詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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九、003卷804_3《寄國香 》魚玄機
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2017年12月7日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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九、003卷804_3《寄國香 》魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9641
(長安で親しかった歌姫の國香から便りが届いたので、返事を書いて寄せた詩)
朝晩、酒宴にでて詩詞を作り、吟じています。思いを寄せていたあの人とではなく、ただ春の思いをしているだけなのです。
春の長雨の中あなたからの手紙を持ってきた使いの人が来てくれたのです。わたしは窓の下でいくら待っても来ない男を待つだけのひとでいます。
ここは隠霧亭のある山があり、ここからも玉すだれをかかげて山を望みます。愁いの気持ちはこの春の新しく芽を出した芳草を見て沈んだ心になります。
別離のための立派な宴会があるでしょう、わたしたち女は幾たびもあの部屋の梁の上に降り重なり塵埃のように同じことの繰り返しを経験していくのです。
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魚玄機 全詩 |
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九、000《魚玄機の全詩 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9578
九、001卷804_1《賦得江邊柳 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9585
九、002卷804_2《贈鄰女 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9592
九、003卷804_3《寄國香 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9641
九、004卷804_4《寄題錬師 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9648
九、005卷804_5《寄劉尚書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9655
九、006卷804_6《浣紗廟 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9662
九、007卷804_7《賣殘牡丹》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9669
九、008卷804_8《酬李學士寄簟》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9676
九、009卷804_9《情書(書情寄李子安)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9683
九、010卷804_10《閨怨》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9648
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魚玄機 《寄國香》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9641 |
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寄國香
(長安で親しかった歌姫の國香から便りが届いたので、返事を書いて寄せた詩)
旦夕醉吟身,相思又此春。
朝晩、酒宴にでて詩詞を作り、吟じています。思いを寄せていたあの人とではなく、ただ春の思いをしているだけなのです。
雨中寄書使,窗下斷腸人。
春の長雨の中あなたからの手紙を持ってきた使いの人が来てくれたのです。わたしは窓の下でいくら待っても来ない男を待つだけのひとでいます。
山捲珠簾看,愁隨芳草新。
ここは隠霧亭のある山があり、ここからも玉すだれをかかげて山を望みます。愁いの気持ちはこの春の新しく芽を出した芳草を見て沈んだ心になります。
別來清宴上,幾度落梁塵。
別離のための立派な宴会があるでしょう、わたしたち女は幾たびもあの部屋の梁の上に降り重なり塵埃のように同じことの繰り返しを経験していくのです。
國香に寄す
旦夕酔吟の身、相思何れの虞にか申べん。
雨中書を寄する使、窗下腸を断つの人。
山は珠簾を捲いて 看る、愁は芳草に随って 新なり。
別来清宴の上、幾度か 梁塵を落したまひしならん。
『寄國香』 現代語訳と訳註
(本文)
寄國香
旦夕醉吟身,相思又此春。
雨中寄書使,窗下斷腸人。
山捲珠簾看,愁隨芳草新。
別來清宴上,幾度落梁塵。
(下し文)
國香に寄す
旦夕酔吟の身、相思何れの虞にか申べん。
雨中書を寄する使、窗下腸を断つの人。
山は珠簾を捲いて 看る、愁は芳草に随って 新なり。
別来清宴の上、幾度か 梁塵を落したまひしならん。
(現代語訳)
(長安で親しかった歌姫の國香から便りが届いたので、返事を書いて寄せた詩)
朝晩、酒宴にでて詩詞を作り、吟じています。思いを寄せていたあの人とではなく、ただ春の思いをしているだけなのです。
春の長雨の中あなたからの手紙を持ってきた使いの人が来てくれたのです。わたしは窓の下でいくら待っても来ない男を待つだけのひとでいます。
ここは隠霧亭のある山があり、ここからも玉すだれをかかげて山を望みます。愁いの気持ちはこの春の新しく芽を出した芳草を見て沈んだ心になります。
別離のための立派な宴会があるでしょう、わたしたち女は幾たびもあの部屋の梁の上に降り重なり塵埃のように同じことの繰り返しを経験していくのです。
(訳注)
寄國香
1. (長安で親しかった歌姫の國香から便りが届いたので、返事を書いて寄せた詩)
2. 國香というのは、歌姫(芸妓)の名である。彼女が李億の妾となる前から、長安で親しかった歌姫で、それがはるばる今彼女のいる鄂州へ便りをくれたことに対し、返事した詩である。
この詩では李億に捨てられたことは芸妓の身である以上裂離ということを覚悟をしているのだ。
3. 唐の歌妓優 玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃バ勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内廷に入れると宜言したので(『H唐書』李絲伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「覚裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。
* 梨園、宜春院。玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学ばせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。
旦夕醉吟身,相思又此春。
朝晩、酒宴にでて詩詞を作り、吟じています。思いを寄せていたあの人とではなく、ただ春の思いをしているだけなのです。
4. ・旦夕 朝・晩。
5. ・酔吟 酔って詩や歌を口ずさむこと。
雨中寄書使,窗下斷腸人。
春の長雨の中あなたからの手紙を持ってきた使いの人が来てくれたのです。わたしは窓の下でいくら待っても来ない男を待つだけのひとでいます。
6. ・寄書使 国香からの手紙をもってきた使者。
山捲珠簾看,愁隨芳草新。
ここは隠霧亭のある山があり、ここからも玉すだれをかかげて山を望みます。愁いの気持ちはこの春の新しく芽を出した芳草を見て沈んだ心になります。
7. ・山捲珠簾看 白居易『香炉峰下新卜山居 草堂初成偶題東壁』(香炉峰の雪は簾を撥かかげて看る、隠棲した後ゆっくりとしたした気持ちを云う。)に基づいている。
別來清宴上,幾度落梁塵。
別離のための立派な宴会があるでしょう、わたしたち女は幾たびもあの部屋の梁の上に降り重なり塵埃のように同じことの繰り返しを経験していくのです。
8. ・清宴 官僚が列席した立派な宴会。魚玄機たちは官妓であった。中央政府の道教観や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里にあった。
9. ・梁塵 寝牀に寝て見えるのが梁や天井であることから男と寝牀を共にすることを意味し、男女の別れを意味している。
10. ・妓優の義兄弟 この詩は、魚玄機と國香との仲を、「香火兄弟」の様な中ではなかったかという事である。 外教坊の芸妓の大半は、家族全員が宮廷に仕える芸人集団であった。たとえば裴大娘自身は歌舞妓であり、その兄は筋斗伎であり、夫は竿木伎であった。芸妓たちの生活は、たいてい皇室からの給養で成り立っており、いつでも御召にそなえ、宮中に出仕したが、それ以外に宮廷外の招きに応じることもできたようである。たとえば『教坊記』に次のような話が載っている。蘇五奴の妻で歌舞妓であった張四娘は、「踏謡娘」を上手に演ずることができたので、いつも人々から招かれた、と。おそらく一定の報酬を得ていたことだろう。
教坊妓は彼女たち独特の一風変った生活の仕方と考えを持っていた。彼女たちは仲間同士で意気投合すると、「香火兄弟」(神仏の前で香火をたき義姉妹の契りを結んだ仲)となった。多いものは十四、五入少ないものでもハ、九人がそれぞれ集団をつくった。もし、その中のT入が嫁に行くと、香火兄弟たちは彼女の夫を女仲間にみたてて、「嫂嫂」とか「新婦」などとよんだ。また同時にその夫に睦み親しむことができたが、妻となった妓は決して嫉妬することはなかった。彼女たちはそれを突叛の習俗にならったものであるといっていた。