詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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薛濤詩 《池上雙鳧》
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2017年6月5日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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八、2.3 薛濤詩 《池上雙鳧》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8842
(池の水辺のつがいの野鳧)
この池の緑の澄み切った水辺に、つがいで棲みついている、その野鳧は朝は飛び去っていても、晩はかえってきていっしょに飛びまわって仲よくくらしている。もっと思うには、さらにこのつがいは、やがてある日に雛を育てるようになるのです。それには心をあわせているし、池の蓮の葉のかげで、仲睦まじくしていることがあるのです。
薛濤もそうであった
地方の官妓(1)
ここで主にとりあげるのは各州・府(及び唐代後期の藩鎮)に隷樋する官妓である。これら官妓には二つの来源があった。一つは、代々「楽籍」に入れられていた、官に隷属する賤民の女子であり、他に生きる道はなく、ただ先祖代々の仕事を踏襲するだけで昔どおりの楽妓となったもの。もう一つは、良民の女子であったがいろいろの原因によって楽籍に落ちたものである。たとえば名妓の蔀濤は元は良家の娘であり、父が仕官を求めて各地を巡るのに付き従っていたが、ついに蜀(四川省)まで流れ来た時落ちぶれて楽籍に入った。また章中丞の愛姫が生んだ娘は、兄弟がみな死んだので「身を楽部に委ね、先人を恥辱しめ」ざるをえなかった(『雲渓友議』巻三)。これらはみな衣食にこと欠いたために楽籍に入らざるをえなかった例である。また、地方長官から良民の身分を剥奪され婢にされたものもあった。林菖は耶州(湖南省宝慶県)の剌史となった後、「門客の陶元之を杖殺し、その妻を籍没して侶(娼妓)とした」(『新唐書』儒学伝下「林藤伝」)。しかし、こうした事例はだいたい例外的なものであった。なぜなら、一般的には罪人の家族を籍没して官奴婢に落とすことは、皇帝だけに出来ることであり、官吏が良民を抑えつけて勝于に賤民にすることはできなかったからである。
1. 井梧吟
庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。
2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
3. 池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
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薛濤詩 《 池上雙鳧 》 |
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池上雙鳧
(池の水辺のつがいの野鳧)
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
この池の緑の澄み切った水辺に、つがいで棲みついている、その野鳧は朝は飛び去っていても、晩はかえってきていっしょに飛びまわって仲よくくらしている。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
もっと思うには、さらにこのつがいは、やがてある日に雛を育てるようになるのです。それには心をあわせているし、池の蓮の葉のかげで、仲睦まじくしていることがあるのです。
池上の雙鳧
綠池の上に 雙棲【そうせい】し、朝去りて 暮に 飛還【ひかん】す。
更に憶ふ 雛を將【やしな】ふの日には、心を 蓮葉【れんよう】の間に 同じうせん。
池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
(下し文)
池上の雙鳧
綠池の上に 雙棲【そうせい】し、朝去りて 暮に 飛還【ひかん】す。
更に憶ふ 雛を將【やしな】ふの日には、心を 蓮葉【れんよう】の間に 同じうせん。
(現代語訳)
(池の水辺のつがいの野鳧)
この池の緑の澄み切った水辺に、つがいで棲みついている、その野鳧は朝は飛び去っていても、晩はかえってきていっしょに飛びまわって仲よくくらしている。
もっと思うには、さらにこのつがいは、やがてある日に雛を育てるようになるのです。それには心をあわせているし、池の蓮の葉のかげで、仲睦まじくしていることがあるのです。
(訳注)
池上雙鳧
16. (池の水辺のつがいの野鳧)
17. この詩は、高官の男性へのお誘いの詩である。薛濤は性を売る妓女ではなく芸・詩文などを示す役割を持つ営妓、軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませるものであった。又池は、清流にのぞんで詩歌を作り盃を巡らす曲水の宴があり、中国古代、周公の時代に始まったとされている。
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
この池の緑の澄み切った水辺に、つがいで棲みついている、その野鳧は朝は飛び去っていても、晩はかえってきていっしょに飛びまわって仲よくくらしている。
18. ・雙鳧 鳧は野生のかもである。二羽の鳧で、つがい。
19. ・朝去暮飛還 「朝に去り幕に飛び還る」と読むことになる。飛還はもとのところへもどってくること。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
もっと思うには、さらにこのつがいは、やがてある日に雛を育てるようになるのです。それには心をあわせているし、池の蓮の葉のかげで、仲睦まじくしていることがあるのです。
20. ・憶 追憶・回憶と熱する字であるが、その思いは作者がこの詩を読む男性に向けての思いを云うのである。
21. ・將【やしなう】 扶養の意。そだてること。
22. ・蓮葉(れんよう)蓮は、芙蓉であり、その葉と花で性行為そのもをあらわし、恋の意が裏にふくまれている。また、蓮と恋とは同音である。