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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》5. 漢の高祖と冒頓単于 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10623

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Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》5. 漢の高祖と冒頓単于 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10623

Ⅳ 政略婚《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》5. 漢の高祖と冒頓単于

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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中国史・女性論

 


Ⅳ 政略婚 (近隣国・異民族に嫁いだ公主)

 

-§-1 烏孫王に嫁いだ細君

1. 和蕃公主

2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君

3. 建国の英雄冒頓単于

4. 匈奴遊牧王国の出現

5. 漢の高祖と冒頓単于

6. その後の漢帝国と匈奴との関係

7. 武帝の匈奴経略と張騫の西域行

8. 烏孫族と月氏族

9. 対匈奴攻守同盟策

10. 望郷の歌―黄鵠の歌

 

 

 

-§-1 烏孫王に嫁いだ細君

 

-§-1-5. 漢の高祖と冒頓単于

冒頓単于にひきいられた匈奴遊牧王国は、漢の高祖劉邦が、宿敵の項羽をたお冒して中国を統一した前二〇二年ごろには、すでに漠朝にとって恐るべき強敵となっていた。そこへ、たまたま漢七(前二〇〇)年、かつて高祖の天下統一に大功があった将軍韓信が、高祖との仲たがいから匈奴に投降し、冒頓単子と結んで謀反したので、高祖はみずか ら大軍(歩兵三二万を越す)をひきいて北上し、平城(山西省大同市) に至ったところ、高祖とその摩下の将兵は、冒頓の精騎によって平城の東方自登山に包囲され、漢軍は内外に分断されてしまった。このときの冒頓の軍略は、『史記』の「匈奴伝」によれば水ぎわ立っている。

句奴の騎馬は、西方はことごとく白馬、東方はことごとく青馳馬(白面の黒馬)、北方はことごとく烏膿(黒馬)、南方はことごとく騎馬(赤黄馬) であった。

という。この表現は少し芝居じみてはいるが、ともかく高祖は、ここで包囲されること七日間、参謀陳平の計略で、闘氏(単干夫人) に手厚い贈物をするとともに、間者をして

冒頓単子がもし漠地にやってきたならば、漢の美女を愛し、闘氏への寵はおとろえてしまうでしょう。

といって闘氏を説得させた。そこで開氏は単子にむかって

単干よ、いま漢地を手に入れても、あなたはいつまでも漢地に屠られるものではありません。かつ漢王にもまた神助があるでしょうから、あなたは、そのこともよくお察しなさって、両国がお互いに苦しめあうことは、おやめになって下さい。

と口説いた。たまたま韓王信との連絡がうまくゆかないこともあって、冒頓としては、韓王信を疑っていた矢先でもあったので、ついに闘氏のことばに耳をかたむけて、包囲軍の一角を解いた。そこで高祖は、そこから脱出して東軍に合することができた。冒頓もまた兵を引いて去ったので両軍の休戦は成り、やがて和約が結ばれた。

こうして匈奴の実力を身をもって知った高祖は、劉敬を北方へ派遣して、宗主の女を公主として単千に降嫁させ、兄弟の約を結び、さらに、年ごとに旬奴に繋・棺・酒・米・食物を一定量、幣物として贈ることを定めて和親のしるしとした(前二〇〇年)。

この和約は、漢がわとしては実質上は、全面降伏にもひとしい屈辱的なものであった。

このとき以来漢帝国は、匈奴王国を自国に対立する独立国家として認めざるをえなくなった。

いいかえれば、漢人の世界支配者としての自負心は、旬奴族の実力の前にもろくもゆらいて、北アジア世界に君臨した匈奴王国が、自分たち中国に相対立する強大な国家であることを身をもって感じとったわけである。すなわち漠の人たちは、東アジア世界の王者である漢帝国に対して、旬奴という一大国家が、現実に北アジア世界に出現したことを、実力によって知らされたのであった。

こうして中国農耕社会の漢帝国と、北アジア世界の遊牧社会である匈奴王国という相異なる性格をもつ二つの歴史世界が、その後二千余年間にわたって南と北に対立して、中国世界と北アジア世界との歴史発展を大きく特色づけることになった。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
72
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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