詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
2018年3月16日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
||||
李白詩 |
韓愈詩 |
杜甫詩 |
花間集 |
玉臺新詠 |
古代史女性論 |
|
|||||
2018年3月16日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
||||
10年のBLOGの集大成 |
|
||||
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
|||||
Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
748年-4《寄上吳王三首其一(卷十四(一)八九二)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10289 |
||||
Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 LiveDoor |
|||||
Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
|||||
Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞 fc2Blog |
花間集 訳注解説 (396)回目《孫光憲巻八02菩薩蠻五首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10313 |
||||
Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉臺 巻四巻4•3-1-2-1雜詩九首其二. 代京洛篇 3.鮑照 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻四ブログ10307 |
||||
Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
(6)中国史・女性論 《項羽と虞美人》§-2 垓下の戦い 1. 垓下の詩 -⑴ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10294 |
||||
(6)中国史・女性論 《項羽と虞美人》§-2 垓下の戦い 1. 垓下の詩 -⑴ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10294
|
|
|
中国史・女性論 |
||
|
項羽と虞美人
§-2 垓下の戦い
1. 垓下の詩 -⑴
1. 垓下の詩 -⑵
2. 虞美人について
3. 項羽の最後
4. 項羽の死にざま
§-2 垓下の戦い
1. 垓下の詩
垓下の戦いは、楚王項羽と漢王劉邦との命運を決めた一戦として知られるが、そのクライマックスを彩るのは「垓下の詩」であろう。
垓下歌 秦末漢初 項羽
力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮柰若何。
わが力は山をも抜き、わが気力は一世を蓋う、だのに、天の命運はわれに利あらず
愛馬の難は逝まぬ。灘が逝まぬのはどうしたことか。虞よ虞よ、そなたをなんとしようぞ。
1. 垓下詩
楚の項羽と漢の劉邦が天下を争い、やがて垓下で項羽軍は敗れようとするが、その最終段階で、項羽が滅亡を悟った時に歌ったのものとされ、『史記・項羽本紀』や『古詩源』に遺されている。烏江で項羽が亡ぶ前日、四面に楚歌の声が響き渡った時、項羽と虞姫が別杯を交わしたときの情景を歌ったものである。以下にそのくだりを『史記(中華書局版・金陵局本)・項羽本紀』より次に示す。
「項王(項羽)軍壁垓下,兵少食盡,漢(劉邦)軍及諸侯兵圍之數重。夜聞漢軍四面皆楚※1歌,項王乃大驚曰:「漢皆已得楚乎?是何楚人之多也!」項王則夜起,飮帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌慨,自爲詩曰:「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可何,虞兮虞兮奈若何!」歌數,美人和之,。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。」(楚は、項籍(字は羽)の本国。ここから「四面楚歌」の言葉が生まれた)。
なお、虞美人がこの詩に答えた
「漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,賤妾何聊生。」
も(『史記』の古註に出ている唐・張守節の『史記正義』に)あり、勝者の漢の高祖・劉邦の『大風歌』「大風起兮雲飛揚。威加海内兮歸故鄕。安得猛士兮守四方。」よく戦乱の世を生き抜いた気概を表している。なお、これよりもやや早いものに、『古詩源』に採録された『獲麟歌』「唐虞世兮麟鳳逝。今非其時來何求。麟兮麟兮我心憂。」がある。
2. 項羽:秦末の武将。後の西楚の覇王。劉邦と天下の覇を争い、垓下で敗れ去る。前232年~前202年。名は籍。羽は字になる。項羽は、叔父の項梁とともに挙兵し、漢王劉邦と呼応して秦を滅ぼし、西楚の覇王となる。後、劉邦と天下の覇権を争ったが、垓下の戦いで大敗、烏江で自殺。二千年前、楚の項羽と漢の劉邦が天下を争い、垓下で項羽軍は敗れた。
力拔山兮氣蓋世、時不利兮騅不逝。
(その)勢威は山をも(改造して)引き抜き、気概は広く天下を掩っていた。時節、時運は(わたしに)利していなくて、(愛馬)騅(すゐ)は進もうとしない。
3. ・力拔山:覇王・項羽の勢威が巨大な様をいう。政治力で自然を改造することができることをいう。天を支え河を治める古代神話の神聖から始まって、旧山河を改造して青山緑水を築きあげるのは悲願でもある。「山を抜く」いうイメージは、日本の山からは、分かりにくいが、右の写真や上の絵のような山を指していう。 ・兮:〔けい;xi1○〕歌う時に語調を調え、リズムを取る辞。字数を揃えるための意味の無い字ではない。古来、日本の漢文(漢学)でも、中国の古代漢語でもいわれるが、詩では、重要な意味を持つ。特に古代では、『詩経』『楚辞』などで、これでリズムを取る兮字脚となる。ただし、近代の一部の作では、気が横溢したあまりに、(俳句でいう)字足らずとなり、そこを補っているようなものも見受けるが…。
4.・氣蓋世:気概が天下をおおいつくしている。ここは、前半の「力抜山(兮)」と後世で謂う句中の対になっている。項羽の勢威が偉大な様をいう。
5.・時不利:時節は(わたしに)利していない。兵員・武器も食糧も尽き、漢軍四面皆楚歌という具合に全ての運が尽きようとしている。ここもやはり、句中の対で、「騅不逝」と揃いになっている。 ・時:時節。時運。名詞として読んでいる。副詞としても充分に考えられる。その場合は「時に」と読む。
6.・騅:項羽の愛馬の名。項羽がいつも乗っていた。あしげ。青白色の混じった馬。
7. ・騅不逝:愛馬は進まない。史記の表記から見ると、別に馬が前進するのを拒んだ訳ではない。ここは、項羽が自分の心情を馬に託して述べている。馬を進められない、ということになる。・逝:往く。ずっとゆき去る。
騅不逝兮可奈何、虞兮虞兮奈若何。
(愛馬)騅(すゐ)が進もうとしないのを、本当にどのようにすべきなのか、どうしようもない。虞(美人)よ、虞(美人)よ、貴女をどのようにしようか。
8. ・可:ほんとうに。…べし。…べき(か)。 ・奈何:どのようにしようか。どうしようか。いかにすべきか。どうすることもできない。いかんせん。
9. ・虞:項羽の寵姫、虞美人のこと。美人は、女官の官職名。 ・兮:…よ!…や! ここでは前出歌う時の語調を調えるというよりも、「耶」後世の「」といった、語尾に附く語気詞の働きをしている。 ・若:なんじ=あなた。同等またはそれ以下の用法。=汝、女、爾、若。 ・若何:何=「奈何」は「いかん;どうしよう」。 ・奈若何:あなたをどのようにしよう。 ・「奈何」の間に人称代詞の「若」が入る。「奈若何」。上代漢語語法の疑問文の用法。「」と「奈」とは本来別字だが、『史記』では「」が「奈」の意味で使われている。この語法で似たものとして、漢の『樂府』『箜篌引』「公無渡河,公竟渡河。 墮河而死,當公何。』があり、表現も似たものとなっている。但し、『古詩源』では「奈」字にする。