詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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八、2.32 薛濤 《斛石山書事 》
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2017年9月6日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.32 薛濤 《斛石山書事 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9067
(斛石山で、感じたままをスケッチする。)
王維の系統の山水画を見るたびに心の中でおもうことがある。これはみんなだれもが絵の中でのこと、実態とは違うものを書いていると思っていた。
ところが今日、思いがけなく、あの崑崙山のような高い大空のうえの山(斛石山)にのぼってみると、步搖峯だとか、冠翠峯だとか、遠く囲む千もあろうかという峯々がながめられて、王維の山水画も、実景をしたものだと思うようになったのです。
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薛濤詩 |
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28. 聽僧吹蘆管
曉蟬鳴咽暮鶯愁,言語殷勤十指頭。
罷閱梵書勞一弄,散隨金磬泥清秋。
29. 試新服裁制初成三首 其一
紫陽宮里賜紅綃,仙霧朦朧隔海遙。
霜兔毳寒冰繭淨,嫦娥笑指織星橋。
30. 試新服裁制初成三首 其二
九氣分為九色霞,五靈仙馭五云車。
春風因過東君舍,偷樣人間染百花。
31. 試新服裁制初成三首 其三
長裾本是上清儀,曾逐群仙把玉芝。
每到宮中歌舞會,折腰齊唱步虛詞。
32. 斛石山書事
王家山水畫圖中,意思都盧粉墨容。
今日忽登虛境望,步搖冠翠一千峰。
33 西巖
憑闌卻憶騎鯨客,把酒臨風手自招。
細雨聲中停去馬,夕陽影里亂鳴蜩。
34. 題竹郎廟
竹郎廟前多古木,夕陽沉沉山更綠。
何處江村有笛聲,聲聲盡是迎郎曲。
35. 賦凌云寺二首 其一
聞說凌云寺里苔,風高日近絕纖埃。
橫云點染芙蓉壁,似待詩人寶月來。
36・ 賦凌云寺二首 其二
聞說凌云寺里花,飛空繞磴逐江斜。
有時鎖得嫦娥鏡,鏤出瑤台五色霞。
37. 海棠溪
春教風景駐仙霞,水面魚身總帶花。
人世不思靈卉異,競將紅纈染輕沙。
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聽僧吹蘆管 |
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試新服裁制初成三首 其二 |
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試新服裁制初成三首 其三 |
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西巌 |
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題竹郎廟 |
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賦凌云寺二首 其一 |
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賦凌云寺二首 其二 |
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海棠溪 |
斛石山書事
(斛石山で、感じたままをスケッチする。)
王家山水畫圖中,意思都盧粉墨容。
王維の系統の山水画を見るたびに心の中でおもうことがある。これはみんなだれもが絵の中でのこと、実態とは違うものを書いていると思っていた。
今日忽登虛境望,步搖冠翠一千峰。
ところが今日、思いがけなく、あの崑崙山のような高い大空のうえの山(斛石山)にのぼってみると、步搖峯だとか、冠翠峯だとか、遠く囲む千もあろうかという峯々がながめられて、王維の山水画も、実景をしたものだと思うようになったのです。
(斛石山書事)
王家の山水 畫圖の中、意に思ふ都盧粉墨の容と。
今日忽ち 虚境に登って望めば、歩揺 冠翠 一千峯。
『斛石山書事』 現代語訳と訳註
(本文)
王家山水畫圖中,意思都盧粉墨容。
今日忽登虛境望,步搖冠翠一千峰。
(下し文)
(斛石山書事)
王家の山水 畫圖の中、意に思ふ都盧粉墨の容と。
今日忽ち 虚境に登って望めば、歩揺 冠翠 一千峯。
(現代語訳)
(斛石山で、感じたままをスケッチする。)
王維の系統の山水画を見るたびに心の中でおもうことがある。これはみんなだれもが絵の中でのこと、実態とは違うものを書いていると思っていた。
ところが今日、思いがけなく、あの崑崙山のような高い大空のうえの山(斛石山)にのぼってみると、步搖峯だとか、冠翠峯だとか、遠く囲む千もあろうかという峯々がながめられて、王維の山水画も、実景をしたものだと思うようになったのです。
『即事』
聞道花門破,和親事卻非。
人憐漢公主,生得渡河歸。
秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。
群凶猶索戰,回首意多違。
即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410
王家山水畫圖中,意思都盧粉墨容。
王維の系統の山水画を見るたびに心の中でおもうことがある。これはみんなだれもが絵の中でのこと、実態とは違うものを書いていると思っていた。
4. ・王家山水 王は、唐の詩人であり山水画家であった王維。王維の山水画に影響され、平遠のおもむきをよく写した。大きな遠景がとくいであった。その一派の山水画をいう。南宋画派に受け継がれ発展した。
5. ・都盧 唐代からよくつかわれるとうになった言いまわしで、すべての意。いまの中国語で、「都」一字を、すべての意に用いるのは、このころから始まったものといわれている。白居易(楽天)に「骨肉都盧十口無し」の句がある。みんなでの意。
今日忽登虛境望,步搖冠翠一千峰。
ところが今日、思いがけなく、あの崑崙山のような高い大空のうえの山(斛石山)にのぼってみると、步搖峯だとか、冠翠峯だとか、遠く囲む千もあろうかという峯々がながめられて、王維の山水画も、実景をしたものだと思うようになったのです。
6. ・粉墨 白と墨。えのぐ。
7. ・虛境 「説文」に「崑崙の丘、これを崑崙の虚という」とある。虚は大丘の意。後に墟と書くようになった。また天空を虚ともいう。
8. ・ 步搖冠翠 歩揺峰・冠翠峰 斛石山から望まれる峯の名。ここで実際の山名とは異なる名前をわざわざ使ったのである。歩揺〔歩くたびに揺れるところから〕古代中国で、女性の髪飾り・かんざしの類をいい、また、冠翠は蜀地方に住む綺麗な小鳥をいうため、山々の表現をかわいらしく云ったもの。