詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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九、048卷804_45 《左名場自澤州至京,使人傳語 》 魚玄機
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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九、048卷804_45 《左名場自澤州至京,使人傳語 》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ10070 |
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九、048卷804_45 《左名場自澤州至京,使人傳語 》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ10070
(左名場さんが山西の澤州から都へ出てきて、使いの著をよこし、ことづてしてくれた。)
わたくしは、隠遁して閑居において、数年、詩を作って寂愁なくらしをしております。王屋山のふもとにおいて、昔、王屋の道観で遊びましたこと、今もなつかしく思っております。
詩に詠むのはあの東西にいくえにもつらなった急峻な山々のことですし、峠越えに馬にゆられたことですし、南北に通った一本の河に浮んで旅をしたことなのです。
それから、あの雨の夜、たのしい宴席でごいっしょさせていただきました、お別れしてから、花のさくころには、ひとりで都の高楼の上から、遠く山々を望むのです。
さて、思いがけなくも、お使いの人をよこされて、お言付けをいただき、とても喜んでおります。ひっそりした小さな家に住んでおりますので、私のことを気にかけていただいてありがたくおもっております。
男の方は司馬相如でさえも琴を弾くのをやめ、女遊びを止めました。つがいのツバメでさえも白露の降りる秋になれば愛の巣を分かつものでございます。(あなた様はご立派なお方です)
もし、おひまがございましたら、時にはこちらにおたちよりください。ただ、いつも春には、長安の公園の曲江のほとりで、忙しくしております。不在の事もあるかもしれませんのでその節はあしからず。
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魚玄機 全詩 訳注解説 |
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卷804_41 寄子安
醉別千卮不浣愁,離腸百結解無由。
蕙蘭銷歇歸春圃,楊柳東西絆客舟。
聚散已悲雲不定,恩情須學水長流。
有花時節知難遇,未肯厭厭醉玉樓。
卷804_42 送別
秦樓幾夜愜心期,不料仙郎有別離。
睡覺莫言雲去處,殘燈一盞野蛾飛。
卷804_43 迎李近仁員外
今日喜時聞喜鵲,昨宵燈下拜燈花。
焚香出戶迎潘嶽,不羨牽牛織女家。
卷804_44 送別
水柔逐器知難定,雲出無心肯再歸。
惆悵春風楚江暮,鴛鴦一隻失群飛。
卷804_45 左名場自澤州至京,使人傳語
閑居作賦幾年愁,王屋山前是舊遊。
詩詠東西千嶂亂,馬隨南北一泉流。
曾陪雨夜同歡席,別後花時獨上樓。
忽喜扣門傳語至,為憐鄰巷小房幽。
相如琴罷朱弦斷,雙燕巢分白露秋。
莫倦蓬門時一訪,每春忙在曲江頭。
卷804_46 和人次韻
喧喧朱紫雜人寰,獨自清吟日色間。
何事玉郎搜藻思,忽將瓊韻扣柴關。
白花發詠慚稱謝,僻巷深居謬學顏。
不用多情欲相見,松蘿高處是前山。
卷804_47 折楊柳
朝朝送別泣花鈿,折盡春風楊柳煙。
願得西山無樹木,免教人作淚懸懸。
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魚玄機 《左名場自澤州至京,使人傳語》 |
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訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10070 |
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卷804_45 【左名場自澤州至京,使人傳語】魚玄機
左名場自澤州至京,使人傳語
閑居作賦幾年愁,王屋山前是舊遊。
わたくしは、隠遁して閑居において、数年、詩を作って寂愁なくらしをしております。王屋山のふもとにおいて、昔、王屋の道観で遊びましたこと、今もなつかしく思っております。
詩詠東西千嶂亂,馬隨南北一泉流。
詩に詠むのはあの東西にいくえにもつらなった急峻な山々のことですし、峠越えに馬にゆられたことですし、南北に通った一本の河に浮んで旅をしたことなのです。
曾陪雨夜同歡席,別後花時獨上樓。
それから、あの雨の夜、たのしい宴席でごいっしょさせていただきました、お別れしてから、花のさくころには、ひとりで都の高楼の上から、遠く山々を望むのです。
忽喜扣門傳語至,為憐鄰巷小房幽。
さて、思いがけなくも、お使いの人をよこされて、お言付けをいただき、とても喜んでおります。ひっそりした小さな家に住んでおりますので、私のことを気にかけていただいてありがたくおもっております。
相如琴罷朱弦斷,雙燕巢分白露秋。
男の方は司馬相如でさえも琴を弾くのをやめ、女遊びを止めました。つがいのツバメでさえも白露の降りる秋になれば愛の巣を分かつものでございます。(あなた様はご立派なお方です)
莫倦蓬門時一訪,每春忙在曲江頭。
もし、おひまがございましたら、時にはこちらにおたちよりください。ただ、いつも春には、長安の公園の曲江のほとりで、忙しくしております。不在の事もあるかもしれませんのでその節はあしからず。
(左名場、澤州【たくしゅう】より京に至り、人をして傳語せしむ)
閑居【かんきょ】して賦を作る 幾年の愁、王屋【おうおく】山前【さんぜん】は是れ舊【むか】し遊ぶ。
詩は詠ず東西 千嶂【せんしょう】亂れ、馬は随ふ 南北 一泉【いつせん】流る。
曾て陪す 雨の夜 歓席【かんせき】を同じうし、別れし後 花の時濁り樓に上る。
忽ち喜ぶ 門を叩いて 傳語の至るを、爲に憐む巷【こう】を隣して小房【しょうぼう】の幽かなるを。
相加【そうじょ】琴を罷めて朱弦【しゅげん】断え、雙燕【そうえん】巣を分って白露の秋。
倦【う】むこと莫れ 蓬門【ほうもん】時に一訪【いちほう】するを、毎春 忙はしく 曲江の頭【ほとり】に在り。
『左名場自澤州至京,使人傳語』 現代語訳と訳註
(本文) 左名場自澤州至京,使人傳語
閑居作賦幾年愁,王屋山前是舊遊。
詩詠東西千嶂亂,馬隨南北一泉流。
曾陪雨夜同歡席,別後花時獨上樓。
忽喜扣門傳語至,為憐鄰巷小房幽。
相如琴罷朱弦斷,雙燕巢分白露秋。
莫倦蓬門時一訪,每春忙在曲江頭。
(下し文)
(左名場、澤州【たくしゅう】より京に至り、人をして傳語せしむ)
閑居【かんきょ】して賦を作る 幾年の愁、王屋【おうおく】山前【さんぜん】は是れ舊【むか】し遊ぶ。
詩は詠ず東西 千嶂【せんしょう】亂れ、馬は随ふ 南北 一泉【いつせん】流る。
曾て陪す 雨の夜 歓席【かんせき】を同じうし、別れし後 花の時濁り樓に上る。
忽ち喜ぶ 門を叩いて 傳語の至るを、爲に憐む巷【こう】を隣して小房【しょうぼう】の幽かなるを。
相加【そうじょ】琴を罷めて朱弦【しゅげん】断え、雙燕【そうえん】巣を分って白露の秋。
倦【う】むこと莫れ 蓬門【ほうもん】時に一訪【いちほう】するを、毎春 忙はしく 曲江の頭【ほとり】に在り。
(現代語訳)
(左名場さんが山西の澤州から都へ出てきて、使いの著をよこし、ことづてしてくれた。)
わたくしは、隠遁して閑居において、数年、詩を作って寂愁なくらしをしております。王屋山のふもとにおいて、昔、王屋の道観で遊びましたこと、今もなつかしく思っております。
詩に詠むのはあの東西にいくえにもつらなった急峻な山々のことですし、峠越えに馬にゆられたことですし、南北に通った一本の河に浮んで旅をしたことなのです。
それから、あの雨の夜、たのしい宴席でごいっしょさせていただきました、お別れしてから、花のさくころには、ひとりで都の高楼の上から、遠く山々を望むのです。
さて、思いがけなくも、お使いの人をよこされて、お言付けをいただき、とても喜んでおります。ひっそりした小さな家に住んでおりますので、私のことを気にかけていただいてありがたくおもっております。
男の方は司馬相如でさえも琴を弾くのをやめ、女遊びを止めました。つがいのツバメでさえも白露の降りる秋になれば愛の巣を分かつものでございます。(あなた様はご立派なお方です)
もし、おひまがございましたら、時にはこちらにおたちよりください。ただ、いつも春には、長安の公園の曲江のほとりで、忙しくしております。不在の事もあるかもしれませんのでその節はあしからず。
(訳注)
左名場自澤州至京,使人傳語
1. (左名場さんが山西の澤州から都へ出てきて、使いの著をよこし、ことづてしてくれた。)
2. ・左名場 妙な姓名と思うが、はっきりしない。択州土着の人らしい。左という姓はモンゴル系であろうか、山西省によくある姓である。
3. ・澤州 唐代の択州は、今の山西省の陽城県の西の地にあった。
送李億東歸 溫庭筠
黃山遠隔秦樹,紫禁斜通渭城。
別路青青柳弱,前溪漠漠苔生。
和風澹蕩歸客,落月殷勤早鶯。
灞上金樽未飲,宴歌已有餘聲。
情書(書情寄李子安)
飲冰食檗誌無功,晉水壺關在夢中。
秦鏡欲分愁墮鵲,舜琴將弄怨飛鴻。
井邊桐葉鳴秋雨,窗下銀燈暗曉風。
書信茫茫何處問,持竿盡日碧江空。
九、009卷804_9 《情書(書情寄李子安)》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9690
閑居作賦幾年愁,王屋山前是舊遊。
わたくしは、隠遁して閑居において、数年、詩を作って寂愁なくらしをしております。王屋山のふもとにおいて、昔、王屋の道観で遊びましたこと、今もなつかしく思っております。
4. ・重臣山(おうおくざん) 今の山西省陽城県の西南にある有名な山。道教の聖地でもある。同上地図参照のこと。
5. ・舊遊(きゅうゆう) 前にいったことがある。この語は、魚玄機がかつて沢州へいってあそんだことをいう。
詩詠東西千嶂亂,馬隨南北一泉流。
詩に詠むのはあの東西にいくえにもつらなった急峻な山々のことですし、峠越えに馬にゆられたことですし、南北に通った一本の河に浮んで旅をしたことなのです。
6. ・東西千嶂亂 東西に黄河が流れ(地図では2-5)その両側に延々と山が連なる。東西に連なる山は中条山脈(E-4)である景山、王屋山、折城山、烏牢山と太行山脈(G-5)に連なっている。その山を割って絃水(丹水)が潞州、晋州を経て南北に流れ出て黄河に灌ぐのである。
7. 千嶂(せんしよう) 峠は高くてけわしい山、またそのような峯。この附近、中条山脈が東西につらなっており、玉屋山もその山脈中の山である。地図参照
8. ・南北一泉 地図においても流南北へ一本の河が流れており、それにみちびかれて舟上の旅をしたわけである。南流(地図でG-G)した河は黄河にそそいでいる。
曾陪雨夜同歡席,別後花時獨上樓。
それから、あの雨の夜、たのしい宴席でごいっしょさせていただきました、お別れしてから、花のさくころには、ひとりで都の高楼の上から、遠く山々を望むのです。
9. ・陪 臨席する。
10. ・歓席(かんせき)たのしい宴席。
忽喜扣門傳語至,為憐鄰巷小房幽。
さて、思いがけなくも、お使いの人をよこされて、お言付けをいただき、とても喜んでおります。ひっそりした小さな家に住んでおりますので、私のことを気にかけていただいてありがたくおもっております。
11. ・巷 ろじ。花街。
12. ・小房 自分の部屋。
相如琴罷朱弦斷,雙燕巢分白露秋。
男の方は司馬相如でさえも琴を弾くのをやめ、女遊びを止めました。つがいのツバメでさえも白露の降りる秋になれば愛の巣を分かつものでございます。(あなた様はご立派なお方です)
13. ・相如 司馬相如。琴を彈じて卓氏のむすめ文君にいどみ、ついに駈落ちして夫婦となって、財を成した。その後女遊びをして、卓文君と別れようとして切り出したが、卓文君の潔さを見直し、琴を弾くのを止め女遊びを一切やめた。左名場さまは司馬相如のようにきちんとしたお方ですね、というほどの意味で李億のことを謂っているわけではない。
14. ・雙燕巢分白露秋 春からずっと愛の巢で過ごした燕でさえ、白露の降りる秋になれば、その巣を別にする。男女の愛の姿を云う。この句を以て李億との関係を他人に芸子がいうわけはない。色恋を他人に言うはずがない。(漢詩大系15の解釈はおかしい。参考にもならず。腹が立ってくるw―。)
莫倦蓬門時一訪,每春忙在曲江頭。
もし、おひまがございましたら、時にはこちらにおたちよりください。ただ、いつも春には、長安の公園の曲江のほとりで、忙しくしております。不在の事もあるかもしれませんのでその節はあしからず。
15. ・曲江 長安の遊楽名勝の地。