詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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Ⅳ 政略婚《§-2匈奴王に嫁いだ王昭君》(三)王昭君の虚像2.王昭君悲話の大衆化と背景
(Ⅳ 政略婚) 《§-2 匈奴王に嫁いだ王昭君》(三) 王昭君の虚像2. 王昭君悲話の大衆化と背景 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10707
中国史・女性論 |
Ⅳ 政略婚 (近隣国・異民族に嫁いだ公主) Ⅳ-§-2 匈奴王に嫁いだ王昭君 (一)はじめに「悲劇のヒロイン」王昭君 (二) 王昭君の実像 1. 王昭君の降嫁 2. 匈奴の衰微 3. 匈奴の分裂と漢朝への帰順 (三) 王昭君の虚像 1. 王昭君悲話の誕生 2. 王昭君悲話の大衆化と背景 3. 〝青塚″伝説 |
Ⅳ-§-2 匈奴王に嫁いだ王昭君
(三) 主昭君の虚像
2. 王昭君悲話の大衆化と背景
以上『西京雑記』や『王明君辞』などを通じてみると、三国・晋代ごろの人びとは、王昭君を毛延寿ら宮廷画工の黄金に目のない欲心のために、漢家の犠牲となって匈奴へ嫁ぎ、また勅命のままに義子への再婚を強いられて、数奇な運命のもとに、異境でかりそめの生を終えた悲劇の女性として、いたく同情の涙をそそいだように思われる。
そして両晋から南朝の宋・斉をへて梁朝の天監年中 (五〇二〜五二〇) には、王昭君悲話を主題とする作曲が、つぎつぎに出て楽府に採り入れられている。
たとえば、前掲の 『楽府詩集』 (『四部叢刊』所収) 第五九「琴曲歌辞」には、王昭君の心情を唱った「昭君怨」と題した四言二十四句より成る歌辞をのせるが、これには王昭君が遠く匈奴の王庭にあって、かつての漢延での後宮生活を追懐しつつ、わが身の悲運を嘆いた心情
が描かれている。
盛んに茂った秋の樹も、葉はしぼみ黄ばみはじめる、
一羽の鳥が (王昭君みずからにたとえる) 山に居て、桑の根に巣をつくる、
羽と毛をはぐくみ、輝くばかりの答に育つ、
やがて雲にのぼる力をえて、天上の殿舎にあそぶ、
その離宮はあまりに広く、このからだは疲れはて、
心は暗くふさぎこみ、鳴けもせねば飛べもせず、
すえ膳はあたえられても、心はいつもうつろである、
私ひとりだけがどうして、異なる運命をうけ、
つばめのように飛んで、はるかえびすの地へ行くのか。
高い山はそびえ立ち、河の水はひろびろと流れゆく。
父上よ 母上よ、道のりはあまりにもはるかに。
ああ! かなしいかな、ふさぐ心は痛み傷つく。
《昭君怨》 訳注解説
昭君怨 王昭君
秋木萋萋,其葉萎黄。有鳥處山,集于苞桑。
養育毛羽,形容生光。既得升雲,上遊曲房。
離宮絶曠,身體摧藏。志念抑沈,不得頡頏。
雖得委食,心有徊徨。我獨伊何,來往變常。
翩翩之燕,遠集西羌。高山峨峨,河水泱泱。
父兮母兮,道里悠長。嗚呼哀哉,憂心惻傷。
(昭君怨)
秋木 萋萋(せいせい)として,其の葉 萎黄(ゐくゎう)す。
鳥 有り 山に處(を)り,苞桑(はうさう)に 集(むらが)る。
毛羽を 養育し,形容 光を生ず。
既に 雲に升(のぼ)るを 得て,上つかた 曲房に 遊ぶ。
離宮 絶(はなは)だ 曠(ひろ)くして,身體 摧藏(さいざう)す。
志念 抑沈して,頡頏(けつかう)するを 得ず。
委食を 得(う)と 雖(いへど)も,心に 徊徨(くゎいくゎう)する 有り。
我 獨(ひと)り 伊(こ)れ 何ぞ,來往 常を 變ず。
翩翩(へんぺん)たる 燕,遠く 西羌(せいきゃう)に 集(いた)る。
高山 峨峨(がが)たり,河水 泱泱(あうあう)たり。
父や 母や,道里 悠長なり。
嗚呼(ああ) 哀(かな)しい哉,憂心 惻傷(そくしゃう)す。
王昭君:前漢の元帝の宮女。竟寧元年(紀元前33年)、匈奴との和親のため、呼韓邪単于に嫁し、「寧胡閼氏」としてその地で没した。名は檣。ともするが、『漢書・元帝紀』では前者「檣」。昭君は字。明君、明妃は、「昭」字をさけたための晋以降の称。蛇足になるが、「竟寧」(辺境がやっと平和になった)という年号である。元帝の慶びが伝わってくる。そのような状況下での通婚である。この時代背景から推察するに、元帝がその美貌を惜しんだという話は後世のものになるのではないか。『漢書・本紀・元帝紀』に「竟寧元年春正月,匈奴 呼韓邪單于來朝。詔曰:「匈奴呼韓邪單于不忘恩德,鄕慕禮義,復修朝賀之禮,願保塞傳之無窮,邊垂長無兵革之事。其改元爲竟寧,賜單于待詔掖庭王檣爲閼氏。」とある「王檣」が王昭君のこと。「閼氏」とは、單于の正妻の称≒皇后。『漢書・匈奴傳・下』「王昭君號寧胡閼氏,生一男伊屠智牙師,爲右日逐王。」この外、多くの子供をもうけ、夫の没後は、匈奴の習慣に従った再婚をし、父子二代の妻となり、更に子供を儲けている。子供達の名も記録されている。当の本人の願望はともかく、漢・匈奴友好使節の役を果たしたとも謂え、辺疆安寧のための犠牲になったとも謂える。なお、王昭君の七十余年前に、烏孫公主の故事がある。烏孫公主は漢の皇室の一族、江都王・劉建の娘で、武帝の従孫になる劉細君のこと。彼女は、西域の伊犂地方に住んでいたトルコ系民族の国家・烏孫国に嫁した。ともに漢王朝の対西域政策と軍略を物語るものである。
《昭君怨》:(空高く飛ぶ鳥のさまから己の身を想い、遙かに離れ去ることとなってしまった境遇を詠う)。
『樂府詩集』に基づく。『怨詩』は『古詩源』のもの。『怨曠思惟歌』ともする。
秋木萋萋、其葉萎黄。
秋の樹木が茂って(いるが)。(やがて)その葉はしおれて黄ばむ(ことになる)。
・秋木:秋の樹木。
・萋萋:〔せいせい〕草が茂っているさま。
・萎黄:しおれて黄ばむ。
有鳥處山、集于苞桑。
鳥が山に棲んでいて。クワの木の根元に集まってくる。
・處山:山に居る。
・處:〔しょ〕おる。いる。とまっている。おちつく。
・集于:…に集まる。 ・集:鳥が木にあつまる。(鳥が)とまる。とどまる。本来鳥が木につどうさまを表す。
・苞桑:〔はうさう〕クワの木の根。根本のしっかりしたもの。ものごとの根本のかたいこと。 *現代語の諺“落葉歸根”を想起するが…。もしも発想が現代語の成語と同じとすれば、「季節の移り変わりで、草木は(葉を)黄葉させて散らし、鳥は、元の古巣へ帰る」となる。
養育毛羽、形容生光。
羽を育てて。 *素質を研いた(結果)。容貌は、光を放っている。美貌は光り輝いている。
・養育:はぐくむ。養い育てる。
・毛羽:鳥の羽。獣の毛と鳥の羽。羽毛。
・形容:顔かたち。容貌。また、有様。形状。ここでは、前者の意。
・生光:光を放つ。輝きを放つ。
既得升雲、上遊曲房。
御殿に昇ることとなったばかりか。上つ方後宮に過ごす身となった。
・既:とっくに…となったばかりか。 *「『得升雲』となったばかりか『上遊曲房』となった」という感じを表す。 ・得:える。…になれた。 ・升雲:立身出世する。雲居に昇る。雲上人(の関係者)となる。「升」≒昇。
・上:雲上。天上。皇室。
・遊:あそぶ。過ごす。
・曲房:曲がりくねった女房(女官のへや)。屈曲した御殿。後宮のこと。
離宮絶曠、身體摧藏。
皇宮は極めて広い(ので)。 *なかなか皇帝の寵愛にあずかれないことをいう。(我が)肉体は、衰えくじかれてきた。
・離宮:皇宮以外に設けられた皇帝の宮殿。
・絶曠:はなはだ広い。 ・絶:はなはだ。きわめて。 ・曠:〔くゎう〕広い。大きい。(遮るものが無く)明かである。
・摧藏:〔さいざう〕くじけひそむ。おとろえかくれる。 ・摧:〔さい〕くじく。くだける。ほろびる。おとろえる。 ・藏:〔ざう〕納める。おさめる。かくれる。ひそむ。かくす。
志念抑沈、不得頡頏。
(我が)心は、沈鬱になってきている。鳥のように(大空を)飛び上がったり、舞い下りたりすることができなくて。
・志念:こころざし。こころざし思うこと。
・抑沈:おさえしずめる。抑制する。おさえつける。
・不得:(獲得)できない。
・頡頏〔けつかう〕鳥が飛び上がったり、飛んで下りたりすること。
雖得委食、心有徊徨。
養っていただいているとはいうものの。心の中では、(自由に)さまようことを思う。
・雖:…であるとはいっても。…といえども。
・委食:委ねやしなう。まかせくわせる。
・心有:心の中では、…を思う。
・徊徨:〔くゎいくゎう〕さまよう。
我獨伊何、來往變常。
わたしだけ、そもそもどうして。通行状態が世の常と異なっているのか。
・我獨:わたしだけの意。
・伊何:そもそもどうして。 ・伊:口調を整えリズムをとるために用いる。格別の意はない。「伊誰」。
・來往:往ったり来たりする。白居易は『燕詩示劉叟』で燕を詠い人生を観ている。「梁上有雙燕,翩翩雄與雌。銜泥兩椽間,一巣生四兒。四兒日夜長,索食聲孜孜。青蟲不易捕,黄口無飽期。觜爪雖欲弊,心力不知疲。須臾千來往,猶恐巣中飢。辛勤三十日,母痩雛漸肥。喃喃敎言語,一一刷毛衣。一旦羽翼成,引上庭樹枝。舉翅不回顧,隨風四散飛。雌雄空中鳴,聲盡呼不歸。卻入空巣裏,啾終夜悲。燕燕爾勿悲,爾當返自思。思爾爲雛日,高飛背母時。當時父母念,今日爾應知。」 の赤字部分に同じ。
・變常:人とは異なる。通常の状態を変えて変則的になっている。ただ、これらのように「往復する」の意とすれば、王昭君の身の上と合致しないので、「來往」を「既往」の意、「来し方、過去」とすれば合う。
翩翩之燕、遠集西羌。
身軽く飛ぶツバメは。はるか西の方のえびす。チベット系の民族の許にとどまっている。
・翩翩:鳥が身軽く飛ぶさま。すばやいさま。前出白居易『燕詩示劉叟』 の青字部分に同じ。
・遠集:遠く…にとどまる。 ・集:とどまる。鳥が木にあつまる。本来鳥が木につどうさまを表す。
・西羌:西の方のえびす。チベット系の民族。
山峨峨、河水泱泱。
(間を遮るが如き)高山は、高く険しく。川の流れは、水の深く広い。
・峨峨:山の高くけわしいさま。山の高大なさま。姿の立派なさま。
・河水:川の流れ。
・泱泱:水の深く広いさま。立派で大きいさま。雲の起こるさま。
父兮母兮、道里悠長。
父よ、母よ。(故郷、漢の地までの)道程は、遙かに遠い。
・兮:〔けい〕口調を整えリズムをとるために附ける辞。日本語に対応する格別の意はない。
・道里:道のり。道程。
・悠長:遙かにながい。前漢・蘇子卿(蘇武)の『詩四首』其四に「燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。芳馨良夜發,隨風聞我堂。徴夫懷遠路,遊子戀故鄕。寒冬十二月,晨起踐嚴霜。俯觀江漢流,仰視浮雲翔。良友遠別離,各在天一方。山海隔中州,相去悠且長。嘉會難再遇,歡樂殊未央。願君崇令德,隨時愛景光。」とある。
嗚呼哀哉、憂心惻傷。
ああ、かなしいことであるなあ。憂えた心で、憐れみいたんでいる。もの思いに耽っている。
・嗚呼:ああ。ため息するときの言葉。
・哀哉:かなしいなあ。表情や態度に表さない、心の中での歎きをいう。
・憂心:憂え。心配。
・惻傷:〔そくしゃう〕憐れみいたましくおもう。
この歌辞は『楽府詩集』では、王牆(王昭君)自作の詩というが、あてにならない。おそらく、何人かの仮托であろう。やがて唐代になると、李白や白居易らの詩にも唱われ、あるいは閣立本のような画人によっても画かれ、さらに末、元代に雑劇が盛行すると、「漢宮秋」(馬致連作)などの題名で戯曲化されて、いよいよ大衆化した。
ちなみに、王昭君が絵画の主題となって、いまにのこるものは数少ないが、その一例としては、大阪市立美術館蔵(阿部爽頼館旧蔵)の宮素然筆「明妃出塞図巻」がある。
この図には、いましも長城外の沙地を、朔風をおかして進む明妃王昭君の一団が描かれている。いうまでもなく、主題は衣帯を寒風になびかせる馬上の明妃と、同じく馬上に琵琶をいだいて従う侍女で、その前後に三群より成る胡人の従者が配されており、王昭君を画題とする作品中の白眉といわれる。本図巻については、散田中豊蔵教授の『中国美術の研究』に詳しい紹介と考証があるから、ついて参照されるがよい。
さて、それでは、どうして三世紀の晋代ごろから、このような、あたかも悲しみと苦悩と不幸せとを、一身にあつめた女性としての王昭君像が、つくられはじめたのであろうか。
それは、後漢末から三国・両晋・南北朝時代の三百数十年間にわたって、五胡民族のたえまない侵入におびえ、悩まされつづけてきた中国社会の不安・混乱、あるいは、それにともなう漢人たちの遊牧騎馬民族に対する異常な恐怖心、さらにはまた、かれらに劫去される多くの婦女子を目のあたりにみるにつけ、そのような悲惨な経験が、王昭君という、かつて匈奴に嫁いでいったといわれる一女性に托して、語りつがれたのではあろう。
これについて、たとえば、後漢末の騒乱に乗じて侵入してきた南匈奴、左賢王の部隊に掠め去られた蔡文姫の自作と伝えられる五言詩「悲憤の詩」をよめば、その巧みな文学表現を通じ、地獄絵さながらのかの女の悲惨な体験が、切実な叫びとなって読者の胸をうつであろう(第四節「蔡文姫、都に帰る」史話の条参照)。