詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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魚玄機関連詩 〔辛文房〕唐才子傳 #2
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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魚玄機関連詩 〔辛文房〕唐才子傳 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ
李郢端公の詩に言う「一場春夢」と春の夜に見るひとときだけの短い夢と巷でいうことと同じのことであった。李億の住居と離れたとろろが選ばれた。書簡のやり取りはできたのである。
しかし、復た温庭筠とは交遊したのである、特に詩篇什を相互に寄せていたのである。
かつて崇真観の南樓に登り、三月、及第した新進士が壁に題名を書いているのを見た。
魚玄機の絶句の詩にいっている、「見渡す彼方に雲の峯がみえますが、くっきりとした晴れた春の日が目にいっぱいに入り高楼の上で春を感じるのです。壁に達筆で書かれたお名前を一つ一つを指でさしてみているのです。そこには達筆で書かれた新しく及第した進士の人の名前なのです。
だけど私が女であるためどんなに上手に詩詞を作っても及第進士の方に加わることはできない、男に生れていればなあと思うのです。」
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魚玄機 関連詩文 |
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●北夢瑣言 卷九 孫光憲
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。鹹通中,為李憶補闕執箕帚,後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
#2
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”
又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”
自是縱懷,乃娼婦也,
竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
●唐才子傳 卷八 辛文房
魚玄機,長安人,女道士也。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
#2
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
賦詩曰:“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”
#3
觀其志意激切,使為一男子,
必有用之才,作者頗賞憐之。
時京師諸宮宇女郎,皆清俊濟楚,
簪星曳月,惟以吟詠自遣,
玄機杰出,多見酬酢云。
有詩集一卷,今傳。
●唐才子傳 李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
初居余杭,出有山水之興,
人有琴書之娛,疏于馳競。
#2
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。
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《魚玄機の関連詩文》北夢瑣言 卷九 |
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北夢瑣言 卷九 訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10196 |
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辛文房『唐才子傳』卷八
魚玄機,長安人,女道士也。
魚玄機は、長安の人であり、女道士である。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
性格は、聡慧であり、読書を好み、尤も詩詞の韻調に技巧に卓越しており、詩のおもむきはまつわりつきわずらわしいものである。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
しかし李億夫人の嫉妬によって、同居することはできなかった。そして、李億は他の女と手に取って赴任先に向かった。李億は、咸宜觀に金を払い魚玄機はそこにはいった。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
しかし李億夫人の嫉妬によって、同居することはできなかった。そして、李億は他の女と手に取って赴任先に向かった。李億は、咸宜觀に金を払い魚玄機はそこにはいった。
魚玄機は、長安の人、女道士なり。
性、聡慧にして、読書を好み、尤も韻調に工に、情致緊縟なり。
咸通中、笄に及び、李億補閥のために寵に侍す。
夫人妒にして、容るること能はず。
億、咸宜觀に隷して披戴せしむ。
#2
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
李公を怨むという詩『贈鄰女』があって日っているのは、「どんな高価な賓でも求めるということになれば、人間の力で求められないことはないのです。けれども、眞心でもって愛してくださる殿方にめぐり会うということはありえない難しいことなのです。」と。
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
李郢端公の詩に言う「一場春夢」と春の夜に見るひとときだけの短い夢と巷でいうことと同じのことであった。李億の住居と離れたとろろが選ばれた。書簡のやり取りはできたのである。
復與溫庭筠交游,有相寄篇什。
しかし、復た温庭筠とは交遊したのである、特に詩篇什を相互に寄せていたのである。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
かつて崇真観の南樓に登り、三月、及第した新進士が壁に題名を書いているのを見た。
賦詩曰:
魚玄機の絶句の詩にいっている、
“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”
「見渡す彼方には雲の峯が。くっきりとした晴れた春の日が目にいっぱいに入り高楼の上で春を感じるのです。壁に画かれたお名前を一つ一つを指でさしてみているのです。そこには達筆で書かれた新しく及第した進士の人の名前なのです。
だけど私が女であるためどんなに上手に詩詞を作っても及第進士の方に加わることはできないのです。音に生れていればなあと思うのです。」と。
#2
李を怨むの詩あって云ふ、「無価の宝を求むることは易きも、有心の郎を得ることは難し。」と。
李郢端公と巷を同じうし、居接近を止み、詩筒往反す。
復た温庭筠と交遊し、篇什を相寄するあり。
嘗て崇真観の南樓に登り、新進士の題名を睹、
詩を賦して日く、「雲峯満目春情を放つ、歴歴銀鉤指下に生ず、自ら恨む羅衣の詩句を掩ふを、頭を挙げて空しく羨む榜中の名。」と。
#3
その志意の激切なるを観る、男子と作らしめば、必らず有用の才となりしならん。識者頗る之を賞憐す。
時に京師の諸官宇の女郎、皆清俊にして秀美、
星を簪にし月を曳き、惟、吟詠を以て懐を迫る。
玄機は杰出し、多く酬酢を見ると云ふ、
詩集一巻あり、今に伝ふと。
《北夢瑣言 卷九》現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
賦詩曰:“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”
(下し文)
#2
李を怨むの詩あって云ふ、「無価の宝を求むることは易きも、有心の郎を得ることは難し。」と。
李郢端公と巷を同じうし、居接近を止み、詩筒往反す。
復た温庭筠と交遊し、篇什を相寄するあり。
嘗て崇真観の南樓に登り、新進士の題名を睹、
詩を賦して日く、「雲峯満目春情を放つ、歴歴銀鉤指下に生ず、自ら恨む羅衣の詩句を掩ふを、頭を挙げて空しく羨む榜中の名。」と。
(現代語訳)
李郢端公の詩に言う「一場春夢」と春の夜に見るひとときだけの短い夢と巷でいうことと同じのことであった。李億の住居と離れたとろろが選ばれた。書簡のやり取りはできたのである。
しかし、復た温庭筠とは交遊したのである、特に詩篇什を相互に寄せていたのである。
かつて崇真観の南樓に登り、三月、及第した新進士が壁に題名を書いているのを見た。
魚玄機の絶句の詩にいっている、「見渡す彼方に雲の峯がみえますが、くっきりとした晴れた春の日が目にいっぱいに入り高楼の上で春を感じるのです。壁に達筆で書かれたお名前を一つ一つを指でさしてみているのです。そこには達筆で書かれた新しく及第した進士の人の名前なのです。
だけど私が女であるためどんなに上手に詩詞を作っても及第進士の方に加わることはできない、男に生れていればなあと思うのです。」
(訳注)
辛文房『唐才子傳』卷八
・唐才子傳 元の辛文房の撰。唐代詩人の伝記集で、278人(付伝を含めると398人)の小伝を載せる。『唐書』に伝記があるものは百人余りに過ぎないので、本書の価値は高い。この書は、中国では完本が伝わらず、日本で出版された「佚存叢書」によって逆輸入された。
・辛文房 元の西域人1324年)官居省郎之職能诗﹐与王执谦﹑杨载齐名。
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
李郢端公の詩に言う「一場春夢」と春の夜に見るひとときだけの短い夢と巷でいうことと同じのことであった。李億の住居と離れたとろろが選ばれた。書簡のやり取りはできたのである。
9. ・李郢端公 盧延譲「李郢端公を哭こくす」・一場春夢(いちじょうしゅんむ・いちじょうのしゅんむ) 《四熟》 春の夜に見るひとときだけの短い夢。人の栄華が、極めて儚(はかな)く消えてしまうことの喩え。 類:●一場の夢●一炊之夢●邯鄲之夢●黄粱一炊●盧生之夢 出典:盧延譲の詩「哭李郢端公」「詩侶酒徒消散盡、一場春夢越王城」
復與溫庭筠交游,有相寄篇什。
しかし、復た温庭筠とは交遊したのである、特に詩篇什を相互に寄せていたのである。
10. ・溫庭筠 このブログで60首の訳註解説している。晩唐の大詞人。詩人でもある。花間集では彼の作品が一番多く、六十六首も採用されており、このことから花間鼻祖とも称されている。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
かつて崇真観の南樓に登り、三月、及第した新進士が壁に題名を書いているのを見た。
11. ・この句は森鴎外の小説のもとになった文である。ある日玄機は崇真観(しゅうしんかん)に往って、南楼に状元(じょうげん)以下の進士等が名を題したのを見て、慨然として詩を賦(ふ)した。
賦詩曰:
“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
魚玄機の絶句の詩にいっている、「見渡す彼方に雲の峯がみえますが、くっきりとした晴れた春の日が目にいっぱいに入り高楼の上で春を感じるのです。壁に達筆で書かれたお名前を一つ一つを指でさしてみているのです。そこには達筆で書かれた新しく及第した進士の人の名前なのです。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”だけど私が女であるためどんなに上手に詩詞を作っても及第進士の方に加わることはできない、男に生れていればなあと思うのです。」
12. ・辛文房は魚玄機の若いころの作で『游崇真觀南樓覩新及第題名處』の詩をここにあげた。李に聘ぜられる前の事である。崇真觀に行った魚玄機は南楼の壁に状元以下の及第した進士が名を掻きつけたのを見て書いた詩がこの絶句である。訳注解説については後日のブログに掲載する。