(卷一七(四)一五三四)五律注(1024)夔州詠物八首の6 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8980 |
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Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
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不定期論文 〈女性論〉 |
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《民間の才女(2)》 |
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女性論
民間の才女(2)
12.鄱陽(江西省鄱陽県)の女性程長文は誣告によって獄に投ぜられたが、彼女は獄中で一首の長詩を作った。一宇一字が自分の人生、境遇、冤罪の実情を表す血涙となっており、いわれない冤罪をはらしてくれるよう官府に訴えるものであった。
《春閨怨》程長文
綺陌香飄柳如線,時光瞬息如流電。
良人何處事功名,十載相思不相見。
陌香を綺にして柳は飄るは線の如し,時に光り瞬息するは流電の如し。
良人 何處にか功名を事し,十載 相思するも相に見えず。
13. 杜羔の妻趙氏は詩をよくした。夫は毎年科挙の試験に合格できず、落第して家に帰ろうとした時、趙氏は夫に詩を送って
《夫下第》
良人的的有奇才,何事年年被放回。
如今妾面羞君面,君若來時近夜來。
良人は的的に奇才有り、何事ぞ年年放ち回さるる。
如今 妾が面は君の面を羞ず、君若し来る時 夜に近づきて来れ。(趙氏「夫下第す」)
といった。杜恙は詩を見て発奮し、果して合格した。趙氏は夫の合格を聞くと、夫が花柳界で遊ぶのを心配して、また一首作って送った。
《聞夫杜羔登第》(一作聞杜羔登第又寄)趙氏2
長安此去無多地,郁郁蔥蔥佳氣浮。
良人得意正年少,今夜醉眠何處樓。
長安 此のたび去けば無多なる地、僻僻葱葱【はなやぎめでたく】 佳気浮【みなぎ】る。
良人 意を得て正に年少、今夜 酔眠 何処の楼。(夫杜羔の登第を聞く一)。
張揆の妻侯氏 亀形詩
14. 軍人張揆の妻侯氏は夫が辺境の守りについて十年も帰らなかったので、亀形詩を剌繍で縫いとり天子に捧げた。その詩に、
《繡亀形詩》. 邊将張揆妻侯氏
暌離已是十秋強,對鏡那堪重理妝。
聞雁幾回修尺素,見霜先爲制衣裳。
開箱疊練先垂淚,拂杵調砧更斷腸。
繡作龜形獻天子,願教征客早還鄉。
瞼離れて已に是れ十秋強、鏡に対って那ぞ堪えん 重ねて赦を理うるに。
聞くならく雁は幾たびか廻りて尺素を修むと、霜を見て先ず為に衣裳を製る。
箱を開き練を畳ねて先ず涙を垂れ、杵を払い砧を調えて更に腸を断つ。
繡は亀の形を作して天子に献ず、願わくは征客をして早く郷に還らしめよ。(「亀形詩を繍とる」)
と書いた。武宗はこれを見ると、すぐ張揆を故郷に帰らせ、さらに侯氏に絹三百匹を与えて彼女の才学を表彰した。
15. 宋庭瑜の妻張氏は詩賦に優れていた。夫が都から地方に左遷された時、彼女は「南征賦」を書いて宰相の張説に送り、夫が左遷されたことに対する怨みごとを述べた。張説は披女を誉めて“北征賦”を書いた曹大家班昭の如しだ」といった。
《舊唐書》卷一九三〈列女傳〉:「宋庭瑜妻魏氏,定州鼓城人。隋著作郎. 彥泉之後也。世為山東士族。父克己,有詞學,則天時為天官侍郎。魏氏. 善屬文。先天中,庭瑜自司農少卿左遷涪州別駕,魏氏隨夫之任,中路作. 〈南征賦〉以敘志,詞甚典美。開元中,庭瑜累遷慶州都督。初,中書令張說年少時為克己所重,魏氏恨其夫為外職,乃作書與說,敘亡父疇昔之事,并為庭瑜申理,乃錄南征賦寄說。說歎曰:「曹大家東征之流也。」庭瑜尋轉廣州都督,道病卒。
16. 薛媛の夫南楚材は地方官として遊歴して家に帰らなかった。また彼には愛人があった。薛媛は鏡に映った自分の顔を画に描き、それに詩を付して夫に送った。
写真寄夫 薛媛
欲下丹青笔,先拈宝鏡寒。 已惊顔索寞,漸覚鬓凋残。
泪眼描将易,愁腸写出難。 恐君浑忘却,時展画圖看。
丹青の筆を下ろさんと欲して、先に宝鏡の寒きを拈る。
已に顔の索寞を経、漸く鬓の凋残を覚ゆ。
涙眼 描将ことは易きも、愁腸写出ことは難し。
君が渾て忘却するを恐る、時に画図を展きて看よ。(「真を写して夫に寄す」)。
南楚材は詩と畫を見るとたいへん恥ずかしく思い、家に帰って薛媛と仲良く暮らした。
17. 大商人任宗之の妻郭紹蘭は、夫が商売で多年家に帰らなかったので、詩を作り燕の足に付けて夫に送ってその薄情を責めた。夫は詩を読むと泣いて家に帰った。
詩を書いて気持や愛情を仏えるのは、なおさら一般的なことである。
18. 裴羽仙の夫は外地に遠征し、19.陳玉蘭の夫は長年辺境の守備に当った。彼女たちは夫に軍服を送る時、詩も一緒に付し、夫に対する思幕と親愛の想いを伝えた。陳玉蘭は詩の中で、
《寄夫》 陳玉蘭
夫戍邊關妾在吳,西風吹妾妾憂夫。
一行書信千行淚,寒到君邊衣到無。
夫は辺関を戌り妾は呉に在り、西風妾を吹けば妾は夫を憂う。
一行の書信に千行の涙、寒さ君の辺に到る 衣は到るや無や。(「夫に寄す」)と書いた。
19. 進士彭伉は官となって地方に赴任していた。妻の張氏は詩を送って思慕の気持を伝えた。
《寄夫二首,之一》彭伉の妻の張氏
久無音信到羅幃。路遠迢迢遣問誰。
聞君折得東堂桂。折罷那能不暫歸。
《寄夫二首,之二》彭伉の妻の張氏
驛使今朝過五湖。殷勤為我報狂夫。
從來誇有龍泉劍。試割相思得斷無。
駅使今朝 五湖を過ぎん、殷勤も我が為に狂夫に報ぜよ。
従来 龍泉剣(天下の名剣)を有するを誇る、試みに割て 相思の断ち得るや無や。
閨房の少女が詩を借りて気持や愛情を伝える、といった風流韻事となると、当時これは枚挙にいとまがないほどであったという。唐代の小説、随筆のいたるところに見られる、才女が詩によって愛情を伝えるという形式は、後世の戯曲、小説の一つのパターンとなったが、これは唐代に大いにその端を発すると言わざるを得ない。