詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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魚玄機関連詩 〔孫光憲〕北夢瑣言
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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魚玄機関連詩 〔孫光憲〕北夢瑣言 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 10196
魚玄機は晩唐の女道士であり、字を蕙蘭という。とても才能思想の持ち主である、
咸通元年、李億補闕の妻妾として仕えることとなる。
しかし、その後、夫李億の愛衰へ他の女のもとにいった、魚玄機は山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
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魚玄機 関連詩文 |
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●北夢瑣言 卷九 孫光憲
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。鹹通中,為李憶補闕執箕帚,後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
#2
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”自是縱懷,乃娼婦也,竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
#3
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”
又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”
自是縱懷,乃娼婦也,
竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
●唐才子傳 卷八 辛文房
魚玄機,長安人,女道士也。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
賦詩曰:“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”
觀其志意激切,使為一男子,
必有用之才,作者頗賞憐之。
時京師諸宮宇女郎,皆清俊濟楚,
簪星曳月,惟以吟詠自遣,
玄機杰出,多見酬酢云。
有詩集一卷,今傳。
●唐才子傳 李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
初居余杭,出有山水之興,
人有琴書之娛,疏于馳競。
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。
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《魚玄機の関連詩文》北夢瑣言 卷九 |
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北夢瑣言 卷九 訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10196 |
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北夢瑣言 卷九
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。
魚元機は晩唐の女道士であり、字を蕙蘭という。とても才能思想の持ち主である、
鹹通中,為李憶補闕執箕帚,
咸通元年、李億補闕の妻妾として仕えることとなる。
後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
しかし、その後、夫李億の愛衰へ他の女のもとにいった、魚玄機は山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”
又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”
自是縱懷,乃娼婦也,
竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
唐の女道、魚元機、字を蕙蘭という。甚だ才思あり。
咸通中、李億補闕のために箕帚を執る。
後、愛衰へて、山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
李公を怨むの詩あって日う、「無価の宝を求むることは易きも、有心の郎を得ることは難し。」と。
又云ふ、「蕙蘭銷歇して春浦に帰り、楊柳東西に客舟を伴(絆)ぐ。と。是れより縦懐、乃ち娼婦なり。竟に、侍婢を殺すを以て、京兆の尹温璋、之を殺すところとなる。集ありて世に行はる。
『北夢瑣言』 現代語訳と訳註
(本文)
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。鹹通中,為李憶補闕執箕帚,後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”自是縱懷,乃娼婦也,竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
(下し文)
唐の女道、魚玄機、字を蕙蘭という。甚だ才思あり。
咸通中、李億補闕のために箕帚を執る。
後、愛衰へて、山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
李公を怨むの詩あって日う、「無価の宝を求むることは易きも、有心の郎を得ることは難し。」と。
又云ふ、「蕙蘭銷歇して春浦に帰り、楊柳東西に客舟を伴(絆)ぐ。と。是れより縦懐、乃ち娼婦なり。竟に、侍婢を殺すを以て、京兆の尹温璋、之を殺すところとなる。集ありて世に行はる。
(現代語訳)
魚玄機は晩唐の女道士であり、字を蕙蘭という。とても才能思想の持ち主である、
咸通元年、李億補闕の妻妾として仕えることとなる。
しかし、その後、夫李億の愛衰へ他の女のもとにいった、魚玄機は山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
(訳注)
・北夢瑣言【ほくぼうさげん】 逸話集。宋の孫光憲著。20巻。唐以降の逸話類を記したもの。光憲は夢沢の北に住んだので「北夢」と言った。
・孫光憲(?~968?) 字は孟文、号は葆光子。貴平の人。農家に生まれたが、学問を好んだ。後唐に仕えて陵州判官となった。のちに江陵に居を移し、高季興に仕えた。高季興が楚と決戦しようとしたのを諫めて止めさせたという。荊南三代に仕えて、荊南節度副使・検校秘書少監を歴任した。乾徳元年(963)、高継冲に勧めて、領土を宋の太祖に献じさせた。この功績で黄州刺史に任ぜられた。
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。
魚元機は晩唐の女道士であり、字を蕙蘭という。とても才能思想の持ち主である、
鹹通中,為李憶補闕執箕帚,
咸通元年、李億補闕の妻妾として仕えることとなる。
・鹹通中 咸通年間中(860 ~873年)のこと。ここは元年。
・李億補闕 魚玄機の夫。
・箕帚 【きそう】ちりとりと、ほうき。また、掃除をすること。きしゅう。箕帚を執る掃除する。また、妻妾として仕える。
森鴎外の「魚玄機」には次のように書いている。
温庭筠の友に李億と云う素封家があった。年は温より十ばかりも少くて頗る詞賦を解していた。
咸通元年の春であった。久しく襄陽に往っていた温が長安に還ったので、李がその寓居を訪ねた。襄陽では、温は刺史徐商の下で小吏になって、やや久しく勤めていたが、終に厭倦【えんけん】を生じて罷めたのである。
温の机の上に玄機の詩稿があった。李億はそれを見て
歎称した。そしてどんな女かと云った。温は三年前
から詩を教えている、花の如き少女だと告げた。それ
を聞くと、李億は精【くわ】しく魚家のある街を問うて、何か思うことありげに、急いで座を起った。
李は温の所を辞して、径【ただ】ちに魚家に往って、玄機を納【い】れて側室にしようと云った。玄機の両親は幣の厚いのに動された。
玄機は出でて李と相見た。今年はもう十八歳になっている。その容貌の美しさは、温の初て逢った時の比ではない。李もまた白皙【はくせき】の美丈夫である。李は切に請い、玄機は必ずしも拒まぬので、約束は即時に成就して、数日の後に、李は玄機を城外の林亭に迎え入れた。
こうして李億の妻になったのである。
後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
しかし、その後、夫李億の愛衰へ他の女のもとにいった、魚玄機は山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
咸宜觀 咸宜観(かんぎかん)は、唐代長安親仁坊にあった女冠道観。咸宜女冠観ともいう。睿宗の即位前の御殿で、その息子の玄宗代に睿宗の妃である昭成皇后(玄宗生母)・粛明皇后の廟となった。開元21年(733)、粛明観となり、宝応元年(762)、玄宗の娘の咸宜公主が入り、咸宜観と称した。