詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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2017年5月25日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓 C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-93 先生-巻八-01#12城南聯句 §2 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8772 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-112#2 寄韓諫議#2 杜詩詳注((卷一七(四)一五○八) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8785 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 (201)回目張泌 《巻四28 浣渓沙十首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8774 (05/25) |
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fc2 |
Blog |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
玉-巻二17 樂府二首其二種瓜東井上 -#2〔魏明帝〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8775 |
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Ⅵ唐代女性論ブログ |
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唐代女性論 |
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五-3、下級官吏の家の女性
ここでは主に貴顕の家柄には入らない下級官吏の家の女性について述べる。彼女たちの生活は一般に朝廷から支給される官俸の収入に頼っていた。杜甫が、「生は(生活の上では)常に租税を免れ、名は征伐(微兵名簿)に隷らず」(「京ょり奉先県に赴き詠懐す五百字」)と、自らについて語っているように、
下級官吏の身分の者には一般民衆のような租税や諸役の苦しみはなかった。しかし彼らの官俸は
往々きわめて少なかったので、衣食の心配や飢寒の苦しみは一般的にはなかったにせよ、生活に十分な余裕があるわけでなく、甚だしい時には貧困窮迫を免れることはできなかった。杜甫の生涯は大半が下級官吏の生活であり、妻と娘の生活はかなり苦しく、多年人に寄食して暮らしたのである。
戦乱(安史の乱)によって、「妻と子、衣は百結だらけ」、「床前の両少女、補綴(つぎはぎだらけの衣服)後かに膝を過ぐ」(杜甫「北征」)というありさま。彼は最も貧しい時には薪を背負い、橡の実を採ってその日暮らしをせねばならなかった。暮らし向きがよかった時のこと、ある日杜甫は友人に妻を紹介した。友人は家に帰るとすぐ妻に命じて、杜甫の妻のために夜飛蝉(婦人の衣裳)をおしゃれ用にと送らせた。おそらく杜甫夫人の着物があまりに簡単で質素だったからであろう(張泌『粧楼記』)。元棋が下級官吏である校書郎になった時、家族の生活はわりに苦しかった。彼は「悲懐を遣わす」という詩において、「我を顧みて衣無ければ画箇(衣裳箱)を捜し、他に泥みて酒を浩わんとすれば金奴を抜く。野蔑 膳に充ちて長き董甘く、落葉 薪に添えんとして古き槐を仰ぐ」と、亡き妻の章氏との生活を懐しんでいる。少なくとも生活はそれほど豊かでなかったことが分かる。この階層の女性は一般に生産労働には参加しなかった。といっても彼女たちの多くは、完全に奴僕に任せきりで家事労働から解放されていたというわけでもなかった。小官吏であった王績は官を棄てて家に帰った後、詩の中で「床に倚りて婦の織を看る」と書いている。また白居易は江州司馬に左遷された時、「内子に贈る」という詩の中で「【妻は】寒衣にて灯下に補い、小女は床頭に戯る」と書いている。この階層の女性たちは、しばしば一定の家事労働をやらねばならなかったことが分かる。
この階層の女性たちは出身も教養も低く、また自分の地位が高まる可能性も特にはなかったので、夫の官途が順調で、とんとん柏子に出世することを祈るというのが共通した心理であり、さし迫った願いであった。湛責は一県吏にすぎなかった時、親戚が名士、官僚を招いて大宴会をやった。湛賞はその家の裏の建物で食事を供せられた。彼の妻はそれがたいへん不満で、「男子たるものよく励んで出世しなければ、このような辱しめを受けるのです。どうしてこれが我慢できましーっ」と言って夫を責めた。後に湛責は発奮し、はたせるかな進士に合格した(『唐捻言』巻ハ)。章皐の妻張氏は節度使の娘であった。夫が自分の実家で冷遇されるのを見て夫を励まし、「男子たるものは天下に遠大な志を持つもの。今このような辱しめを受けるとは思いもしませんでした。ああ!」と嘆いた。彼女は化粧箱を金にかえて夫の出世を支え、はたせるかな章皐は後に金吾将軍、西川節度使になった(『雲渓友議』巻四)。これと大同小異の話はたいへん多く、それらを通じてこの階層の女性たちに共通の心理と願望を知ることができる。