詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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九、028卷804_26 《重陽阻雨》 魚玄機
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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九、028卷804_26 《重陽阻雨》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9888
(重陽の日に雨に阻まれる。)
まがきのあたりに、一面に咲いていた黄金色の菊の花は、雨風にたたかれて、茎の折れてしまったものさえある。外は雨、鏡を開けると、蓮の花が兩の頬に咲いているように映る。
晋の孟嘉の故事のように山に昇れば帽子が飛ばされても気が付かないほどお酒をいただき、良い詩を返そうと思う前に嵐によって山に向かう外に出るのさえ阻まれたのです。こんなことではどこで黃菊酒の盃で酔えばよいのかわからない。
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魚玄機 全詩 |
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卷804_26 重陽阻雨
滿庭黃菊籬邊拆,兩朵芙蓉鏡裏開。
落帽臺前風雨阻,不知何處醉金杯。
卷804_27 早秋
嫩菊含新彩,遠山閑夕煙。涼風驚綠樹,清韻入朱弦。
思婦機中錦,征人塞外天。雁飛魚在水,書信若為傳。
卷804_28 感懷寄人
恨寄朱弦上,含情意不任。早知雲雨會,未起蕙蘭心。
灼灼桃兼李,無妨國士尋。蒼蒼松與桂,仍羨世人欽。
月色苔階凈,歌聲竹院深。門前紅葉地,不掃待知音。
卷804_29 期友人阻雨不至
雁魚空有信,雞黍恨無期。閉戶方籠月,褰簾已散絲。
近泉鳴砌畔,遠浪漲江湄。鄉思悲秋客,愁吟五字詩。
卷804_30 訪趙煉師不遇
何處同仙侶,青衣獨在家。暖爐留煮藥,鄰院為煎茶。
畫壁燈光暗,幡竿日影斜。殷勤重回首,墻外數枝花。
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魚玄機 《重陽阻雨》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9888 |
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卷804_26 【重陽阻雨】魚玄機
重陽阻雨
(重陽の日に雨に阻まれる。)
滿庭黃菊籬邊拆,兩朵芙蓉鏡裏開。
まがきのあたりに、一面に咲いていた黄金色の菊の花は、雨風にたたかれて、茎の折れてしまったものさえある。外は雨、鏡を開けると、蓮の花が兩の頬に咲いているように映る。
落帽臺前風雨阻,不知何處醉金杯。
晋の孟嘉の故事のように山に昇れば帽子が飛ばされても気が付かないほどお酒をいただき、良い詩を返そうと思う前に嵐によって山に向かう外に出るのさえ阻まれたのです。こんなことではどこで黃菊酒の盃で酔えばよいのかわからない。
(重陽雨に阻まる)
滿庭の黃菊 籬邊に拆れ,兩朵【りょうだ】の芙蓉 鏡裏に開く。
落帽 臺を前にして風雨 阻み,何【いずれ】の處に金杯に醉うを知らざらん。
『重陽阻雨』 魚玄機#33
現代語訳と訳註
(本文)
重陽阻雨
滿庭黃菊籬邊拆,兩朵芙蓉鏡裏開。
落帽臺前風雨阻,不知何處醉金杯。
(下し文)
(重陽雨に阻まる)
滿庭の黃菊 籬邊に拆れ,兩朵【りょうだ】の芙蓉 鏡裏に開く。
落帽 臺を前にして風雨 阻み,何【いずれ】の處に金杯に醉うを知らざらん。
(現代語訳)
(重陽の日に雨に阻まれる。)
まがきのあたりに、一面に咲いていた黄金色の菊の花は、雨風にたたかれて、茎の折れてしまったものさえある。外は雨、鏡を開けると、蓮の花が兩の頬に咲いているように映る。
晋の孟嘉の故事のように山に昇れば帽子が飛ばされても気が付かないほどお酒をいただき、良い詩を返そうと思う前に嵐によって山に向かう外に出るのさえ阻まれたのです。こんなことではどこで黃菊酒の盃で酔えばよいのかわからない。
(訳注)
重陽阻雨
1. (重陽の日に雨に阻まれる。)
2. 重陽節は、古来より「邪を避ける」日である。その起源は下記の故事が元になっている。
『續齊諧記』後漢の時代、河南省汝南に桓景という男が住んでいた。桓景は道士の費長房に師事していた。ある時、師匠の費長房が「9月9日、お前の故郷に災難が襲い掛かるだろう」と予言した。それを聞いた桓景は急いで帰郷し、家族を連れて、師匠に言われた通りに、茱萸(グミの一種)の袋を肘にかけ、高い山へ登って菊花酒を飲めば災難からのがれることができる。」と、教えた。桓景はそのとおりにして、やまからおろて家へかえってみると、犬や牛、羊など飼っていた動物は皆死んでいた。桓景がこの話を費長房にしたところ、「動物たちが家族の代わりに災いを受けてくれたのだ。」と。
この話が広まって、9月9日には茱萸を腕に結んだり、登山をしたり、菊花酒を飲む風習が生まれたとされる。
滿庭黃菊籬邊拆,兩朵芙蓉鏡裏開。
まがきのあたりに、一面に咲いていた黄金色の菊の花は、雨風にたたかれて、茎の折れてしまったものさえある。外は雨、鏡を開けると、蓮の花が兩の頬に咲いているように映る。
3. ・黃菊(こうきく)(1)黄色い花の菊。[季]秋。(2) 襲(かさね)の色目の名。表は黄、裏は青。また、表は黄、裏は萌黄(もえぎ)。秋に用いる 。
4. ・籬 まがき。
5. ・折 おれる。
6. ・兩朵(りょうだ) 朵は花の茎を数える単位。二本。
7. ・芙蓉 蓮の花。両頬が白粉により美しくなったことを蓮花にたとえていった。
8. ・鏡裏(きょうり)鏡の中鏡に映る姿。
落帽臺前風雨阻,不知何處醉金杯。
晋の孟嘉の故事のように山に昇れば帽子が飛ばされても気が付かないほどお酒をいただき、良い詩を返そうと思う前に嵐によって山に向かう外に出るのさえ阻まれたのです。こんなことではどこで黃菊酒の盃で酔えばよいのかわからない。
9. ・落帽臺前 ・落帽;ここは山の名前を云うのではなく晋の孟嘉の故事をしめすもの。・臺前 やまをまえにしたこと。この詩では場所を特定する意味は全くないのである。雨が降ってしまって、黄菊酒が酔うほど飲めないこと、詩を作りたかったけれどできなかったことを詩にしたもので、大系15のように全く関係のない重陽と関係のない、関羽の落帽場所に無理やりこじつけて解説している。詩は作者が何を云わんとしているのかを解釈しないといけないのである。自説、仮設、主観だけで解釈して行くのは間違い。
晋の孟嘉 落帽山(後世の龍山落帽図など参照)
晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。その故事から、龍山を落帽山ともいう。
別に荊州にも関羽が劉備を助ける際帽子を落した山があるが、詩人の言う落帽山とは無関係である。なお、魚玄機の前に下記の詩人が題材としている。魚玄機の彼女らしい詠い方をしたのである。
杜甫『九日藍田崔氏荘』
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。
李白『九日龍山飲』
九日龍山飲、黄花笑逐臣。
酔看風落帽、舞愛月留人。
獨孤及『九月九日李蘇州東樓宴』
是菊花開日,當君乘興秋。風前孟嘉帽,月下庾公樓。
酒解留征客,歌能破別愁。醉歸無以贈,只奉萬年酬。
唐 元稹 『答姨兄胡靈之見寄五十韻』
「登樓王粲望,落帽孟嘉情。」
宋 陳師道 《後山詩話》:
「 孟嘉 落帽, 前世以為勝絕。
明 無心子 《金雀記‧訪花》:
「倘籬邊短幹, 肯移 陶令 之前;境上清風, 准擬落 孟嘉 之帽。」