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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10595

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Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君

 

  

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中国史・女性論

 

 

Ⅳ 政略婚 (近隣国・異民族に嫁いだ公主)

 

-§-1 烏孫王に嫁いだ細君

1. 和蕃公主

2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君

3. 建国の英雄冒頓単于

4. 匈奴遊牧王国の出現

5. 漢の高祖と冒頓単于

6. その後の漢帝国と勾奴との関係

7. 武帝の匈奴経略と張騫の西域行

8. 烏孫族と月氏族

9. 対匈奴攻守同盟策

10. 望郷の歌―黄鵠の歌

 

 

 

-§-1 烏孫王に嫁いだ細君

 

-§-1- 2. 最涯の地、烏孫に嫁いだ細君

 烏孫王に降嫁した細君は、前漢の武帝の治世の中ごろ、当時北アジア世界に強勢を誇っていた匈奴王国よりも、さらにはるか西北方に遊牧する、今日の新彊ウイグル自治区にいた烏孫というトルコ系の遊牧部族の王に降嫁させられた和蕃公主である。

『前漢書』巻九六、「西域伝」に収められている烏孫国の条には、このことを、つぎのよう

に伝える。

漢の元封中(前110105)、宗族の江都王劉建の女細君を、和蕃公主として烏孫王昆莫に妻わせることとした。乗輿・御物を賜い、宦官・侍御数百人を供奉させた。烏孫王の昆莫は、細君を迎えると右夫人(第二夫人)としたが、匈奴王もだまってはいない。直ちにその女を昆莫に妻わし、左夫人(第一夫人)とした。

この一文によると、細君は武帝の兄の子(甥)にあたる江都王の劉建の女であるといえば、仮の公主ではなく、正真正銘の公主であったので、かの女は、とくに江都公主とも称せられている。

 

こうして、和蕃公主として白羽の矢を立てられた江都公主の劉氏細君は、武帝の勅命もだしがたく、遠く西北のかた最涯の地の烏孫王に降嫁したのであった。武帝の政略結婚策とはいえ、江都王一族、わけても細君にとっては、たいへんな犠牲を強いられたわけである。

ちなみに、烏孫王が細君を右夫人(第二夫人)、匈奴王の女を左夫人(第一夫人)としたというのは、そのころ烏孫に対する匈奴王国の勢威が、漢帝国のそれよりも大きかったことを語るものである。

それでは漢延としては、どうして烏孫王と同盟を結ばねばならなかったのか。その歴史的背景について少し考えてみよう。それには、漢帝国と、そのころ覇者として北アジア世界に君臨していた匈奴王国との関係から説きおこさねばならない。

冒頭にもちょっとふれたが、漢帝国と匈奴王国とは、建国のはじめから宿敵の間柄であり、しかも漢の高祖は、匈奴の冒頓単于に包囲され、手痛い反撃を蒙るという、分のわるい関係に立ったのである 。

 

 

烏孫公主とは、漢の武帝の時、西域の伊犂地方に住んでいたトルコ系の民族の国家・烏孫国に嫁した漢の皇室の女性で、名は(劉)細君という。江都王・劉建の 娘で、武帝の従孫になる。塞外の民族や部族、諸侯との和親を図るための政略結婚の当事者。なお、王昭君が匈奴に嫁いだのは、この劉細君の婚姻の七十余年後になる。ともに漢王朝の対西域政策と軍略を物語るものである。

 

悲愁歌      烏孫公主 劉細君

吾家嫁我兮天一方,遠託異國兮烏孫王。

穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。

居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。

(悲愁歌)

吾が家 我を嫁がす 天の一方,遠く異國に託す 烏孫王。

穹盧を 室と爲して氈を牆と爲し,肉を以て食と爲して 酪を漿と爲す。

居常土(くに)を思ひ 心内に傷(いた)め,願はくは黄鵠と爲りて 故鄕に歸らん。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

P R