詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
薛濤 《蟬 》
|
|||
2017年6月8日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
||
10年のBLOGの集大成 |
|
||
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
|||
Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
745-027-#2巻181-27 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8855 |
||
Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 LiveDoor |
806年-107 先生-巻八-01#26城南聯句 §6 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8856 |
||
Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
767年-123七絶 解悶十二首 其一一(卷一七(四)頁一五一八)七絶 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8869 |
||
Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞 fc2Blog |
花間集 訳注解説 (215)回目張泌 《巻四41 酒泉子二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8858 |
||
Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Live oor |
玉-巻二22 樂府詩七首 其三有女篇 艶歌行 -#1〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8859 |
||
Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
|||
八、2.6 薛濤 《蟬 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8860
(蝉は鳴き声を聞かせてくれる前、地中で長い間力を蓄える。蝉は不遇な男の声を象徴するものである。薛濤はここで葉擦れの音を不遇の男性客にたいして慰めの詩を作った)
夕立で樹々が洗われ、水滴がポクボタと落ちる、蝉の声がする中その音はすがすがしい風の中に次第に遠ざかりしなくなる。かぜがそよいで葉が擦れ合い音が蝉の鳴き声とだぶって聞こえてくる。この静けさの中に、鳴く声や葉擦れの声があり、相乗して聴こえてくる。でもそれぞれの声はそれぞれ一つの枝から発しているのであり、それぞれが一緒に暮らしているのでしょう。
地方の官妓(3)
楽営官妓は、節度使や州刺史などの地方長官が直接に掌握し支配した。彼女たちは一般に楽営に集中して居住し、そこから自由に出ることは許されず、官庁から衣服や食糧の支給を受けていた。そして、いつでも官庁からの呼び出しに応じることができるよう準備していたので、「官使の婦人」とか、「官使の女子」などと呼ばれたのである。官庁が挙行する各種の祝典宴会・歓送迎会・上官接待などの時に、宮府は彼女たちを召集して芸の披露、酒席の接待、夜の相手などをさせた。官妓の大半はみな一定の技芸を持ち、歌や舞い、酒席での遊び、それに管弦楽器の演奏などに長じていた。彼女たちは、一段と大きな権勢を持つ長官に占有される以外は、一般に地方長官の許可なしに客を自由に接待することはできなかったと思われる。しかし、この種の制限も決してそれほど厳格なものではなく、すべて長官個人の好みにかかっていた。『雲渓友議』(巻こ一)に次のような話がある。池州(安徹省貴池県)の杜少府(少府は官名。県尉に同じ)と、毫州(安徽省毫県)の章中丞(中丞は官名。御史台の長官)の二人は仏教、道教にたいへん帰依していたので、楽妓に対してあまりよい感じをもっていなかった。それで彼らは「楽営の子女には厚く衣・糧を給し、営外に住むに任せている。もし宴会があれば呼びよせる。花柳の巷では好きに楽しませている」と言った。すると科挙受験生の張魯封が嘲って、「楽営は都て是れ閑人管り、両地の風情(色恋沙汰)日に漸く多し」(張魯封「池毫二州の賓佐を謔い、兼ねて宣武軍掌書記李昼に寄す」)と言った。この話は、第一に官妓は一般に楽営の外に住んだり、閑人(楽営外の人)と交際してはならないという規則であったこと、しかし第二に、この規則はそれほど厳格なものではなかったことも同時に示している。全体的に見れば、地方官妓は一般に官府に頼って生活しており、彼女たちの任務は官の御用に応じて、芸を披露し宴席に侍るのが中心で、自由に肉体を売ることなどは本来の仕事ではなかった。しかし、実際は彼女たちはしばしば秘かに客をとっていたのであった。
1. 井梧吟
庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。
2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
3. 池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
4. 風
獵蕙微風遠,飄弦唳一聲。
林梢明淅瀝,松徑夜淒清。
5. 月
魄依鉤樣小,扇逐漢機團。
細影將圓質,人間幾處看。
6. 蟬
露滌音清遠,風吹故葉齊。
聲聲似相接,各在一枝棲。
|
|
|
薛濤詩 《 蟬semi 》 |
||
|
蟬
(蝉は鳴き声を聞かせてくれる前、地中で長い間力を蓄える。蝉は不遇な男の声を象徴するものである。薛濤はここで葉擦れの音を不遇の男性客にたいして慰めの詩を作った)
露滌音清遠,風吹故葉齊。
夕立で樹々が洗われ、水滴がポクボタと落ちる、蝉の声がする中その音はすがすがしい風の中に次第に遠ざかりしなくなる。かぜがそよいで葉が擦れ合い音が蝉の鳴き声とだぶって聞こえてくる。
聲聲似相接,各在一枝棲。
この静けさの中に、鳴く声や葉擦れの声があり、相乗して聴こえてくる。でもそれぞれの声はそれぞれ一つの枝から発しているのであり、それぞれが一緒に暮らしているのでしょう。
(蟬)
露滌【ろじょう】音【いん】清しく遠ざかり,風吹 故葉 齊し。
聲聲【せいせい】相接するが似き,各【おのお】の一枝の棲に在る。
蟬
露滌音清遠,風吹故葉齊。
聲聲似相接,各在一枝棲。
(下し文)
(蟬)
露滌【ろじょう】音【いん】清しく遠ざかり,風吹 故葉 齊し。
聲聲【せいせい】相接するが似き,各【おのお】の一枝の棲に在る。
(現代語訳)
(蝉は鳴き声を聞かせてくれる前、地中で長い間力を蓄える。蝉は不遇な男の声を象徴するものである。薛濤はここで葉擦れの音を不遇の男性客にたいして慰めの詩を作った)
夕立で樹々が洗われ、水滴がポクボタと落ちる、蝉の声がする中その音はすがすがしい風の中に次第に遠ざかりしなくなる。かぜがそよいで葉が擦れ合い音が蝉の鳴き声とだぶって聞こえてくる。
この静けさの中に、鳴く声や葉擦れの声があり、相乗して聴こえてくる。でもそれぞれの声はそれぞれ一つの枝から発しているのであり、それぞれが一緒に暮らしているのでしょう。
(訳注)
蟬
42. (蝉は鳴き声を聞かせてくれる前、地中で長い間力を蓄える。蝉は不遇な男の声を象徴するものである。薛濤はここで葉擦れの音を不遇の男性客にたいして慰めの詩を作った)
43.〇蝉は鳴き声を聞かせてくれる前、地中で長い間力を蓄える。蝉は不遇な男の声を象徴するものである。薛濤はここで葉擦れの音を不遇の男性客にたいして慰めの詩を作ったものであろう。この詩をもらった男性はきっと勇気づけられたことであろう。
宋玉『九辯』「燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。」(そうなると燕はひらりひらりと飛んでいても結局は別れを告げて飛び去りのであり、蝉はもう静かに影もなくどこかに消えて声さえ聞こえないのだ。)
九辯 宋玉 <00-#2>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 631 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2139
韓愈『秋懐詩十一首 其二』「寒蟬暫寂寞,蟋蟀鳴自恣。」(ひぐらしぜみがしばらく鳴かなくなって静寂になるとこんどは、こおろぎがせいいっぱい鳴きまくるのである。)
秋懐詩十一首(2) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<102>Ⅱ中唐詩537 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1714
李商隠『燕臺詩四首 其四』「破鬟倭墮淩朝寒,白玉燕釵黃金蟬。」
燕臺詩四首 其四 冬#2 李商隠135 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-#2
露滌音清遠,風吹故葉齊。
夕立で樹々が洗われ、水滴がポクボタと落ちる、蝉の声がする中その音はすがすがしい風の中に次第に遠ざかりしなくなる。かぜがそよいで葉が擦れ合い音が蝉の鳴き声とだぶって聞こえてくる。
44. ・露滌 夏の夕立で樹々が洗われ、水滴がポクボタと落ちるようなとき。滌は、洗う、すすぐ。
45. ・音清 蝉の美しい鳴き声をいったもの。せせらぎの音でもなければ、水滴そのものの音でもない。
46. ・遠 露の落ちる音が次第にしなくなる。蝉の声は静けさの意味である。
47. ・風吹 風が吹いてもの意。
48. ・故葉 繁った状態の葉で枯葉ではない。ベースに蝉の声があり、葉擦れの音が蝉の鳴き声とだぶって聞こえてくる。静けさを表現している。