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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

九、集-02【字解集】 6.浣紗廟 7.賣殘牡丹 8.酬李學士寄簟 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9704

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20171217

の紀頌之”6”つの校注Blog

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九、集-02【字解集】 6.浣紗廟 7.賣殘牡丹 8.酬李學士寄簟 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9704


 【字解集】 
6.浣紗廟 

浣紗廟
越相謀計策多,浣紗神女已相和。
一雙笑靨才回面,十萬精兵盡倒戈。
範蠡功成身隱遁,伍胥諫死國消磨。
只今諸
長江畔,空有青山號苧蘿。

浣紗廟
呉越相謀るに計策多く、浣紗の神女己に相和す。
一雙の笑靨【しょうよう】複に面を回らせば、十萬の精兵 盡く戈を倒【さかしま】にす。
範蠡【はんれい】は 功成って 身 隱遁【いんとんn】し、伍胥【ごしょ】は 諌死【かんし】して 國 消磨す。
只今 諸
【しょき】長江の畔、空しく青山の苧蘿【ちょら】と號【ごう】する有るのみ。

 

浣紗廟 

1. (お座敷の余興か、書斎で作ったもの、詠史の詩が流行していたので、刺激を受けて作った)

2.  浣紗廟  諸曁(しょき)市城区の南部、苧蘿山のほとりを流れる浦陽江(浣江・浣紗渓・浣浦ともいう)の川岸に西施石(浣紗石)、浣紗廟がある。呉越抗争のころ、越の美女西施がこの渓川で洗濯をしていたとつたえられている。紗はうすぎぬ。浣はすすぐ。せんたくすること。1980年、西施を記念する西施亭が、1990年、西施殿が再建されている。


越相謀計策多,浣紗神女已相和。

呉の國と越の国と互いに陰謀して抗争し合っていたときに、この山の下の川縁で洗濯をしていた絶世の美女西施は、范蠡に見出された。それで彼女は越國の復興のために力を合わせると合意したのだ。
3. ・ 春秋時代に、今の江蘇省南部を中心にした呉の国(首都は今の蘇州)と、その南方、折江省の紹輿を中心にした越の国(首都は会稽。今の紹興の南)とが相争っていた。 
4.
 ・計策多 それぞれいろんな計略をめぐらしていた。呉には楚の国からのがれてきた伍員が参謀格としてついていたし、越には范蠡が参謀としてついていたが、呉王夫差は越に侵入して、越王祁配をとりこにした。ここから、臥薪嘗胆がうまれる。范蠡は夫差の使臣伯嚭に賄賂を贈って巧みに釈放してもらうと、浣紗の美女西施を夫差のもとへ送った。夫差はその計略にかかって、淫楽にふける一方で、呉員の諌めるのもきかず、兵を北に出して斉を討った。勾践・范蠡はその機会をのがさず、呉を攻め、呉を滅ぼした。
5.
 ・神女 西施をいう。廟に祭られているから神女といった。美しいということで宿敵を破る力となったこと。多大な評価をするということである。
6.
 ・相和 范蠡はこの西施とかたく約束をむすんで、呉を滅ぼすために、夫差のところへいってもらったことをいう。

一雙笑靨才回面,十萬精兵盡倒戈。

夫差は彼女のえくぼに魅せられてしまった。そしてさしもの異国の精兵も、彼女のほほえみにうつつをぬかしてしまった王の嬌奢に反感を抱き、軍の統率力は消え、越軍が侵入すると、あっさり祖国に鉾先を替えてしまった。
7. ・一雙(いっそう) 二つの意。左右にあるから。
8.
 ・笑靨(しようよう) えくぼ。
9.
 ・回面 ふり向く。呉王に媚を豊することをいう。
10.
 ・十萬精兵 呉軍をいう。
11.
 ・倒戈 敵(越) にむけていたはこを味方(呉)にむけること。裏切ること。ほこは両刃の短剣を長い柄につけたもの。

 

範蠡功成身隱遁,伍胥諫死國消磨。
こうして越の范蠡は、王の勾践をたすけて、ついに呉を滅ぼす大功をたてた。ただ、この見事に役目をはたしおわった美女をともなって、五湖のほとりへ隠遁してしまった。しかるに、一方、呉王をたすけていた伍子胥の方は、王の日夜をおかぬ亨楽におぼれ、討齊というのに反対して極諌したために死を賜わった。その國はやがて越軍の揉輪のもとに滅ぼされてしまった。
12. ・范蠡 越王勾銭の重臣。
13.
 ・隠遁 范蠡は、勾践が復仇をとげて凱旋すると、呉の重臣伍負が、斉を討つことに反対して殺されたことを思い、勝利をおさめた勾践のもとにあって、伍員のような運命にめぐりあうこ之を恐れ、西施をつれて隠遁して五湖に泛び、斉にいって大富家となった。
14.
 ・伍胥背 伍子背(ごししょ)、名は員。もと楚の重臣であった伍奢の子。楚王からその父(伍奢)と兄を殺された彼は、呉にのがれ、前述のように呉王夫差の重臣となったが、夫差が西施の色におぼれ、宮殿を築いて遊楽にふけり、かれは斉(山東省の雄国) への出兵を志したので、これを諌めた。それがかえって夫差の怒りを買い、死を賜わった。死に当たって、自分の首を呉宮の西門にかけさせ、「この目で越軍の入城を見てやる!」といったが、そのとおりに越は侵入し、夫差は殺されて、呉の国は亡びた。
15.
 ・消磨(しょうま) 消えほろびること。


只今諸長江畔,空有青山號苧蘿。
今日では、諸(西施の出身地)の大きな河のほとりに、その歴史のなごりをとどめている。ただ、むなしいことは苧羅山と号する山が青々と聳えていて、絶世の美女、西施の跡としては、ただそれだけがあるだけなのだ。
16. ・諸 今の新江省の解興の南、諸聾県。近くに浣沙渓がある。
17.
 ・長江 揚子江ではない。実際には諸盤の近くを北流する浦陽江をさす。大きな河をいう。
18.
 ・苧羅(ちょら) 山の名。諸
に近く、その麓が浣紗渓であり、浣紗廟がある。
19.
 ・號(ごう) 名をつける。いう

20. <参考>西施についての詩

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行#3 詩集 354

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<7>  述祖徳詩 二首(1)序 詩集 364

李白「烏棲曲」
姑蘇台上烏棲時、王宮里醉西施。
歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
東方漸高奈樂何。

旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。
李白8  蘇台覧古

李白 9 越中覧古
越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。

 

李白9  越中覧古

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

江上吟  李白特集350 -288

古風五十九首 第十八 李白

 


【字解集】 7.賣殘牡丹 

賣殘牡丹

臨風興嘆落花頻,芳意潛消又一春。

應為價高人不問,卻緣香甚蝶難親。

紅英只稱生宮裏,翠葉那堪染路塵。

及至移根上林苑,王孫方恨買無因。

(賣残の牡丹)

風に臨んで落花の頻なるを興嘆し、芳意又一春潜に消ゆ。

應に價高きが為に人 問はざるなるべし、却て香甚だしきに練って 蝶 親しみ難し。

紅英只稱ふ 宮裏に生まるるに、翠葉那んぞ堪えん 路塵に染まるに。

根を上林苑に移すに至るに及んで、王孫方に恨まん 買ふに困なきを。

賣殘牡丹
1.
 (自分の知性、才力を理解できない花園に咲く牡丹は売れ残るものもでるが、もし、そうした能力を評価し、理解する力がある花園に植えられた者であれば身に余る評価を受けたであろう、今度会ったならそのことを後悔することであろう。)

2. この詩は、作者が、李億に捨てられて長安に締り、咸宜観にはいってから綠翹を殺すにいたるまでの問の作と思われる。牡丹に自己を喩えたもので、この時代、第二婦人など、夫を凌駕する知性と、才力、を持った女子は、いずれの時期には棄てられるのは覚悟の上の事である。しかし、自分の気持ちを率直に述べるというのは中国の歴史の中で目を見張らせるものがある。この詩を以て憐れと感じて解釈するのは間違いである。芸妓のプライドは愛より、金であるということである。詩には嘆くとか憾むとか入っているが棄てられた女というより強く生き行く抜くことを感じる。この時代にかかわらず、芸妓の世界で、男性以上の律詩を書く女性としての矜持を感じるし、したたかに生きていくたくましい女性を感じるものである。

 

臨風興嘆落花頻,芳意潛消又一春。
春の突風が牡丹の花に吹き付ける晩秋の季節には咲き誇っていた牡丹の花もなげきをともなって落ちている。かぐわしい花の香りが漂っていたのに知らぬまに、この盛春、そしてまた、晩春と過ぎていこうとしている。

3. ・興嘆 興は心の動くこと。嘆はなげく。
4.
 ・落花(らくか) 萎れて花びらを落とす。女性が歳を取ってゆくこと、子供を産めなくなることを言う。
5.
 ・芳意(ほうい) 花の、花としての誇らしい心。女として誇らしく生きてゆくこと。

6. ・一春 春は早春、盛春、晩春の三春であり、その内の一春が「消」となること、盛春、そしてまた、晩春と過ぎていくという意味である。この語も、女性の色香が歳とともに、衰えることを言う。

 

應為價高人不問,卻緣香甚蝶難親。
私は評価を受け、ある程度の小金を蓄積出来ているので、いまさら、安く自分を売ろうとは全く思っていない。そして女としての香り(プライド)、詩文にする才能があるので、生半可の男は近寄っては来ることはできない。

7. ・香(こう) かおり。におい。よい詩も作れるほどの教養をさす。魚玄機にこの詩人としての矜持があるから長安に戻ってきたのである。

8. ・蝶(ちょう) 男性をさす。身分の高いものは、通い婚のような形態であったため、張を男性に譬える。

 

紅英只稱生宮裏,翠葉那堪染路塵。
この私の性的な魅力は九重の奥深い所に大切にされるほどのものである。そこいらの男なら、その男の意に染められることなどありはしない、だから、今、そこらあたりの路傍にあったとしても、今は構わないことである。

9. ・紅英 英は花びら。花。女性の局所を指す。

10. ・翠葉(すいよう) 緑の葉。男性精気を示す。


及至移根上林苑,王孫方恨買無因。

このボタンが例えば、そこらの庭に根を張ったのではなく、天子の上林御苑高貴なところに植えられたものであったなら、もっとお金をもらうことが出来るであろうし、王族、貴人の子弟程度のものに買ってもらおうとする恨み言はなかったのである。

11. ・上林苑 「史記」の「始皇紀」に、「朝官を沼南の上林苑中につくり、まづ前殿阿房をつくる」とある。それ以来、天子の御苑を一般に上林苑という。

12. ・王孫(おうそん) 貴人の子弟。貴公子。「史記」の推陰侯伝に、「吾、王孫を哀んで食を進む」とある。「楚辞・招隠士」 「王孫遊兮不帰、春草生兮萋萋」(王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり)・・王孫 楊 王孫(よう おうそん、生没年不詳)は、前漢の武帝の時代の人。自らを裸葬にさせた。 黄老の術を学び、家は千金を生む仕事を行っていた。

謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002
謝霊運『悲哉行』
萋萋春草生,王孫遊有情,差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,檐上雲結陰,澗下風吹清,
幽樹雖改觀,終始在初生。
悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323
13.
 ・買無因 もはや買う方法がない。多くの詩人が詠う語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【字解集】 8.酬李學士寄簟 

酬李學士寄簟

珍簟新鋪翡翠樓,泓澄玉水記方流。

唯應雲扇情相似,同向銀牀恨早秋。

(李学士の簟を寄せらるるに酬ゆ)

珍らしい簟は新に鋪【し】く翡翠樓に、弘澄【おうちょう】たる玉水 方流を記す。

唯 應に 雲【うんせん】と情相い似たり、同じく銀牀【ぎんしょう】に向って早秋を恨む

 

酬李學士寄簟
1.
 (当時は、夏に簟を送られるというのは、何にも代えがたい嬉しいことであった。彼女を思い人とする李学士に貰ったうれしさを詠ったものである。)

2. 現存の彼女の詩中では、李学士を「子安」というあざなで呼んでいる。すなわち、
情書、李子安に寄す  ・・・( 9
春情、子安に寄す   ・・・(11
漢江を隔てて、子安に寄す ・ (40
江陵の愁望、子安に寄す  ・ (42
子安に寄す         ・・・(43
「李億員外に寄す」(2)ということで別の人物である。
このブログでは魚玄機は自分を棄てた李億の事を見下しているという視点から解釈している。この詩は、李億とは関係のない別の李という学士からのプレゼントとして見ていく。
3.
 ・酬 お礼に作った詩である。
4.
 ・簟 竹または葦で編んだ敷き物。夏期ベッドの上に敷いて涼をとる場合と、ベッドなり長椅子が竹で張ってある場合とあるが、ここは前者。
シーツに似た寝具で、竹を編んで作る。夏はその上に寝ると、涼しい。
韓愈『鄭羣贈簟』
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』
自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』
呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』
鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998


珍簟新鋪翡翠樓,泓澄玉水記方流。
りっぱな夏用の簟ござをこの翡翠樓の中で誰もまだで、初めてベッドに敷きました。清らかな水の流れのような模様が、あり、涼しさをよび、さそいます。
・翡翠樓(ひすいのろう) 翳翠はかわせみ。青い色の鳥で水辺に住み魚類を食べる。豪華な楼閣の中で初めて引いたのだろう。想像以上に高価なものであったことは前にあげた韓愈のしでもよくわかる。
・泓澄(おうちょう) 水の清いさま。水が深くて澄んでいるようす。
韓愈『岳陽樓別竇司直』
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
中唐詩-298 岳陽樓別竇司直 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#4

・玉水 玉に深い意味はない。清らかな
水。
方流(ほうりゅう) 並んで流れる。何本かの水の流れ。竹の節を削ったところが、自然に模様を成し、水が何条かの流れになって流れているように見えることをいう。
 
唯應雲扇情相似,同向銀牀恨早秋。
ただ、夏は最高のもので、あの雲扇と同じことでいつまでも一緒にいることはできないのです。すがすがしいかぜがふきねけるような秋になればいらないものとなるのでしょうね。どうかその扇や簟のように、このわたくしを見限らないで来てくださいね。お待ちしています。
・雲扇 雲に深い意味はない。雲は男性を意味する扇入らないがあなたは男として必要という意味になる。
・銀牀(ぎんしよう) 銀は秋を意味する。さみしいベッドという意味になる。
・早秋(そうしゅう) 早くも訪れた秋。
秋に向かう簟についての詩、
李清照『一翦梅』
紅藕香殘玉簟秋。
輕解羅裳,獨上蘭舟。
雲中誰寄錦書來,雁字回時,月滿西樓。
花自飄零水自流。
一種相思,兩處閑愁。
此情無計可消除,才下眉頭,却上心頭。
(一翦梅)【いつせんばい】
紅き藕【はす】の香は殘【すた】る玉簟の秋。
輕やかに羅裳を解【あ】げ,獨り蘭舟に上る。
雲中誰か錦書を寄せ來【きた】らん,
雁字回【かへ】る時,月は西樓に滿つ。
花自【おのづか】ら飄零【ひょうれい】して水自ら流る。
一種の相思は,兩處閑愁す。
此の情は消し除く可【べ】く計【はかる】無し,
才【わずか】に 眉頭【まよね】より下り,却って心頭【こころ】に上る。
『一翦梅  李清照』  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-55-8-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1836



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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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