詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
|
|||||
2017年9月28日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
||||
10年のBLOGの集大成 |
|
||||
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
|||||
Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
|||||
Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 LiveDoor |
806年-140 先生-巻八-06納涼聯句【案:韓愈、孟郊】-#7 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9112 |
||||
Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
767年-141#15 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#15§5.-4注(1155) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9141 |
||||
Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞 fc2Blog |
花間集 訳注解説 (252)回目毛文錫巻五27月宮春一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9135 (09/28) |
||||
Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉-巻二38 悼亡詩二首其二 皎皎窓中月 -#4〔潘岳〕 Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9150 |
||||
Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
|||||
八、2.43 薛濤 《十離詩十首 筆離手 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9144
(筆がすてられた。)
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
何もかもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。
|
|
|
薛濤詩 |
||
|
40十離詩十-幷序
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。因事獲怒。遠之。涛作十離詩以献。逐復善焉。
41.犬離主
出入朱門四五年,為知人意得人憐。 近緣咬著親知客,不得紅絲毯上眠。
42. 犬離主
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。因事獲怒。遠之。涛作十離詩以献。逐復善焉。
43. 筆離手
越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。 都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。
44. 馬離廄
雪耳紅毛淺碧蹄,追風曾到日東西。 為驚玉貌郎君墜,不得華軒更一嘶。
45. 燕離巢
出入朱門未忍拋,主人常愛語交交。銜泥穢污珊瑚枕,不得梁間更壘巢。
46. 珠離掌
皎潔圓明內外通,清光似照水晶宮。只緣一點玷相穢,不得終宵在掌中。
47. 鷹離鞲
爪利如鋒眼似鈴,平原捉兔稱高情。無端竄向青云外,不得君王臂上擎。
48. 鷹離鞲
爪利如鋒眼似鈴,平原捉兔稱高情。無端竄向青云外,不得君王臂上擎。
49. 竹離亭
蓊郁新栽四五行,常將勁節負秋霜。 為緣春筍鑽牆破,不得垂陰覆玉堂。
50. 鏡離台
鑄瀉黃金鏡始開,初生三五月徘徊。 為遭無限塵蒙蔽,不得華堂上玉台。
|
|
|
薛濤詩 43 《十離詩十首 筆離手 原註》 |
||
|
十離詩
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
困事獲怒。遠之。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
涛作十離詩以献。逐復善焉。
薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。
犬離主
(飼い主の主人から追いだされた犬の歌。)
出入朱門四五年,為知人意得人憐。
高貴なお邸に出入りさせていただいて早、四、五年にもなっています。あなた様のご厚情にあまえつづけており、本当にご主人にかわいがられていたのです。
近緣咬著親知客,不得紅絲毯上眠。
ところが、ふとしたことから、ご主人の近縁のお方にかみつくようなまねをしてしまい、このうえは、紅い上等の毛せんの上で眠るわけにはいきませんと孟反省致しております。
42. 犬離主
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
困事獲怒。遠之。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
涛作十離詩以献。逐復善焉。
薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。
43. 筆離手
(筆がすてられた。)
越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。
何もかもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。
(筆は手を離る。)
越管【えつかん】宣毫【せんごう】始めより情に稱【かな】う,紅箋【こうせん】紙上 花瓊【かけい】を撒【ま】く。
都【すべ】て用うること久しきことに緣り鋒頭【ほうとう】盡き,羲之の手里に擎【ささ】げらるるを得ず。
『十離詩十首』 現代語訳と訳註
(本文)
43. 筆離手
越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。
都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。
(下し文)
(筆は手を離る。)
越管【えつかん】宣毫【せんごう】始めより情に稱【かな】う,紅箋【こうせん】紙上 花瓊【かけい】を撒【ま】く。
都【すべ】て用うること久しきことに緣り鋒頭【ほうとう】盡き,羲之の手里に擎【ささ】げらるるを得ず。
(現代語訳)
43. (筆がすてられた。)
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
何もかもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。
(訳注)
筆離手
16. 筆がすてられた。
17. 薛濤は詩歌と書も王羲之の書体をマスターしており、文具についても詳しかった。彼女の作った薛濤䇳は現在も廃れていないものであることから、文具全般に薛濤の改良品を作っていたのではないだろうか。なお、薛濤が四大文具について詠った詩『四友贊』がある。四友贊 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-152-24-#17 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2307
越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
18. ・越管 越は今の浙江省の地方。管はくだ。筆の軸をいう。越地方産の竹の筆軸。竹管を使うようになったのは六朝時代から。湘江の班竹をつかったもの。
19. ・宣毫(せんごう) 宣州は宣城。李白の詩にも宣城紙についてふれている。今の安徽省、江西省、浙江省六朝文化の中心地で文具は完成された。。毫は筆の毛。筆の穂である。唐の開元二年に、宰相に斑竹の筆を賜わったことが、「唐書」に見える。また宣城は紙と筆の名産地で、唐代から諸葛氏が筆の製造家として有名である。画仙紙/宣紙は「宣紙を冠される紙」はその伝統的産地「宣城」、現在の「安徽省県烏城地域」で伝統手法に則り生産される紙に限定されている。
20. ・紅箋 あかい詩集。箋は今の便箋のようなもの。薛濤䇳。
21. ・花瓊(かけい) 瓊は黄玉。ここでは端渓石で作った硯(すずり)。美しい斑文(はんもん)があり、墨のおりもよく、古来珍重される。
*瓊花 隋から唐の時代、「瓊花(チウンホア)」は「玉蘂」とも呼ばれ、その芳香のある黄白色の花が愛でられたという。ただ不稔であったために、「聚八仙」という台木に接ぎ木して増やしていたそうだが、やがて元軍の進入とともに絶え、その後は残った台木の「聚八仙」が「瓊花」と呼ばれるようになったという。この花は薛濤らしい花である。
都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。
何もかにもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。
22. ・鋒頭 筆の穂のさき。宋の熙寧頃までは固い穂で、バラバラの穂が現われたのはその後。
23. ・義之 晋の名書家王羲之。