詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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薛濤 《金燈花 》
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2017年8月21日 |
の紀頌之”6”つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
745-030-#5 巻166-13 鳴皋歌送岑徵君(卷七(一)五○六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8933 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-120 先生-巻八-01城南聯句 §11 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8934 |
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八、2.19 薛濤 《金燈花 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8938
(金燈花)(晩春に咲く金燈花を見て、芸妓の一生をうたうもの、最後に行き着くのは、道觀なのかと詠う)
欄干の端の方から見るとこの花がぱっと開くとその下の葉と茎はシュッシュッとして葉幅が狭く、茎が柔らかなので隠れて見えない。高楼の庭に降りる石段の際の所に、ただ、えんえんとしてあでやかに咲き集まるこの花を見る。
一杯に咲いている花も一つ一つ細やかに見ていくとこれを何かに喩えられるのである、それは、こんなに咲き誇っていてもやがて凋んでいくこの街の女に喩えられ、今朝日に照らされた青城山の上に幾重にも重なってある年増女の往きつくさきの赤城の宮が思われてならない。
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薛濤詩 《柳絮詠》 |
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金燈花
(晩春に咲く金燈花を見て、芸妓の一生をうたうもの、最後に行き着くのは、道觀なのかと詠う)闌邊不見蘘蘘葉,砌下惟翻艷艷叢。
欄干の端の方から見るとこの花がぱっと開くとその下の葉と茎はシュッシュッとして葉幅が狭く、茎が柔らかなので隠れて見えない。高楼の庭に降りる石段の際の所に、ただ、えんえんとしてあでやかに咲き集まるこの花を見る。
細視欲將何物比,曉霞初疊赤城宮。
一杯に咲いている花も一つ一つ細やかに見ていくとこれを何かに喩えられるのである、それは、こんなに咲き誇っていてもやがて凋んでいくこの街の女に喩えられ、今朝日に照らされた青城山の上に幾重にも重なってある年増女の往きつくさきの赤城の宮が思われてならない。
(金燈花【きんとうか】)
闌邊【らんべん】蘘蘘【じょうじょう】の葉を見ず,砌下【ぜいか】惟だ艷艷【えんえん】の叢【くさむら】を翻えす。
細かに視ては何物を將って比せんと欲す,曉霞【ぎょうか】初めて疊なる赤城の宮。
『金燈花』 現代語訳と訳註
(本文)
闌邊不見蘘蘘葉,砌下惟翻艷艷叢。
細視欲將何物比,曉霞初疊赤城宮。
(下し文)
(金燈花【きんとうか】)
闌邊【らんべん】蘘蘘【じょうじょう】の葉を見ず,砌下【ぜいか】惟だ艷艷【えんえん】の叢【くさむら】を翻えす。
細かに視ては何物を將って比せんと欲す,曉霞【ぎょうか】初めて疊なる赤城の宮。
(現代語訳)
(金燈花)(晩春に咲く金燈花を見て、芸妓の一生をうたうもの、最後に行き着くのは、道觀なのかと詠う)
欄干の端の方から見るとこの花がぱっと開くとその下の葉と茎はシュッシュッとして葉幅が狭く、茎が柔らかなので隠れて見えない。高楼の庭に降りる石段の際の所に、ただ、えんえんとしてあでやかに咲き集まるこの花を見る。
一杯に咲いている花も一つ一つ細やかに見ていくとこれを何かに喩えられるのである、それは、こんなに咲き誇っていてもやがて凋んでいくこの街の女に喩えられ、今朝日に照らされた青城山の上に幾重にも重なってある年増女の往きつくさきの赤城の宮が思われてならない。
(訳注)
金燈花
1。(晩春に咲く金燈花を見て、芸妓の一生をうたうもの、最後に行き着くのは、道觀なのかと詠う)
2. 金燈花、金䙁花 山慈姑花.さんじこのはな 別名金燈花(《本草拾遺》)。 蘭科の植物で杜鵑蘭あるいは獨蒜蘭等の花である。花苗の長さは45寸、葉は厚く狭く、茎を抱いて生ず。茎は柔らかく脆いとされ、茎の頭に花を咲かせる。指の頭のような形になるが花を咲かせると茎や葉は花に隠れてしまう。長春花が一番近い花である。功能主治『綱目』によると:治小便血淋澀痛。
闌邊不見蘘蘘葉,砌下惟翻艷艷叢。
欄干の端の方から見るとこの花がぱっと開くとその下の葉と茎はシュッシュッとして葉幅が狭く、茎が柔らかなので隠れて見えない。高楼の庭に降りる石段の際の所に、ただ、えんえんとしてあでやかに咲き集まるこの花を見る。
3・闌邊 建物の廊下部分の庭との境の欄干のあたり。
4・蘘蘘 ミョウガが成長して緑の葉の草むらの状態を云うが、金燈火の葉の部分がよく似ているのであろう。
5・砌下 花街の女性の詩によく出る語である。中國の建物は家の部分からい廊下部分がありそこから一段低く基礎がぐるっとあり、それから庭面になる。
薛濤 『鴛鴦草』
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
魚玄機 『寄飛卿』
階砌亂蛩鳴,庭柯煙露清。
月中鄰樂響,樓上遠山明。
珍簟涼風著,瑤琴寄恨生。
嵇君懶書劄,底物慰秋情。
魚玄機 『遣懷』
閑散身無事,風光獨自遊。
斷雲江上月,解纜海中舟。
琴弄蕭梁寺,詩吟庾亮樓。
叢篁堪作伴,片石好為儔。
燕雀徒為貴,金銀誌不求。
滿杯春酒綠,對月夜窗幽。
繞砌澄清沼,抽簪映細流。
臥牀書冊遍,半醉起梳頭。
魚玄機『期友人阻雨不至』
雁魚空有信,雞黍恨無期。
閉戶方籠月,褰簾已散絲。
近泉鳴砌畔,遠浪漲江湄。
鄉思悲秋客,愁吟五字詩。
6・艷艷叢 写真にあるようなあでやかな花が咲く様子を云う。薛濤が見た部分が特に鮮やかだったのだろう。
細視欲將何物比,曉霞初疊赤城宮。
一杯に咲いている花も一つ一つ細やかに見ていくとこれを何かに喩えられるのである、それは、こんなに咲き誇っていてもやがて凋んでいくこの街の女に喩えられ、今朝日に照らされた青城山の上に幾重にも重なってある年増女の往きつくさきの赤城の宮が思われてならない。
7・赤城宮 青城山にある。薛濤のいる成都から西北西に60kmにある。(C-Dー5-6)道観より遊郭として有名であった。
蜀州青城縣。唐代陸羽著『茶經』,記載“蜀州青城縣丈人山でつくられる,青城縣散茶、「貢茶」というものが有る。 青城山は中國道教發源地の一である,屬道教名山之一。四川省都江堰市西南,古稱「丈人山」,東距成都市からは68km,都江堰水利しせつからは西南10kmのところにある。主峰老霄頂海拔1600m。四川では名山として劍門の險、峨嵋の秀、夔門の雄齊名とあり、「青城天下幽」というてたたえられている。道教の聖女祠がある、30代以降になると男が居なくて金もない女はここで体をうって生活をした。
薛濤は年増になり金も残していない、行く当てのない女を詠ったものである。
8・曉霞 暁の霞。あかつき、カスミ、どちらも芸妓の高楼では香が焚かれけたたましい煙に充満している状態を云う。
芸妓について
妓女(ぎじょ)は、中国における遊女もしくは芸妓のこと。娼妓、娼女という呼称もある。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つこともあった。娼婦を指すこともある。また、道教の寺観にも娼婦に近い巫女がいた。この時代において、女性が男性と対等にできる唯一の場所であった。
もともとは国家による強制的な徴発と戦時獲得奴隷が主な供給源だったと考えられるが、罪人の一族を籍没(身分を落とし、官の所有とする制度)する方法が加わった。また、民間では人身売買による供給が一般的であった。区分すると以下の通り。
(1.宮妓 2.家妓 3.営妓、4.官妓、5.民妓、6.道妓)
1 宮妓
皇帝の後宮に所属。籍没された女性や外国や諸侯、民間から献上された女性。后妃とは別に、後宮に置かれ、後宮での業務をし、技芸を学び、皇帝を楽しませた。道教坊で技芸を習得した女性もこれに含まれる。班婕妤・趙飛燕や上官婉児などのように后妃に取り立てられるものもいた。
2 家妓
高官や貴族、商人の家に置かれ、家長の妾姫となった。主人だけではなく、客を歓待する席でも技芸により、これをもてなす役目があった。官妓から、臣下に下賜されて家妓になるものもいた。始皇帝の母にあたる呂不韋の愛人や、西晋の石崇の愛妾である緑珠が有名。
3営妓
軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませた。蘇小小。唐代女流詩人の薛濤が有名。
4官妓
中央政府の道教観や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里、明代・南京の旧院は、その代表的な色町である。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。唐代はその活動は最大なものであった。
唐代女流詩人の魚玄機、明代の陳円円、李香君、柳如是が有名。
5民妓
民営の妓楼に所属した。売春だけを目的とした女性も含まれる。明代以降、官妓が衰退した後、大きな役割を果たすようになった。清代は上海に多くの民妓がいた。宋代の李師師が有名。
6.道妓
道教の祠に学問等していない娼婦に近いものが多かった。
妓館には、花や植物が植えられ、狆や鸚鵡が飼われ、香炉が置かれ、また、雲母屏風、山水画や骨董が飾られているところが多く、庭園風になっているものもあった。妓館は、互いに奇をてらい合い、提供される様々な香りが数里先まで漂ったと伝えられる。さらに、厨女(女料理人)が働いており、彼女らが料理する山海の珍味がすぐに作れるように準備されていた。旧院には商店もあり、客が妓女に贈るための高級品が置かれていた。また、茶を専門とする茶坊もあった。夜には、妓女による音楽が奏でられ、芝居が上演された。妓館の額もまた、名人の手になるものがいくつもあった。妓館には、他に下働きの下女と男衆が別にいた。