詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.71 薛濤 《送盧員外 》
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2017年10月27日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.71 薛濤 《送盧員外 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9368
(盧員外をお送り申しあげます。)
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。
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薛濤詩 |
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62. 賊平后上高相公
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。
63. 續嘉陵驛詩獻武相國
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
64. 上川主武元衡相國 其一
落日重城夕霧收,玳筵雕俎荐諸侯。
因令朗月當庭燎,不使珠帘下玉鉤。
65. 上川主武元衡相國 其二
東閣移尊綺席陳,貂簪龍節更宜春。
軍城畫角三聲歇,云幕初垂紅燭新。
66. 題嘉陵驛 武元衡
悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。
路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。
67. 聽歌 武元衝
月上重樓絲管秋,佳人夜唱古梁州。
滿堂誰是知音者,不惜千金與莫愁。
武元衝 贈歌人
林鶯一哢四時春、蟬翼羅衣白玉人。
曾逐使君歌舞地、淸泉長咽翠眉頻。
68. 摩訶池宴
摩訶池上春光早,愛水看花日日來。
穠李雪開歌扇掩,綠楊風動舞腰回。
蕪臺事往空留恨,金谷時危悟惜才。
晝短欲將清夜繼,西園自有月裴回。
69. 摩訶池贈蕭中丞
昔以多能佐碧油,今朝同泛舊仙舟。
淒涼逝水頹波遠,惟有碑泉咽不流。
70. 鄉思
峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。
71. 送盧員外
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
72. 斛石山曉望寄呂侍
曦輪初轉照仙扃,旋擘煙嵐上窅冥。
不得玄暉同指點,天涯蒼翠漫青青。
武元衛は、彼女が成都で仕えた十一人の節度使のうちの一人。元和二年、彼女の四十六歳の年に、武元衛は宰相を兼務したまま剣南西川節度使となって赴任してきた。その着任と同時に献じた詩が、「嘉陵驛の詩に續けて、武相國に獻ず」(6 1)で、この詩はその翌年の春の作である。武元衡は、元和八年二月、成都を出塗して、宰相として都にもどっている。薛濤は、四十歳から四十七歳までの八年、營妓として武元衝に仕えた。
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薛濤 71《摩訶池宴》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9368 |
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送盧員外
(盧員外をお送り申しあげます。)
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。
盧員外を送る
玉壘の山前 風雪の夜,錦官の城外 別離の魂。
信陵の公子 相いの如しと問わば,長く夷門に向って舊恩に感ず。
『送盧員外』 現代語訳と訳註
(本文) 送盧員外
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
(下し文)
盧員外を送る
玉壘の山前 風雪の夜,錦官の城外 別離の魂。
信陵の公子 相いの如しと問わば,長く夷門に向って舊恩に感ず。
(現代語訳)
(盧員外をお送り申しあげます。)
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。
(訳注)
送盧員外
1. (盧員外をお送り申しあげます。)
2. ・盧員外 員外は員外郎の略称で官名。また富豪のこと。信陵君を例にひいて詠んでいるところから考えると、後者らしい。
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
3. ・玉塁山 ・玉塁 四川省理蕃県東南にある山の名、現在四川省都江堰市玉塁山(標高約800m)。奇石千尺、城表に伐立屹立している。青城山、峨媚山とならんで四川省の代表的な山。都江堰は灌県の西側にある玉塁山の麓にあり、成都市から59km離れる。この一帯は成都平原西北部の頂きである。大小さまざまな支流が集まる岷江はここで成都平原に注ぐことになる。
四川省理蕃県の東南、成都の北方、灌県からさらに北に約三百里、汶川県の南三里にある西蜀の代表的な山。彰県から北上すると、重畳たる山脈がつらなり、沱江の源となっているが、その北山脈中でもっとも有名なのがこの玉塁山で、背光山ともいうが、山中から美玉を産するところから、玉塁の名で古くから知られている。
薛濤の『續嘉陵驛詩獻武相國』
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
(「題嘉陵驛」の詩に續いて武相國に獻ず)
蜀門 西のかた更に青天に上り,強いて公の為に蜀國の弦を歌わん。
卓氏 長卿 士女を稱し,錦江 玉壘 山川を獻ず。
4. ・錦宮城(きんかんじ上う) 成郡の別名。四川の特産品である錦の製造買上げを職とする官吏が常駐していたところから、成郡のことを錦官城とよぶ。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。
5. ・信陵君 魏の昭王の子、無忌。食客が三千人あったという。秦が趙を囲んだ時、趙では救援を魏に求めた。信陵君は、その大勢の客たちを集めての宴の席に、みんなを待たせておいて、みずから車を駆けて、大梁の夷門の番人であった老人の侯瀛を、迎えにゆき、そしてその老人を、宴席では、みんなの上座にすえた。侯瀛は、その時の感激が忘れられず、後日、信陵君の趙に秦の軍が侵入し、危急存亡のとき、ぐずぐずしていた趙の将軍を殺す人物を推薦し、ついに趙軍を麾下におさめて、秦軍を撃退するチャンスをつくったという。善恩人にお返しをした故事。