詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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24.薛濤 《 菱荇沼》 七言絶句
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2017年8月29日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.24 薛濤 《菱荇沼 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9011
春に蓮の若葉が出て、ジュンサイの花が咲く。春に行楽に行って、見るだけなのだ。秋に若い女が素足を出して、采蓮、采荷、采菱し、歌を歌い楽しく過ごす。この時男女の出会いがある。だからその時が待ち遠しいということを詠ったものである。
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薛濤詩 24 《菱荇沼》 |
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采蓮舟 |
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菱荇沼 |
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江邊 |
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九日遇雨二首其一 |
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九日遇雨二首其二 |
菱荇沼
(春に蓮の若葉が出て、ジュンサイの花が咲く。春に行楽に行って、見るだけなのだ。秋に若い女が素足を出して、采蓮、采荷、采菱し、歌を歌い楽しく過ごす。この時男女の出会いがある。だからその時が待ち遠しいということを詠ったものである)
水荇斜牽綠藻浮,柳絲和葉臥清流。
花ジュンサイが、みどり色の水藻をひき連れて水面に浮いている。糸のような柳の枝にはやわらかな若葉がいっぱいにつけて、清らかな流れの岸に臥したように並木が続き横たわっているように見える。
何時得向溪頭賞,旋摘菱花旋泛舟。
いつになったら、晩春に花ジュンサイの芽を取ったり、ひしの花が咲いて、初夏に咲くひしの花をつんだり、秋には采蓮とそれぞれの季節にぐるっとまわって舟あそびしたりする日を迎えることになるのでしょうか。
水荇【すいこう】斜に 綠藻【りょくそう】を牽きて浮び、柳絲【りゅうし】の和葉【わよう】清流に臥す。
何れの時か 渓頭に向って 賞し、旋【かえ】って菱花を摘み 旋って舟を泛ぶるを得ん。
『菱荇沼』 現代語訳と訳註
(本文)
菱荇沼
水荇斜牽綠藻浮,柳絲和葉臥清流。
何時得向溪頭賞,旋摘菱花旋泛舟。
(下し文)
(菱荇沼)
水荇【すいこう】斜に 綠藻【りょくそう】を牽きて浮び、柳絲【りゅうし】の和葉【わよう】清流に臥す。
何れの時か 渓頭に向って 賞し、旋【かえ】って菱花を摘み 旋って舟を泛ぶるを得ん。
(現代語訳)
(春に蓮の若葉が出て、ジュンサイの花が咲く。春に行楽に行って、見るだけなのだ。秋に若い女が素足を出して、采蓮、采荷、采菱し、歌を歌い楽しく過ごす。この時男女の出会いがある。だからその時が待ち遠しいということを詠ったものである)
花ジュンサイが、みどり色の水藻をひき連れて水面に浮いている。糸のような柳の枝にはやわらかな若葉がいっぱいにつけて、清らかな流れの岸に臥したように並木が続き横たわっているように見える。
いつになったら、晩春に花ジュンサイの芽を取ったり、ひしの花が咲いて、初夏に咲くひしの花をつんだり、秋には采蓮とそれぞれの季節にぐるっとまわって舟あそびしたりする日を迎えることになるのでしょうか。
(訳注)
菱荇沼
1.(春に蓮の若葉が出て、ジュンサイの花が咲く。春に行楽に行って、見るだけなのだ。秋に若い女が素足を出して、采蓮、采荷、采菱し、歌を歌い楽しく過ごす。この時男女の出会いがある。だからその時が待ち遠しいということを詠ったものである)
2.・菱荇 菱はひし。夏近く白い花をつけ、実は食用になる。荇はあさざ。はなじゅんさい。若葉を食用にする。・菱:①ヒシ科の一年生水草。各地の沼や池に群生。茎は水中を伸びて各節に細根を生じる。葉は菱形で、葉柄はふくれて空気を含み、水面に浮く。夏、白色四弁の花が咲く。果実はかたい殻でおおわれ両側に鋭いとげがある。食用となる。〔「菱の花」は [季]夏。「菱の実」は [季]秋〕 ②家紋の一。菱形を組み合わせたもの。松皮菱・割菱(武田菱)・三階菱など。③武器の一。鉄製で菱の実形に作り、先端をとがらせたもので、地上や河中に立てたり、まいたりして敵の進入を妨げる。車菱(くるまびし)。
3.・荇:リンドウ科の多年生水草。沼沢に自生する。葉は緑色の広楕円形で,地下茎から長い柄を出して水面に浮かぶ。夏,黄色の五弁花を水上に開く。若葉は食用。ハナジュンサイ。 [季] 夏。
春に蓮の若葉が出て、ジュンサイの花が咲く。春に行楽に行って、見るだけなのだ。秋に若い女が素足を出して、采蓮、采荷、采菱し、歌を歌い楽しく過ごす。この時男女の出会いがある。だからその時が待ち遠しいということを詠ったものである。西施はこの時見初められたのである。この頃の女性は人間としての扱いがなく、女郎か、下女か奴隷のような生活しかなく、こうした出会いによって持参金が入り、夢のような生活ができる古代チャイナドリームの可能性があったのがこうした行事である。
花街の女たちはそれぞれの季節に舟遊びをする。それをお客が鑑賞することで、行楽の一つである。
この詩もどこか特定する場所があるわけではなく風物詩として詠ったものである。
水荇斜牽綠藻浮,柳絲和葉臥清流。
花ジュンサイが、みどり色の水藻をひき連れて水面に浮いている。糸のような柳の枝にはやわらかな若葉がいっぱいにつけて、清らかな流れの岸に臥したように並木が続き横たわっているように見える。
4.・水荇 水の中の花ジュンサイの若芽。
5.・綠藻 みどり色のも。
6.・和葉 やわらかな葉。春に出たばかりの葉。
7.・清流 ここは詩の中で純情なイメージを感じさせるのと技巧的には彩をつけている。清流は白、青、緑 黒である。この二句では多くの色を配置させている。①水②荇斜牽③綠④藻浮,⑤柳⑥絲⑦和⑧葉臥⑨清⑩流。
何時得向溪頭賞,旋摘菱花旋泛舟。
いつになったら、晩春に花ジュンサイの芽を取ったり、ひしの花が咲いて、初夏に咲くひしの花をつんだり、秋には采蓮とそれぞれの季節にぐるっとまわって舟あそびしたりする日を迎えることになるのでしょうか。
8.・渓頭 谷川のほとり。この沼は谷川から入りこんでいるもので、水はつづいていると思われる。百花潭のあたりかもしれない。
9.・賞 鑑賞する。めでる。
10.・旋 何々したり何したりの意ときせつがかわること、ぐるぐるまわること。