詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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薛濤 《詠八十一顆 》
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2017年6月18日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.16 薛濤 《詠八十一顆 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8920
(男女の円満のことを合歓の樹とその果実に比してを詠う。)
色について比較してみると丹霞山の陰と陽の石のようで、形はというと合浦の宝玉や竹で作った耳輪のようなのです。
その実を開けてみると一房に九粒ありそれが九個あつまっていることがわかり、じっと見つめてみると二つが寄り添っていたり、互いに向き合って張り合っているかのようなのです。
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薛濤詩 《詠八十一顆》 |
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詠八十一顆
(男女の円満のことを合歓の樹とその果実に比してを詠う。)
色比丹霞朝日,形如合浦圓璫。
色について比較してみると丹霞山の陰と陽の石のようで、形はというと合浦の竹で作った耳輪のようなのです。
開時九九知數,見處雙雙頡頏。
その実を開けてみると一房に九粒ありそれが九個あつまっていることがわかり、じっと見つめてみると二つが寄り添っていたり、互いに向き合って張り合っているかのようなのです。
(八十一顆を詠ず)一房九粒が九個の豆を詠う
色は 丹霞【たんか】の朝と日に比し、形は 合浦の圓璫【えんとう】の如し。
開く時は九と九の数の知り、見る處は雙雙【そうそう】し頡頏【きつこう】す。
『詠八十一顆』 現代語訳と訳註
(本文)
色比丹霞朝日,形如合浦圓璫。
開時九九知數,見處雙雙頡頏。
(下し文)
(八十一顆を詠ず)一房九粒が九個の豆を詠う
色は 丹霞【たんか】の朝と日に比し、形は 合浦の圓璫【えんとう】の如し。
開く時は九と九の数の知り、見る處は雙雙【そうそう】し頡頏【きつこう】す。
(現代語訳)
(男女の円満のことを合歓の樹とその果実に比してを詠う。)
色について比較してみると丹霞山の陰と陽の石のようで、形はというと合浦の宝玉や竹で作った耳輪のようなのです。
その実を開けてみると一房に九粒ありそれが九個あつまっていることがわかり、じっと見つめてみると二つが寄り添っていたり、互いに向き合って張り合っているかのようなのです。
(訳注)
詠八十一顆
1.(男女の円満のことを合歓の樹とその果実に比してを詠う。)
2.【解説】お座敷で披露されたもので、男性の喝采を浴びたものであろう。円満な男女の象徴として喩えられる「合歓の木」を男女の性器、閨の事などを連想させる言い回しで歌っている。詩の内容から判断すると年齢が若い時では宴会で披露できるものではないだろう。いずれにしても一年取ってからのものと考える。
3.・八十一 合歓樹の異名マメ科ネムノキ亜科の落葉高木。葉は2回偶数羽状複葉。花は頭状花序的に枝先に集まって夏に咲く。淡紅色のおしべが長く美しい。香りは桃のように甘い。果実は細長く扁平な豆果。マメ科に属するが、マメ亜科に特徴的な蝶形花とは大きく異なり、花弁が目立たない。
イラン、アフガニスタン、中国南部、朝鮮半島、日本の本州・四国・九州[3]に自生する。陽樹であり、荒れ地に最初に侵入するパイオニア的樹木である。河原や雑木林に生え、高さは10mにもなる。芽吹くのは遅いが、成長は他の木と比較すると迅速である。夜になると葉が閉じること(就眠運動)に由来する。漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられたものである。馬纓花、絨花樹、合昏、夜合、鳥絨
4.・顆 果実、この場合豆。
色比丹霞朝日,形如合浦圓璫。
色について比較してみると丹霞山の陰と陽の石のようで、形はというと合浦の宝玉と竹で作った耳輪のようなのです。
5.・丹霞 丹霞山(たんかさん)は、中華人民共和国(中国)の山である。主峰の標高は618 mである。広東省韶関市近郊にあり、赤みがかった砂岩が長い間の侵食作用を受けて美しい曲線美や際立った断崖を形成しており、丹霞地形という地理用語の由来にもなった。山の名前は、林立する赤い断崖が「丹(あか)い霞」のように見えたことに由来するという。
丹霞山世界地質公園として2004年に最初に世界ジオパークに認定された場所のひとつで、世界遺産「中国丹霞」の一部でもある。印象的な景観は散策で楽しめるだけでなく、その間を縫うようにして流れている川を使って小舟で遊覧しても楽しめる。
様々な奇観がある。殊によく知られているのが、男根に似ている陽元石(「男性の石」の意味)という石柱や女陰を思わせる陰元石などで、女性の胸部を思わせる2箇所の突き出た岩も踏まえて、「3つのロマンティック・ストーン」などといわれ、丹霞山が「ヌード自然公園」 (Nude Natural Park) との異名をとる理由になっている。
6.・朝日 陰と陽ということ。陰元石と陽元石。
7.・合浦 合浦郡は、今の広東省廉江県の西、南は東京湾の清潜な水にのぞむ。珠を産す。
8.・圓璫 まるいみみかざり。この語も女性性器をあらわす言葉。
丹霞と合浦は五嶺山脈を越えてある所であり、いわゆる蠻とされていたところ、女性性器をあらわす言葉でもある。
9.・合浦固嗜(がっはのえんとう) 合浦郡は、今の広東省廉江県の西、南は東京湾の清潜な水にのぞむ。珠を産す。「後漢書」の「循吏伝」 の孟嘗の条に、孟嘗はあざなを伯周という。合酒の太守となる。郡、穀実を産せず、而して海には珠宝を出す〈先の時の宰守、並びに貪碗多く、人を詭きて採求し、紀極を知らず。珠、つひにようやく交址の郡界に徒る。嘗、官に到るや、前弊を革易し、民の病利を求む。
曽ち末だ歳を餓えずして、去珠復た選ると。「合浦珠還」 の故事である。ここは、種子粒が、その合滞産の珠で作られたまるい耳飾のような形をしている意。塔は、耳飾りの意。慨靖を「全唐詩」では箕管(うんとう)に作る。箕蜜ならば湖南産の巨大な竹であるが、とらぬ。
開時九九知數,見處雙雙頡頏。
その実を開けてみると一房に九粒ありそれが九個あつまっていることがわかり、じっと見つめてみると二つが寄り添っていたり、互いに向き合って張り合っているかのようなのです。
10.・八十一顎 顎は粒である。種子の数と思われる。今、合歓樹の説明を辞書で読むと、「茸料、落葉喬木、高さ、一丈あまり、葉は羽状の複葉、あまたの小葉より成る、小薬は夜になると合わさる。夏、こずえに小さい花を開く、雄蕊が多くて長く赤みがかった色をしている。花は後に実をむすび、大きな英をつくる。合昔、夜合、馬控花などの異名がある」と。この合歓樹のことではないかと思う。
圓璫 圓形玉耳環
11.・九九 八十一個。かならずしもそのとおりの数ではあるまいが、多いので俗に八十一個英の中にあるというのであろう。
12.・雙雙(そうそう) 小葉がむかいあっていることをいうのであろう。
13.・頡頏(きっこう) たがいに張り合っている。
この二句の語は閨情語であるためその詳しい解釈については述べない。
浣花亭陪川主王播相公暨僚同賦早菊
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2017年6月17日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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八、2.15 薛濤 《浣花亭陪川主王播相公暨僚同賦早菊 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8914 |
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八、2.15 薛濤 《浣花亭陪川主王播相公暨僚同賦早菊 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8914
(浣花亭において剣南西川節度使韋皐様に陪して王播相公さまと暨といわれる同行の方と同に「早菊」を賦す)
西方に慰問に行くご命令を終わるようなご命令をいただき、帰ってまいりました。東の垣根から再び太陽が上がり始めたことに感激いたしています。
緑の花が咲き、初めてこの花に涙の露をそそいだのです。金燈花の蕊には半分の露を落とし含んだのです。
私でよければなんにでも登用していただければと思っており、どうして一緒になって薫り高い草草を刈り集めることにかぎません。
お酒を注いでいただいたり注がせていただく、ここの浣花亭の酒や料理の出る宴席でなくてもいいのです。むしろ今心配なのは豺狼などの異民族の脅威があるだけなのです。
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薛濤詩 《浣花亭陪川主王播相公暨僚同賦早菊》 |
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浣花亭陪川主王播相公暨僚同賦早菊
(浣花亭において剣南西川節度使韋皐様に陪して王播相公さまと暨といわれる同行の方と同に「早菊」を賦す)
西陸行終令,東籬始再陽。
西方に慰問に行くご命令を終わるようなご命令をいただき、帰ってまいりました。東の垣根から再び太陽が上がり始めたことに感激いたしています。
綠英初濯露,金蕊半含霜。
緑の花が咲き、初めてこの花に涙の露をそそいだのです。金燈花の蕊には半分の露を落とし含んだのです。
自有兼材用,那同眾草芳。
私でよければなんにでも登用していただければと思っており、どうして一緒になって薫り高い草草を刈り集めることにかぎません。
獻酬樽俎外,寧有懼豺狼。
お酒を注いでいただいたり注がせていただく、ここの浣花亭の酒や料理の出る宴席でなくてもいいのです。むしろ今心配なのは豺狼などの異民族の脅威があるだけなのです。
(浣花亭、川主、王播相公、暨僚と陪し、同【とも】に「早菊」を賦す)
西陸 行 終ら令め,東籬 再び陽を始める。
綠英 初めて露を濯ぎ,金蕊 半ば霜を含む。
自ら兼材の用る有り,那ぞ同【とも】に草芳を眾す。
獻酬して樽俎の外,寧ろ豺狼を懼る有る。
『浣花亭陪川主王播相公暨僚同賦早菊』 現代語訳と訳註
(本文)
西陸行終令,東籬始再陽。
綠英初濯露,金蕊半含霜。
自有兼材用,那同眾草芳。
獻酬樽俎外,寧有懼豺狼。
(下し文)
(浣花亭、川主、王播相公、暨僚と陪し、同【とも】に「早菊」を賦す)
西陸 行 終ら令め,東籬 再び陽を始める。
綠英 初めて露を濯ぎ,金蕊 半ば霜を含む。
自ら兼材の用る有り,那ぞ同【とも】に草芳を眾す。
獻酬して樽俎の外,寧ろ豺狼を懼る有る。
(現代語訳)
(浣花亭において剣南西川節度使韋皐様に陪して王播相公さまと暨といわれる同行の方と同に「早菊」を賦す)
西方に慰問に行くご命令を終わるようなご命令をいただき、帰ってまいりました。東の垣根から再び太陽が上がり始めたことに感激いたしています。
緑の花が咲き、初めてこの花に涙の露をそそいだのです。金燈花の蕊には半分の露を落とし含んだのです。
私でよければなんにでも登用していただければと思っており、どうして一緒になって薫り高い草草を刈り集めることにかぎません。
お酒を注いでいただいたり注がせていただく、ここの浣花亭の酒や料理の出る宴席でなくてもいいのです。むしろ今心配なのは豺狼などの異民族の脅威があるだけなのです。
薛濤 《酬人雨後玩竹 》
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2017年6月16日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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10年のBLOGの集大成 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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Ⅰ李白詩(李白集校注) LiveDoor |
745年-07 【字解集】007 a.過四皓墓 b.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 c.鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8903 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 LiveDoor |
806年-115 先生-巻八-01#34城南聯句 §8-2 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8904 |
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Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoor |
767年-130五律 洛陽(卷一七(四)一五二五)五律 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8917 |
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花間集 訳注解説 (223)回目張泌 《巻四48 南歌子三首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8906 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠 Livedoor |
玉-巻二24 樂府詩七首 其五明月篇 -#1〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8907 |
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Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論 |
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八、2.14 薛濤 《酬人雨後玩竹 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8908
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薛濤詩 《酬人雨後玩竹》 |
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酬人雨後玩竹
(ある人が、「雨あがりに見た竹は、なかなかよいものだ」という題で詩を作り、わたしにくださったのに対して、お返しの詩。)
南天春雨時,那鑒雪霜姿。
南の蛾眉の峯から春雨の温和な時候になってきたころには、その竹が、冬のはげしい雪や霜にたえている強い姿は、誰にだって想像もできないのです。
眾類亦云茂,虛心寧自持。
春は、あらゆる植物が、みんな盛んに繁って自己主張します。その旺盛な活力を誇っているなかにあって、竹だけは、あの中身が空虚、空洞であるように、じっと自分だけ、自分の生き方を守っているのです。
多留晉賢醉,早伴舜妃悲。
昔、晋の竹林の賢者たちが、酔って清談をし、賦詩をのこしたのです。またもっと遠い、舜帝の皇后と妃が、帝の死を悲しんで泣いた涙の跡が、竹の斑紋となったのです。
晚歲君能賞,蒼蒼勁節奇。
年の暮れになって、はげしい寒さがおそってきたときに、ひとり相欒わらず、青々とした色を見せて強靭でおとろえず、節操をまもって雪霜のなかに強く生きぬくのです。
(人の「雨後、竹を玩づ」に酬ゆ)
南天 春雨の時、那んぞ雪霜の姿を 鑒【おも】わん。
衆類 亦【すべ】て云茂【うんも】するに、虚心能く自ら持す。
多く晋賢の酔を 留め、早に舜妃の悲しみに 伴ふ。
晩歳 君 能く質せよ、蒼蒼 勁節【けいせつ】の奇なるを。
『酬人雨後玩竹』 現代語訳と訳註
(本文)
南天春雨時,那鑒雪霜姿。
眾類亦云茂,虛心寧自持。
多留晉賢醉,早伴舜妃悲。
晚歲君能賞,蒼蒼勁節奇。
(下し文)
(人の「雨後、竹を玩づ」に酬ゆ)
南天 春雨の時、那んぞ雪霜の姿を 鑒【おも】わん。
衆類 亦【すべ】て云茂【うんも】するに、虚心能く自ら持す。
多く晋賢の酔を 留め、早に舜妃の悲しみに 伴ふ。
晩歳 君 能く質せよ、蒼蒼 勁節【けいせつ】の奇なるを。
(現代語訳)
(ある人が、「雨あがりに見た竹は、なかなかよいものだ」という題で詩を作り、わたしにくださったのに対して、お返しの詩。)
南の蛾眉の峯から春雨の温和な時候になってきたころには、その竹が、冬のはげしい雪や霜にたえている強い姿は、誰にだって想像もできないのです。
春は、あらゆる植物が、みんな盛んに繁って自己主張します。その旺盛な活力を誇っているなかにあって、竹だけは、あの中身が空虚、空洞であるように、じっと自分だけ、自分の生き方を守っているのです。
昔、晋の竹林の賢者たちが、酔って清談をし、賦詩をのこしたのです。またもっと遠い、舜帝の皇后と妃が、帝の死を悲しんで泣いた涙の跡が、竹の斑紋となったのです。
年の暮れになって、はげしい寒さがおそってきたときに、ひとり相欒わらず、青々とした色を見せて強靭でおとろえず、節操をまもって雪霜のなかに強く生きぬくのです。
(訳注)
酬人雨後玩竹
1.(ある人が、「雨あがりに見た竹は、なかなかよいものだ」という題で詩を作り、わたしにくださったのに対して、お返しの詩。)
2.【解説】四川は、竹の名産地である。竿橋と称する大きな竹を編んで作った橋も、この地方の名物である。
望江楼公園には現在すでに七十余種の竹が集め植えられてあるという。中でも特殊なものは邦味の邦竹、蛾眉金頂の冷竹、江安の人面竹、鶏爪竹、長撃の花南竹、小花竹、成都西邦の琴線竹、鳳尾竹。そしてもっとも特色のあるものは綿竹県の綿竹で、米つぶのような実を結び、地に落ちて苗を生じる。杜甫『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』「華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。」
成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534
南天春雨時,那鑒雪霜姿。
南の蛾眉の峯から春雨の温和な時候になってきたころには、その竹が、冬のはげしい雪や霜にたえている強い姿は、誰にだって想像もできないのです。
3. ・鑒 鑑に同じ。見分ける。知る。
4. ・雪霜姿 冬になって雪や霜に耐えているときのりりしい姿。
眾類亦云茂,虛心寧自持。
春は、あらゆる植物が、みんな盛んに繁って自己主張します。その旺盛な活力を誇っているなかにあって、竹だけは、あの中身が空虚、空洞であるように、じっと自分だけ、自分の生き方を守っているのです。
5. ・衆類 あらゆる植物。
6. ・亦 すべて。
7. ・云茂 云は、物の多く盛んなさま。盛んに繁る。「荘子」 に 「万物云云」 の句がある。
8. ・虚心(きょしん) 中心がむなしい。竹のなかに空洞があることをいう。
多留晉賢醉,早伴舜妃悲。
昔、晋の竹林の賢者たちが、酔って清談をし、賦詩をのこしたのです。またもっと遠い、舜帝の皇后と妃が、帝の死を悲しんで泣いた涙の跡が、竹の斑紋となったのです。
9. ・晉賢醉 魏(三国時代)の時代末期から晋に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した晋のとき、竹林のなかに遊び、酒を飲んで楽しんでいた七人のグループを、「竹林の七賢」といった。七人は、阮籍(げんせき)嵆康(けいこう)山濤(さんとう)劉伶(りゅうれい)阮咸(げんかん)向秀(しょうしゅう)王戎(おうじゅう)である。
10. ・舜妃悲 ○湘妃 鼓宏舜の妻、蛾皇・女英の二人が舜王のあとを追いかけ湘水までゆき、舜の死んだことをきき、湘水に身をなげて死に、湘水の女神となった。それが湘妃であり、この湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓くという古伝説がある。○斑竹 斑紋のある竹、湘水の地方に産する。その竹は湘妃が涙を流したあとに生じたものであるとの伝説がある。12. 江 湘江をさす。「博物志」に見える。
晚歲君能賞,蒼蒼勁節奇。
年の暮れになって、はげしい寒さがおそってきたときに、ひとり相欒わらず、青々とした色を見せて強靭でおとろえず、節操をまもって雪霜のなかに強く生きぬくのです。
13. ・晩蔵 歳暮、すなわち冬になったらの意。
14. ・君 原詩の作者を指す。。
15. ・蒼蒼(そうそう) あおあおと。
16. ・勁節 勁は強敬な意。節があって強く、積雪などに折れない。節はふしであるが、同時に節操の節の意をふくみ、みさおがしっかりしていることにもかけている.
17. ・奇 他とちがっていること。
薛濤 《宣上人見示與諸公唱和 》
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2017年6月15日 |
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玉-巻二23 樂府詩七首 其四朝時篇 怨歌行 -#4〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8901 |
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八、2.13 薛濤 《宣上人見示與諸公唱和 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8902
(宣上人様が、諸公と唱和され示されたものをお見せくださった。)
お上人さまが、本堂でご一同様と御一緒に、お経をとなえることをお許しくださいますが、わたくしは、ちょろちょろと流れる泉水の水音にもおよばない極最小の聾でございます。しかし、昔、この蜀で、有名な書記官であったあの譙周さまは、まことに愛されました。私も皆様に愛されることにおいて、お上人さまのご指導によって、流水の一部として交じれば、この寺の本堂に、大きなお合唱になり、風流で、すがすがすがしく、まことに素晴らしいことになるでしょう。
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薛濤詩 《宣上人見示與諸公唱和》 |
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宣上人見示與諸公唱和
(宣上人様が、諸公と唱和され示されたものをお見せくださった。)
許廁高齋唱,涓泉定不如。
お上人さまが、本堂でご一同様と御一緒に、お経をとなえることをお許しくださいますが、わたくしは、ちょろちょろと流れる泉水の水音にもおよばない極最小の聾でございます。
可憐譙記室,流水滿禪居。
しかし、昔、この蜀で、有名な書記官であったあの譙周さまは、まことに愛されました。私も皆様に愛されることにおいて、お上人さまのご指導によって、流水の一部として交じれば、この寺の本堂に、大きなお合唱になり、風流で、すがすがすがしく、まことに素晴らしいことになるでしょう。
(宣上人 諸公との唱和を示すを見せられる)
廁【まじ】って 高齋に唱【とな】うるを許さるるも、涓泉【けんせん】も 定めて如【し】からざらん。
譙【しょう】記室を憐むべし、流水 禪居【ぜんきょ】に満つ。
薛濤 罰赴邊有懷上韋令公二首其二
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2017年6月14日 |
の紀頌之"6"つの校注Blog |
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(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その二)
かねて聞きおよんでおりましたのは吐蕃国境地帯にある都護府の城塞のご苦労の多いことですが、今、ここにきてみて、はじめてそれがはっきりわかりました。韋皐節度使さまが幕府のご宴席で歌っておられた平穏で歌われる「門下曲」は、とても毎日毎夜、守備にご苦労なさっている勇ましい「隴頭兒」の方々には、お聞かせできませんでした。
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薛濤詩 11 |
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罰赴邊有懷上韋令公二首其一
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
罰赴邊有懷上韋令公二首其二
聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。
罰赴邊有懷上韋令公二首其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。
罰赴邊有懷上韋令公二首其二
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その二)
聞道邊城苦,而今到始知。
かねて聞きおよんでおりましたのは吐蕃国境地帯にある都護府の城塞のご苦労の多いことですが、今、ここにきてみて、はじめてそれがはっきりわかりました。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。
韋皐節度使さまが幕府のご宴席で歌っておられた平穏で歌われる「門下曲」は、とても毎日毎夜、守備にご苦労なさっている勇ましい「隴頭兒」の方々には、お聞かせできませんでした。
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の二)
聞道 邊城 苦しと。今来って 始めて知るに到ぶ。
羞づ 門下曲を將って、隴頭兒に唱與するを。
薛濤 《罰赴邊有懷上韋令公二首其一 》
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2017年6月13日 |
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八、2.11 薛濤 《罰赴邊有懷上韋令公二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8890
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
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薛濤詩 11 |
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罰赴邊有懷上韋令公二首其一
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
罰赴邊有懷上韋令公二首其二
罰赴邊有懷上韋令公二首其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
罰赴邊有懷上韋令公二首其二
聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の二)
聞道 邊城 苦しと。今来って 始めて知るに到ぶ。
羞づ 門下曲を將って、隴頭兒に唱與するを。
『罰赴邊有懷上韋令公二首其一』 現代語訳と訳註
(本文)
罰赴邊有懷上韋令公二首其一
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
(下し文)
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。
(現代語訳)
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
(訳注)
罰赴邊有懷上韋令公二首其一
1.(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
2. 【解説】801年貞元17年松州方面への吐蕃の侵略があったころのこと。詩はその前年の作。罰をうけた原因については、「鑑戒録」には、彼女が有名になり、中央から遣わされてくる役人が、韋皐へ口効きをする。彼女を通じて韋皐の側近へ金品をとどけてもらったり、彼女自身に金品を贈ったりしたことがあった。薛濤33・34歳頃のことである。詩により名声が高くなるに伴い増加したとある。ここでいう罰はこの収賄により国境の軍隊慰問をさせられたということなのだ。
この2年後に薛濤を寵愛した剣南節度使韋皐は蜀の地で死んでいる。61歳であった。
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことです。
3 ・黠虜/黠賊 吐蕃を蔑んでこう呼んだ。蜀から西域涼州にかけて国境を接していて、唐に問題があると必ず局地戦を仕掛けてきている。したがって、この侵略行為に対して不安状態にあったことは間違いないことなのだ。しかし吐蕃の側から見れば、漢民族が日常的に浸透、侵略をしており、それを我慢しきれず跳ね返したということで、本気で蜀を侵略しようというものではなかったのだ。そういった漢民族の浸透侵略性は現在にも受け継がれている民族性である。(チベット、ウイグル、内モンゴル、満州民族を完全に中国化してしまっている。)
4. ・違命 唐にそむいたこと。
・烽煙 のろしの煙。山頂で薪を焚いて煙をあげ、順に急を告げることになっていた。焚火に狼の糞を加えると煙が細くまっすぐにあがるので、狼煙ともいう.
5. ・直北 松州方面は、成郡の真北成都の北180kmのところに当たる。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
6. ・嚴譴 きびしい譴責をうける。おしかり。
7. ・妾 わたし。
8. ・松州 今の四川省の西北部成都の北180kmのところ。蔵族自治区の松藩。チベット族が岷山台地から四川盆地へ侵入してくる場合の要衝の地。唐では恭州に都護府を置いていたが、貞元十六年吐蕃の侵攻によって陥落した。(図K-25)
八、2.10 薛濤 《春望詞四首
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2017年6月12日 |
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八、2.10 薛濤 《春望詞四首 其四 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8884
(また約束の春が来た、もう花も見たくない、でももらった簪を指して鏡を見て化粧をしなおす。)
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
官妓(6)
これら何百何千もの宮妓は、どのような生活をしていたのであろうか。宮妓は宮人と共通するところもあったが、しかし全く同じというわけでもなかったようだ。宮人の中から選抜されて宮妓にされたものの大半は、「宮婢」の身分のままであったが、それ以外の民間から選抜されたものの地位と身分は、一般の宮人に比べてやや高かったようである。各時代の記録はきわめて少ないが、ただ玄宗の時代についてだけは、『教坊記』という書物が彼女たちについて専門に書いている。その記載によると、選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲詔院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」には佩魚(五品以上の貴人が身に着けることを許されていた魚形のバヴジ)が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二目、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。敬宗の時、皇帝は自ら内人の家族千二百人を招待し、教坊で宴席を設け、褒美として錦を下賜した(『旧唐書』敬宗紀)。
彼女たちの生活も比較的自由で、彼女たちに対する宮中の束縛も、それほど厳格ではなかった。年をとり容色が衰えると、宮中から出て家に帰りたいと申し出ることが許されており、宮人のように必ずしも深宮の中で朽ち果てねばならないというわけではなかった。『教坊記』に記されている竿木妓の芭漢女大娘子、許渾の「蕭煉師に贈る」という詩に出てくる内妓の蕭煉師、また『楽府雑録』に記されている宣徽院(宮中の一役所)の門弟楊氏などは、みな年老いて後、宮中から退出した内人であった。張結の「退宮の人」という詩に、「歌喉漸く退えて宮閲を出でんとし、泣いて伶官(宮中の楽官)に話せば 上 帰るを許す」とある。席融の「退宮妓」という詩に、「一且色衰えて故里に帰るも、月明 猶お夢に梁州(曲名)を按く」とあるが、これらはいずれも内人が年老いて後、宮中から退いたことを述べているのである。宮妓が宮中から出た後の境遇は、おしなぺてそれほど良いというわけでもなかったが、宮人に比べれば概して白由の身であったといえよう。以上によって、唐朝の宮廷は宮妓を芸人と見なして待遇し、宮人のような賤民身分とは区別していたこと、少なくとも玄宗の時代には、宮妓たちの待遇はまだ比較的良かったことが分かる。
もちろんのこと、たとえ宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたにせよ、そしてまた一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたにせよ、所詮彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になるものも少なくなかった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓囲」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に乎を入れて暖をとった(『開元天宝遺事』巻古。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。
1. 井梧吟
庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。
2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
3. 池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
4. 風
獵蕙微風遠,飄弦唳一聲。
林梢明淅瀝,松徑夜淒清。
5. 月
魄依鉤樣小,扇逐漢機團。
細影將圓質,人間幾處看。
6. 蟬
露滌音清遠,風吹故葉齊。
聲聲似相接,各在一枝棲。
7 春望詞四首其一
花開不同賞,花落不同悲。
欲問相思處,花開花落時。
8 春望詞四首其二
嚂草結同心,將以遺知音。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
9 春望詞四首其三
風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。
10 春望詞四首其四
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
薛濤 《春望詞四首 其三 》
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2017年6月11日 |
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八、2.9 薛濤 《春望詞四首 其三 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8878
(春の日は終わった、お仕事のあるあなたは帰ってこられなかった、二人で誓って結ん多草を又今日も一人で結んでいると詠う。))
春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。
官妓(5)
唐代には「妓」と呼ばれた人は三種類あった。家妓・宮妓・官妓の三種である。いずれも妓と称されたが、三者の身分・生活はそれぞれ異なっていた。家妓は私人が自宅で養い蓄えている女楽、歌舞人であり、私有財産であって、姫妾とか婢女と呼ばれる人と同類であった。それで彼女たちは「姫妾」の部に入れて論ずることにし、ここでは言及しない。以下に、先学たちが「公妓」とよんだ二つの種類、宮妓と官妓について論ずることにする。
宮妓、敦坊妓
宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職貴は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。
宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上乎だったため選ばれて宮中に入った。蔀瓊瓊はもとは色町の妓女であったが、筝が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、
玄宗時代には特に「権弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『占今図書集成』閑媛典閔艶部、崔令欽『教坊記』による。以下『教坊記』を出典とするものは一々注記しない)。
* 楽戸とは、楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。
彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上された。また文宗の時代、回屹に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雑編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々宮女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘「教坊記隻訂」中華書局、一九六二年)。
薛濤 《春望詞四首 其二 》
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2017年6月10日 |
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花間集 訳注解説 (217)回目張泌 《巻四43 生查子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8870 |
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八、2.8 薛濤 《春望詞四首 其二 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8872
(約束した春になっても帰ってきてはくれない、同心を結んで誓った楽しい時を思い出してこの春を過ごすが、松だけの女は愁いを断ち切ることはできない。)
行楽を愉しむ中、二人で声を上げてたくさん草をとり、それを愛のあかしとして「同心むすび」にむすぶ。
まさに客とそれをしたことで恋しい人への思いをふと忘れ得たような思いがするのです。
女の春の愁いというものはそんなことでも断ちることになるのです。春に盛んな鳥が啼くと、おんなにとってはまた悲しそうな聲でさえずっているように聞こえてきます。
地方の官妓(5)
また、章保衝は独孤雲の幕下の官僚として赴任した時、一人の飲妓を連れていった。ところが副史の李甲はもともとこの飲妓に気があったので、速達の公文書を独孤雲に送り、彼女を取り返した。また、盧胚が廬江(安徽省廬江県)の太守になった時、郡内の曹生なるものが営妓の丹霞を自分にほしいと頼んだが盧は許さなかった。
これらの話は、劉崇遠『金華子雑編』、孫光憲『北夢頂言』(巻ハ)、銭易『南部新書』(戊、庚、辛)、孔平忠『続世説』(巻一こ、芭櫨『雲渓友議』(巻一)、『仝唐詩』(巻五二〇)等の書物に載っており、こうした事例からみると、官妓はほとんど地方長官の私物のような存在であったことが分かる。しかし官妓の籍は官府に属していたので、長官が彼女たちを支配し贈与し、あるいは占有物にしたとはいえ、勝乎に売買することはできなかった。多くの記録からみるに、官妓が身請けされるのはすべて長官が贈与するか、あるいは長官が許可した場合だけであった。「妓籍から降されんことを祈る」(『太平広記』巻二七三「章保衝」)という常用句からみて、官妓を自分のものにしたい人は長官に落籍を頼んだのであって、決して金銭で買ったのではなかったことが分かる。要するに、地方官妓は官奴婢的色彩がきわめて強く、「官身」(官に隷属する者)であって白由の身ではなかったのである。
1. 井梧吟
庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。
2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
3. 池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
4. 風
獵蕙微風遠,飄弦唳一聲。
林梢明淅瀝,松徑夜淒清。
5. 月
魄依鉤樣小,扇逐漢機團。
細影將圓質,人間幾處看。
6. 蟬
露滌音清遠,風吹故葉齊。
聲聲似相接,各在一枝棲。
7 春望詞四首其一
花開不同賞,花落不同悲。
欲問相思處,花開花落時。
8 春望詞四首其二
嚂草結同心,將以遺知音。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
9 春望詞四首其三
風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。
10 春望詞四首其四
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
薛濤 《春望詞四首 其一 》
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2017年6月9日 |
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八、2.7 薛濤 《春望詞四首 其一 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8866
(約束の春が来て、すでに花が落ちるころになっても、あの人は来ない、今度は私がそこに行きますと詠う)
花さく季節が来ました。でもこの同じ場所で同じときに観賞することはないのです。花が落ちる季節になってもその悲しみを一緒にすることはないのですお聞きしたいことがあります。あなたがわたしのことを思ってくださる場所のことを。それがわかったら私がその場所に飛んで行って花さくときから花が散る時まで一緒に過ごしたいと思います。
地方の官妓(4)
官妓は地方長官の管轄下にあったので、長官が完全に支配し、常に彼らの私有財産のようになっていた。長官たちは「花魁を独占する」ことができたので、彼女たちを勝手に人に贈ったり、また人から奪ったりすることができた。張褐は晋州(山西省臨扮県)の長官になると、愛する営妓を外に囲って一子をもうけた。このように官妓を側室にした例は記録に少なくない。歌妓の張好好は江西の沈公の管轄下にあった。後に沈公は宜城(安徽省宣城県)の鎖守となって転任すると、張好好を宣城の官妓の籍に移した。また、白居易は杭州刺史の任にあったが任地を離れる時、歌妓をつれて洛陽に帰った。しかし、後に披女を銭唐(浙江省杭州)に送り返した。また、杜晦が常州(江蘇省武進県)の官を辞任した時、郡守の李晦が送別の宴を開いた。杜は辞去する時、営妓の朱娘に別れを告げ挟で顔をおおい大いに泣いた。それを見て李は、「こんなはすっぱの妓女など、員外郎の貴方さまが御入り用なら仰ってください。何の遠慮がございましざっ」と言い、この営妓を杜に連れて行かせた。また、蔀宜僚は新羅に使節として赴く途中、青州(山東省益都県)を通った時、飲妓(酒席の接待をする妓女)の段東美という妓女を見初めた。すると、節度使はすぐ彼女を贈呈した。また、剌史の戎晟は管轄下にある一歌妓と情を通じていた。しかし上官である節度使の于岨が所望したので差し上げざるをえなかった。後に于頓は彼女を戎竪に返した。また、李晟は剣南(四川省一帯)に軍を率いて行き、帰る時成都の官妓高氏というものを連れ去ったので、成都の長官張延賞は人を派して取り返した。
1. 井梧吟
庭除一古桐,聳干入雲中。
枝迎南北鳥,葉送往來風。
2. 鴛鴦草
綠英滿香砌,兩兩鴛鴦小。
但娛春日長,不管秋風早。
3. 池上雙鳧
雙棲綠池上,朝去暮飛還。
更憶將雛日,同心蓮葉間。
4. 風
獵蕙微風遠,飄弦唳一聲。
林梢明淅瀝,松徑夜淒清。
5. 月
魄依鉤樣小,扇逐漢機團。
細影將圓質,人間幾處看。
6. 蟬
露滌音清遠,風吹故葉齊。
聲聲似相接,各在一枝棲。
春望詞四首
7 花開不同賞,花落不同悲。
欲問相思處,花開花落時。
8 嚂草結同心,將以遺知音。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
9 風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。
10 那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
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薛濤詩 《春望詞四首 其一》 |
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春望詞四首
(約束の春が来て、すでに花が落ちるころになっても、あの人は来ない、今度は私がそこに行きますと詠う)
花開不同賞,花落不同悲。
花さく季節が来ました。でもこの同じ場所で同じときに観賞することはないのです。花が落ちる季節になってもその悲しみを一緒にすることはないのです
欲問相思處,花開花落時。
お聞きしたいことがあります。あなたがわたしのことを思ってくださる場所のことを。それがわかったら私がその場所に飛んで行って花さくときから花が散る時まで一緒に過ごしたいと思います。
春 望 四首
花開くも 同に賞せず、花落つるも 同に悲まず。
問はんと欲す 相思の處、花開き花落つるの時。