詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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九、032卷804_30 《訪趙煉師不遇 》 魚玄機
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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九、032卷804_30 《訪趙煉師不遇 》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9916
(趙煉師を訪ねて遇はず)
お友だちの道士の方と、どこか行かれたらしい。青衣の下女がひとりでお留守番をしていた。
出掛けられて間もなおのか爐があたたかであり、仙薬が煎じられていた。庭の向こう隣りから、お茶をたててきて、もてなしてくれる。
祭壇のある壁画壁のある部屋には、燈火がついているが薄暗い。それと反対に明るい庭の方に建っているはたをかかげる竹竿には、午後の日が斜めにあたっている。
祭壇のある壁画壁のある部屋には、燈火がついているが薄暗い。それと反対に明るい庭の方に建っているはたをかかげる竹竿には、午後の日が斜めにあたっている。
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魚玄機 全詩 |
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卷804_26 重陽阻雨
滿庭黃菊籬邊拆,兩朵芙蓉鏡裏開。
落帽臺前風雨阻,不知何處醉金杯。
卷804_27 早秋
嫩菊含新彩,遠山閑夕煙。涼風驚綠樹,清韻入朱弦。
思婦機中錦,征人塞外天。雁飛魚在水,書信若為傳。
卷804_28 感懷寄人
恨寄朱弦上,含情意不任。早知雲雨會,未起蕙蘭心。
灼灼桃兼李,無妨國士尋。蒼蒼松與桂,仍羨世人欽。
月色苔階凈,歌聲竹院深。門前紅葉地,不掃待知音。
卷804_29 期友人阻雨不至
雁魚空有信,雞黍恨無期。閉戶方籠月,褰簾已散絲。
近泉鳴砌畔,遠浪漲江湄。鄉思悲秋客,愁吟五字詩。
卷804_30 訪趙煉師不遇
何處同仙侶,青衣獨在家。暖爐留煮藥,鄰院為煎茶。
畫壁燈光暗,幡竿日影斜。殷勤重回首,墻外數枝花。
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魚玄機 《重陽阻雨》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9888 |
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卷804_30 【訪趙煉師不遇】魚玄機
訪趙煉師不遇
(趙煉師を訪ねて遇はず)
何處同仙侶,青衣獨在家。
お友だちの道士の方と、どこか行かれたらしい。青衣の下女がひとりでお留守番をしていた。
暖爐留煮藥,鄰院為煎茶。
出掛けられて間もないのか、爐があたたかであり、仙薬が煎じられている。庭の向こう隣りから、お茶をたててきて、もてなしてくれる。
畫壁燈光暗,幡竿日影斜。
祭壇のある壁画壁のある部屋には、燈火がついているが薄暗い。それと反対に明るい庭の方に建っているはたをかかげる竹竿には、午後の日が斜めにあたっている。
殷勤重回首,墻外數枝花。
歸りかけておもむろに後ろをふりかえると、かきねの外にまで何本か出ている枝に花が咲いている。
(趙煉師を訪ねて遇はず)
何れの處にか仙侶【せんりょ】を同じうす、青衣【せいい】獨り家に在り。
暖爐【だんろ】留めて 薬を煮、鄰院【りんいん】爲めに 茶を煎ず。
畫壁【がへき】燈光【とうこう】暗く、幡竿【ばんかん】日影【にちえい】斜なり。
殷勤【いんぎん】重ねて首を回らせば、墻外【しょうがい】數枝の花。
『訪趙煉師不遇』 現代語訳と訳註
(本文) 訪趙煉師不遇
何處同仙侶,青衣獨在家。
暖爐留煮藥,鄰院為煎茶。
畫壁燈光暗,幡竿日影斜。
殷勤重回首,墻外數枝花。
(下し文)
(趙煉師を訪ねて遇はず)
何れの處にか仙侶【せんりょ】を同じうす、青衣【せいい】獨り家に在り。
暖爐【だんろ】留めて 薬を煮、鄰院【りんいん】爲めに 茶を煎ず。
畫壁【がへき】燈光【とうこう】暗く、幡竿【ばんかん】日影【にちえい】斜なり。
殷勤【いんぎん】重ねて首を回らせば、墻外【しょうがい】數枝の花。
(現代語訳)
(趙煉師を訪ねて遇はず)
お友だちの道士の方と、どこか行かれたらしい。青衣の下女がひとりでお留守番をしていた。
出掛けられて間もなおのか爐があたたかであり、仙薬が煎じられていた。庭の向こう隣りから、お茶をたててきて、もてなしてくれる。
祭壇のある壁画壁のある部屋には、燈火がついているが薄暗い。それと反対に明るい庭の方に建っているはたをかかげる竹竿には、午後の日が斜めにあたっている。
祭壇のある壁画壁のある部屋には、燈火がついているが薄暗い。それと反対に明るい庭の方に建っているはたをかかげる竹竿には、午後の日が斜めにあたっている。
(訳注)
訪趙煉師不遇
1. (趙煉師を訪ねて遇はず)
2. 妓女である魚玄機が趙煉師ということは三国時代孫権が最も寵愛した夫人のことであり、花街の女が官僚の女になったものの互いに呼び合った名前である。森鴎外は小説の中で「かねて交っていた道士趙錬師を招待して、魚玄機の身の上を託した。玄機が咸宜観に入って女道士になったのは、かうした因縁であった。」とかいている。この詩が根拠ということなのである。
妓女から役人の妻へ、そして、おそらく道士趙錬師はまさに魚玄機があこがれていた女性でもあったのではないだろうか。
少なくとも、この詩でわかるように、魚玄機は道士への憧れを持っていた。この詩はその気持ちを詠ったものである。
李白『訪載天山道士不遇』、賈島「尋隠者不遇」柳宗元、韋応物など多くの詩人が詩題にしている。
この詩が役人の妻という実績が出来、そして道観に隠遁するという、当時の妓女のステータスであったのである。したがって、魚玄機の李億に対する未練のかけらもないことを示す詩なのである。そういう意味でこの詩は重要なものである。おそらく、この詩も、書斎の中で作られたものであろう。
何處同仙侶,青衣獨在家。
お友だちの道士の方と、どこか行かれたらしい。青衣の下女がひとりでお留守番をしていた。
3. ・仙侶 仙は道士、侶は仲間。同じ道士のひとと。仙侶、錬師は、女性であったのであろう。
4. ・青衣 下女のこと。昔、身分のいやしい者が、青衣を着たことから、婦女・給仕の者を、青衣というようになった。
暖爐留煮藥,鄰院為煎茶。
出掛けられて間もないのか、爐があたたかであり、仙薬が煎じられている。庭の向こう隣りから、お茶をたててきて、もてなしてくれる。
5. ・煮藥 道士は薬草を煎じるというのも常套である。
6. ・鄰院 隣の中庭のあるブロック。
畫壁燈光暗,幡竿日影斜。
祭壇のある壁画壁のある部屋には、燈火がついているが薄暗い。それと反対に明るい庭の方に建っているはたをかかげる竹竿には、午後の日が斜めにあたっている。
7. ・畫壁 壁画のある壁。
8. ・幡 はた。仏寺や道観にたてられているはた。
殷勤重回首,墻外數枝花。
歸りかけておもむろに後ろをふりかえると、かきねの外にまで何本か出ている枝に花が咲いている。
9. ・殷勤 ねんごろ、ていねい。この場合、ていねいにまたふりかえってみたこと。
10. ・墻 土塀の垣根。
参考<隠者に対する敬具のあらわす>
李白「訪載天山道士不遇」
犬吠水声中、桃花帯露濃。
樹深時見鹿、渓午不聞鐘。
野竹分青靄、飛泉挂碧峰。
無人知所去、愁倚両三松。
犬は吠ゆ水声の中、桃花は露を帯びて濃やかなり。
樹は深くして時に鹿を見、渓は午にして鐘を聞かず。
野竹は青靄を分け、飛泉は碧峰に挂かる。
人の去く所を知る無し、愁えて倚る両三松。
・不遇
六朝の末ごろから詠い出されたこのテーマは、いないことによって却って隠者の縹渺(ひょうびょう)たる風趣が漂う、ことを狙いとする」韋応物(いおうぶつ)の「休日 人を訪ねて遇(あ)わず」の詩。昔の官吏は九日働いて一日休み、という過酷な勤め。折角の休みに隠者に会うべく山中に尋ねてきたが、留守で会えない。「六朝の末ごろから詠い出されたこのテーマは、いないことによって却って隠者の縹渺(ひょうびょう)たる風趣が漂う、ことを狙いとする」と解説される。
・錬師
花街の女が官僚の女になったものの互いに呼び合った名前らしい。孫権の歩夫人にあやかっての呼び合っていたのであろう。ちなみに歩夫人は徐州臨淮郡淮陰(現在の江蘇省淮安市)の出身。呉に仕えた歩隲の同族。諱は「練師」だった(『建康実録』)。史書に名前が残る孫権の妻の一人。戦乱を避けて母と共に江東に移住した所、孫権に見初められて夫人となった。嫉妬しない性格だったため孫権が最も寵愛した夫人となった。孫権が皇帝に即位すると内心歩夫人を皇后にしようと考えていたが、皇太子の孫登や群臣達は孫登の養母である徐夫人を皇后にすることを望んでいた。しかし孫権は徐夫人の立后を拒否し、歩夫人もまた皇后につこうとせず238年に没した。
孫権はあらためて歩夫人に皇后の位を追贈し、孫権死後に陵墓である「蒋陵」に一緒に葬られることになった。