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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

八、2.66 薛濤 《題嘉陵驛 武元衡 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9326

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八、2.66 薛濤 《題嘉陵驛 武元衡 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9326

八、2.66 薛濤 《題嘉陵驛 武元衡 》

 

 

20171022

の紀頌之"6"つの校注Blog

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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八、2.66 薛濤 《題嘉陵驛 武元衡 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9326

(武元衝が蜀に入る途上で詠った詩。)
ゆつたりと落ち着いて風に靡く旗の行列が秦嶺山脈、大巴山の大山脈と、岷山の大山脈の間の地溝帯を嘉陵江の流れるそれらの山川を繞【めぐ】って進んでいる。山の中の宿場、嘉陵江を渡る手前側では綿谷、利州、渡し場では吉柏津、対岸に渡った益昌とつづくあたりをいう。 

津に辿り着いたが、髪の毛は白くなってしまった。蜀の剣閣へは西の方に向かい、更に青天に上【のぼ】るような嶮しい登り道が続いている。 


 

 

 

薛濤詩 

 

 

62. 賊平后上高相公

驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。

 

63. 續嘉陵驛詩獻武相國

蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。

卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。

 

64. 上川主武元衡相國 其一
落日重城夕霧收,玳筵雕俎荐諸侯。
因令朗月當庭燎,不使珠帘下玉鉤。 


65.
 上川主武元衡相國 其二
東閣移尊綺席陳,貂簪龍節更宜春。
軍城畫角三聲歇,云幕初垂紅燭新。 

 

66. 題嘉陵驛 武元衡

悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。

路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。

 

67. 聽歌 武元衝

月上重樓絲管秋,佳人夜唱古梁州。

滿堂誰是知音者,不惜千金與莫愁。

 

武元衝 贈歌人

林鶯一哢四時春、蟬翼羅衣白玉人。

曾逐使君歌舞地、淸泉長咽翠眉頻。

 

68. 摩訶池宴 

摩訶池上春光早,愛水看花日日來。
穠李雪開歌扇掩,綠楊風動舞腰回。
蕪臺事往空留恨,金谷時危悟惜才。
晝短欲將清夜繼,西園自有月裴回。

 

69. 摩訶池贈蕭中丞 

昔以多能佐碧油,今朝同泛舊仙舟。

淒涼逝水波遠,惟有碑泉咽不流。

 

70. 

峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。

71. 送盧員外 

玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。

 

72. 斛石山曉望寄呂侍

曦輪初轉照仙扃,旋擘煙嵐上窅冥。
不得玄暉同指點,天涯蒼翠漫青青。

 

武元衛は、彼女が成都で仕えた十一人の節度使のうちの一人。元和二年、彼女の四十六歳の年に、武元衛は宰相を兼務したまま剣南西川節度使となって赴任してきた。その着任と同時に献じた詩が、「嘉陵驛の詩に續けて、武相國に獻ず」(6 1)で、この詩はその翌年の春の作である。武元衡は、元和八年二月、成都を出塗して、宰相として都にもどっている。薛濤は、四十歳から四十七歳までの八年、營妓として武元衝に仕えた。

 

 

 

 薛濤《題嘉陵驛 武元衡》

 

 

訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9326

 

 

 

 

武元衝の「嘉陵驛に題す」と題した次の詩につづけて作ったものである。
題嘉陵驛
(武元衝が蜀に入る途上で詠った詩。)
悠悠風旆繞山川、山驛空濛雨作煙。
ゆつたりと落ち着いて風に靡く旗の行列が秦嶺山脈、大巴山の大山脈と、岷山の大山脈の間の地溝帯を嘉陵江の流れるそれらの山川を繞【めぐ】って進んでいる。山の中の宿場、嘉陵江を渡る手前側では綿谷、利州、渡し場では吉柏津、対岸に渡った益昌とつづくあたりをいう。 
路半嘉陵頭己白、蜀門西更上青天。
津に辿り着いたが、髪の毛は白くなってしまった。蜀の剣閣へは西の方に向かい、更に青天に上【のぼ】るような嶮しい登り道が続いている。 


悠悠 風旆 山川を繞る、山驛 空濛 雨 煙と作る。
路 嘉陵に半ばして頭は己に白くし、蜀門 西のかた更に青天に上る。

 

『題嘉陵驛』 現代語訳と訳註
(
本文)

悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。
路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。

 

(下し文)
嘉陵驛かりょうえきに題す
悠悠たる 風旆ふうはい  山川を繞めぐり,
山驛 空濛くうもうとして  雨 煙と作なる。
路 嘉陵かりょうに半ばして  頭かうべ 已すでに白く,
蜀門 西のかた 更に  青天に上のぼらん。


(現代語訳)
(武元衝が蜀に入る途上で詠った詩。)
ゆつたりと落ち着いて風に靡く旗の行列が秦嶺山脈、大巴山の大山脈と、岷山の大山脈の間の地溝帯を嘉陵江の流れるそれらの山川を繞【めぐ】って進んでいる。山の中の宿場、嘉陵江を渡る手前側では綿谷、利州、渡し場では吉柏津、対岸に渡った益昌とつづくあたりをいう。 

津に辿り着いたが、髪の毛は白くなってしまった。蜀の剣閣へは西の方に向かい、更に青天に上【のぼ】るような嶮しい登り道が続いている。   

(訳注)
題嘉陵驛
1. (武元衝が蜀に入る途上で詠った詩。) 
2.
 ・題:…を題とした詩を作る。 
3.
 ・嘉陵驛:陝西から蜀に入る道の途中にある駅。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)の52-53ページ「唐 山南東道 山南西道」で蜀の入り口附近の、街道と嘉陵江が交わる近くに綿谷、利州や、渡し場の吉柏津(fg-4)が並んでいる。吉伯津から渡って蜀に入った。現・広元よりややわずかに益昌、剣閣(南側:蜀)寄り。
4.
 武元衡:中唐の政治家。字は伯蒼。河南氏の人。758年(乾元元年)~815年(元和十年)。憲宗の元和二年に門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった。


悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。
ゆつたりと落ち着いて風に靡く旗の行列が秦嶺山脈、大巴山の大山脈と、岷山の大山脈の間の地溝帯を嘉陵江の流れるそれらの山川を繞【めぐ】って進んでいる。山の中の宿場、嘉陵江を渡る手前側では綿谷、利州、渡し場では吉柏津、対岸に渡った益昌とつづくあたりをいう。 
5. ・悠悠:遠くはるかなさま。限りないさま。長く久しいさま。ゆつたりと落ち着いたさま。『詩經・王風・黍離』に「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。彼黍離離,彼稷之穗。行邁靡靡,中心如醉。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。彼黍離離,彼稷之實。行邁靡靡,中心如噎。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」とあり、曹操は『短歌行』「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。慨當以慷,憂思難忘。何以解憂,唯有杜康。青青子衿,悠悠我心。 但爲君故,沈吟至今。鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。」とある。 

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-1  古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

6. ・風旆:風に靡く旗。 ・旆:はた。黒地にさまざまの色の縁飾りを附け、その末端を燕の尾のように裂いた旗。大将の立てる旗。 
7.
 ・繞:めぐる。まつわる。まとう。 
8.
 ・山川:秦嶺山脈、大巴山の大山脈と、岷山の大山脈の間の地溝帯を嘉陵江が流れる。それらの山河。
9.
 ・山驛:・空濛:霧雨が降って薄暗いさま。後世、蘇軾の『飮湖上初晴後雨』で「水光瀲晴方好,山色空濛雨亦奇。欲把西湖比西子,淡粧濃抹總相宜。」と使う。

10. ・作:(…と)なる。「似」ともする。 ・似:ごとし。 ・煙:もや。


路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。
任地蜀への路程は半ばで、やっと嘉陵江の渡し場吉柏津に辿り着いたが、髪の毛は白くなってしまった。蜀の剣閣へは西の方に向かい、更に青天に上【のぼ】るような嶮しい登り道が続いている。 
11. ・路半:(蜀の任地への)路程は半ばである。 
12.
 ・嘉陵:陝西省西部を川から南に流れる川の名。蜀に至る街道と並行しているが、蜀に入る手前で交叉する。陝
西省東北部の嘉陵谷を水源とし、四川省東部を南流して、重慶附近で長江に注ぐ川で、秦嶺山脈、大巴山の大山脈西側、岷山の大山脈の東側を南流している。その低地(谷間)に沿って街道もできた。長安など関中から四川に出る唯一の道筋。 
13.
 ・頭:あたま(の髪)。こうべ。 
14.
 ・已:とっくに。すでに。 
15.
 ・白:白い。白髪となる。
16.
  *「蜀門西上更青天」ともする。 
・蜀門:蜀の剣閣。街道が蜀の国に入った所の地名。蜀の国の入り口の意。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)「剣南道北部」fg-4にある、(長安と成都を結ぶ街道を塞ぐばかりに聳える)大剣山、石門山辺りを指す。杜甫の成都紀行にこのあたりの風景が描写されている。

”成都紀行(9)” 桔柏渡 杜甫詩1000 <349>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1683 杜甫1500- 520

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <349>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1687 杜甫1500- 521

”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <350>#1/3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1695 杜甫1500- 523


17.
 ・西:西に向かう。西す(る)。動詞。 
18.
 ・更:その上。 上:のぼる。 
19.
 ・青天:青空。ここでは天に上るかのような険しい山道が続いていることをいう。
李白蜀道難 「噫吁戲危乎高哉,蜀道之難難於上青天。蠶叢及魚鳧,開國何茫然。」とある。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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