詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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魚玄機関連詩-【字解集】〔孫光憲・辛文房・李郢〕北夢瑣言・唐才子傳
2018年3月9日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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魚玄機関連詩-【字解集】〔孫光憲・辛文房・李郢〕北夢瑣言・唐才子傳 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10245 |
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魚玄機関連詩-【字解集】〔孫光憲・辛文房・李郢〕北夢瑣言・唐才子傳 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10245
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魚玄機 関連詩文 |
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●北夢瑣言 卷九 孫光憲
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。鹹通中,為李憶補闕執箕帚,後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
#2
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”自是縱懷,乃娼婦也,竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
#3
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”
又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”
自是縱懷,乃娼婦也,
竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
●唐才子傳 卷八 辛文房
魚玄機,長安人,女道士也。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
賦詩曰:“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”
觀其志意激切,使為一男子,
必有用之才,作者頗賞憐之。
時京師諸宮宇女郎,皆清俊濟楚,
簪星曳月,惟以吟詠自遣,
玄機杰出,多見酬酢云。
有詩集一卷,今傳。
●唐才子傳 李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
初居余杭,出有山水之興,
人有琴書之娛,疏于馳競。
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。
【字解集】〔孫光憲〕北夢瑣言 (魚玄機関連詩)
・北夢瑣言【ほくぼうさげん】 逸話集。宋の孫光憲著。20巻。唐以降の逸話類を記したもの。光憲は夢沢の北に住んだので「北夢」と言った。
・孫光憲(?~968?) 字は孟文、号は葆光子。貴平の人。農家に生まれたが、学問を好んだ。後唐に仕えて陵州判官となった。のちに江陵に居を移し、高季興に仕えた。高季興が楚と決戦しようとしたのを諫めて止めさせたという。荊南三代に仕えて、荊南節度副使・検校秘書少監を歴任した。乾徳元年(963)、高継冲に勧めて、領土を宋の太祖に献じさせた。この功績で黄州刺史に任ぜられた。
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。
魚元機は晩唐の女道士であり、字を蕙蘭という。とても才能思想の持ち主である、
鹹通中,為李憶補闕執箕帚,
咸通元年、李億補闕の妻妾として仕えることとなる。
・鹹通中 咸通年間中(860 ~873年)のこと。ここは元年。
・李億補闕 魚玄機の夫。
・箕帚 【きそう】ちりとりと、ほうき。また、掃除をすること。きしゅう。箕帚を執る掃除する。また、妻妾として仕える。
森鴎外の「魚玄機」には次のように書いている。
温庭筠の友に李億と云う素封家があった。年は温より十ばかりも少くて頗る詞賦を解していた。
咸通元年の春であった。久しく襄陽に往っていた温が長安に還ったので、李がその寓居を訪ねた。襄陽では、温は刺史徐商の下で小吏になって、やや久しく勤めていたが、終に厭倦【えんけん】を生じて罷めたのである。
温の机の上に玄機の詩稿があった。李億はそれを見て
歎称した。そしてどんな女かと云った。温は三年前
から詩を教えている、花の如き少女だと告げた。それ
を聞くと、李億は精【くわ】しく魚家のある街を問うて、何か思うことありげに、急いで座を起った。
李は温の所を辞して、径【ただ】ちに魚家に往って、玄機を納【い】れて側室にしようと云った。玄機の両親は幣の厚いのに動された。
玄機は出でて李と相見た。今年はもう十八歳になっている。その容貌の美しさは、温の初て逢った時の比ではない。李もまた白皙【はくせき】の美丈夫である。李は切に請い、玄機は必ずしも拒まぬので、約束は即時に成就して、数日の後に、李は玄機を城外の林亭に迎え入れた。
こうして李億の妻になったのである。
後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
しかし、その後、夫李億の愛衰へ他の女のもとにいった、魚玄機は山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
咸宜觀 咸宜観(かんぎかん)は、唐代長安親仁坊にあった女冠道観。咸宜女冠観ともいう。睿宗の即位前の御殿で、その息子の玄宗代に睿宗の妃である昭成皇后(玄宗生母)・粛明皇后の廟となった。開元21年(733)、粛明観となり、宝応元年(762)、玄宗の娘の咸宜公主が入り、咸宜観と称した。
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”
李公を怨むという詩『贈鄰女』があって日っているのは、「どんな高価な賓でも求めるということになれば、人間の力で求められないことはないのです。けれども、眞心でもって愛してくださる殿方にめぐり会うということはありえない難しいことなのです。」と。
・易求無價寶,難得有心郎。
魚玄機『贈鄰女』
羞日遮羅袖、愁春懶起粧。
易求無價宝、難得有心郎。
枕上潜垂涙、花間暗断腸。
自能窺宋玉、何必恨王昌。
自能窺宋玉、何必恨王昌。
どんな高価な賓でも求めるということになれば、人間の力で求められないことはないのです。けれども、眞心でもって愛してくださる殿方にめぐり会うということはありえない難しいことなのです。
・有心郎(ゆうしんのろう) ほんとうに心から自分を愛してくれる男。
又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”
又別の詩『寄子安』に言う、「香りのよい蘭の花も色あせ香しい香りも消え失せて春浦の街に帰るのです、ここには柳が植えられた岸辺、男と女、楊と柳とが東と西にわかれるあなたの舟をつないでいます。」と。
魚玄機『寄子安』
醉別千卮不浣愁,離腸百結解無由。
蕙蘭銷歇歸春圃, 楊柳東西絆客舟。
聚散已悲雲不定,恩情須學水長流。
有花時節知難遇,未肯厭厭醉玉樓。
自是縱懷,乃娼婦也,
こういうことでこの日から自由勝手に男の人を好きになれることになった。すなわちそれは娼婦に戻るということである。
・縱懷 思いをほしいままにする。自由勝手に男の人を好きになれること。
竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
そんなことがあって竟に魚玄機は召使の女を殺してしまうのであり、長安の市長 溫璋 は魚玄機に死罪を与えた。魚玄機の詩集は発行され世に広まったのである。
【字解集】〔辛文房〕唐才子傳 (魚玄機関連詩)
辛文房『唐才子傳』卷八
1.・唐才子傳 元の辛文房の撰。唐代詩人の伝記集で、278人(付伝を含めると398人)の小伝を載せる。『唐書』に伝記があるものは百人余りに過ぎないので、本書の価値は高い。この書は、中国では完本が伝わらず、日本で出版された「佚存叢書」によって逆輸入された。
2. ・辛文房 元の西域人1324年)官居省郎之職能诗﹐与王执谦﹑杨载齐名。
魚玄機,長安人,女道士也。
魚玄機は、長安の人であり、女道士である。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
性格は、聡慧であり、読書を好み、尤も詩詞の韻調に技巧に卓越しており、詩のおもむきはまつわりつきわずらわしいものである。
3. ・情致 おもむき。風情。情緒。情趣。
4. ・緊縟 まつわりつきわずらわしいもの。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
咸通中、金が支払われ、魚玄機は李億補閥にかこわれ妻となって行動を共にしたのだ。
5. ・笄 1 髪をかき上げるのに使った、箸(はし)に似た細長い道具。銀・象牙などで作る。2 女性の髷(まげ)に横に挿して飾りとする道具。ここでは、見受けをしたということ。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
しかし李億夫人の嫉妬によって、同居することはできなかった。そして、李億は他の女と手に取って赴任先に向かった。李億は、咸宜觀に金を払い魚玄機はそこにはいった。
6. ・妒 ねたむ、 そねむ、 つもる、 ふさぐ。
7. ・李億 魚玄機の夫。
8. ・咸宜觀 長安の道教、咸宜観で李は玄機に大金を残したため、玄機 はのんびり暮らせた。彼女はいつも作 詩したり本を読んだりして、たまにやや 文字を識る士人が来て詩を乞(こ)い書 を求めることをして愉しんだ。
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
李公を怨むという詩『贈鄰女』があって日っているのは、「どんな高価な賓でも求めるということになれば、人間の力で求められないことはないのです。けれども、眞心でもって愛してくださる殿方にめぐり会うということはありえない難しいことなのです。」と。
贈隣女
羞日遮羅袖、愁春懶起粧。
易求無價宝、難得有心郎。
枕上潜垂涙、花間暗断腸。
自能窺宋玉、何必恨王昌
贈鄰女 魚玄機 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-66-2-#五言律詩 2.贈鄰女 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1880
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
李郢端公の詩に言う「一場春夢」と春の夜に見るひとときだけの短い夢と巷でいうことと同じのことであった。李億の住居と離れたとろろが選ばれた。書簡のやり取りはできたのである。
9. ・李郢端公 盧延譲「李郢端公を哭こくす」・一場春夢(いちじょうしゅんむ・いちじょうのしゅんむ) 《四熟》 春の夜に見るひとときだけの短い夢。人の栄華が、極めて儚(はかな)く消えてしまうことの喩え。 類:●一場の夢●一炊之夢●邯鄲之夢●黄粱一炊●盧生之夢 出典:盧延譲の詩「哭李郢端公」「詩侶酒徒消散盡、一場春夢越王城」
復與溫庭筠交游,有相寄篇什。
しかし、復た温庭筠とは交遊したのである、特に詩篇什を相互に寄せていたのである。
10. ・溫庭筠 このブログで60首の訳註解説している。晩唐の大詞人。詩人でもある。花間集では彼の作品が一番多く、六十六首も採用されており、このことから花間鼻祖とも称されている。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
かつて崇真観の南樓に登り、三月、及第した新進士が壁に題名を書いているのを見た。
11. ・この句は森鴎外の小説のもとになった文である。ある日玄機は崇真観(しゅうしんかん)に往って、南楼に状元(じょうげん)以下の進士等が名を題したのを見て、慨然として詩を賦(ふ)した。
賦詩曰:
“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
魚玄機の絶句の詩にいっている、「見渡す彼方に雲の峯がみえますが、くっきりとした晴れた春の日が目にいっぱいに入り高楼の上で春を感じるのです。壁に達筆で書かれたお名前を一つ一つを指でさしてみているのです。そこには達筆で書かれた新しく及第した進士の人の名前なのです。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”だけど私が女であるためどんなに上手に詩詞を作っても及第進士の方に加わることはできない、男に生れていればなあと思うのです。」
12. ・辛文房は魚玄機の若いころの作で『游崇真觀南樓覩新及第題名處』の詩をここにあげた。李に聘ぜられる前の事である。崇真觀に行った魚玄機は南楼の壁に状元以下の及第した進士が名を掻きつけたのを見て書いた詩がこの絶句である。訳注解説については後日のブログに掲載する。
#3
觀其志意激切,使為一男子,
この詩を見るように魚玄機の気性はかなり強く激しいものであることがわかる。男子と生まれていればなあということだ。
必有用之才,作者頗賞憐之。
若し男であったなら必らず有用有能な人材になったであろうと思う。魚玄機の作った詩はひとかどのものならだれもが賞賛し女であることを哀れんだものなのである。
時京師諸宮宇女郎,皆清俊濟楚,
この時、彼女は長安城内の官妓娼家の芸妓であった。だれも皆が清俊にして秀美であるとおもったものである。
13. ・諸宮宇 官妓娼家。節婦 囲われている女性(民妓)だが、節操の正しい婦人。貞節な女性。貴族は側室として芸妓を迎え入れている。後ろに参考までに芸妓の概略を示す。
簪星曳月,惟以吟詠自遣,
一時期は星を簪にし月を曳くほどの勢いを持っていた。それも、惟だ、吟詠をすれば誰もが自然と心惹かれていくものであった。
玄機杰出,多見酬酢云。
魚玄機は傑出したそんざいであったことはまちがいない。一度に多く酒を酌(く)み交わすことで接客ができたという。
14. ・杰出 傑出した,とび抜けた.
15. ・酬酢 (1)主人と客が互いに酒を酌(く)み交わすこと。 (2)応対すること。
有詩集一卷,今傳。
詩集一巻あり、これは今に伝えられて残っている。
【字解集】〔李郢〕唐才子傳 (魚玄機関連詩)
辛文房『唐才子傳』卷八
1.・唐才子傳 元の辛文房の撰。唐代詩人の伝記集で、278人(付伝を含めると398人)の小伝を載せる。『唐書』に伝記があるものは百人余りに過ぎないので、本書の価値は高い。この書は、中国では完本が伝わらず、日本で出版された「佚存叢書」によって逆輸入された。
2. ・辛文房 元の西域人1324年)官居省郎之職能诗﹐与王执谦﹑杨载齐名。
魚玄機,長安人,女道士也。
魚玄機は、長安の人であり、女道士である。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
性格は、聡慧であり、読書を好み、尤も詩詞の韻調に技巧に卓越しており、詩のおもむきはまつわりつきわずらわしいものである。
3. ・情致 おもむき。風情。情緒。情趣。
4. ・緊縟 まつわりつきわずらわしいもの。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
咸通中、金が支払われ、魚玄機は李億補閥にかこわれ妻となって行動を共にしたのだ。
5. ・笄 1 髪をかき上げるのに使った、箸(はし)に似た細長い道具。銀・象牙などで作る。2 女性の髷(まげ)に横に挿して飾りとする道具。ここでは、見受けをしたということ。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
しかし李億夫人の嫉妬によって、同居することはできなかった。そして、李億は他の女と手に取って赴任先に向かった。李億は、咸宜觀に金を払い魚玄機はそこにはいった。
6. ・妒 ねたむ、 そねむ、 つもる、 ふさぐ。
7. ・李億 魚玄機の夫。
8. ・咸宜觀 長安の道教、咸宜観で李は玄機に大金を残したため、玄機 はのんびり暮らせた。彼女はいつも作 詩したり本を読んだりして、たまにやや 文字を識る士人が来て詩を乞(こ)い書 を求めることをして愉しんだ。
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
李公を怨むという詩『贈鄰女』があって日っているのは、「どんな高価な賓でも求めるということになれば、人間の力で求められないことはないのです。けれども、眞心でもって愛してくださる殿方にめぐり会うということはありえない難しいことなのです。」と。
贈隣女
羞日遮羅袖、愁春懶起粧。
易求無價宝、難得有心郎。
枕上潜垂涙、花間暗断腸。
自能窺宋玉、何必恨王昌
贈鄰女 魚玄機 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-66-2-#五言律詩 2.贈鄰女 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1880
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
5. ・侍御史 秦から前漢以降の官職名。主に監察、弾劾の官である。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
與清塞、賈島最相善。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。
6. ・清塞 晚唐「苦吟詩人」李洞、清塞、曹松、馬戴、裴說、許棠、唐求、方干、雍陶、. 無可、喻鳧、劉得仁,與姚合、賈島などがあげられる。
7. ・賈島 (浪仙・無本) 779―843年(中和4年)は中国唐代の詩人。字は浪仙、または閬仙。范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。この詩は賈島33歳、韓愈44歳の時 ・浮屠の用語解説 - 1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。 2 《(梵)buddha-stpaから》仏塔。 3 仏寺。 4 僧侶。 <韓愈Groop>渡桑乾(客舍并州已十霜)尋隱者不遇(松下問童子) 題李凝幽居(閒居少鄰並) 劍客(十年磨一劍) 三月晦日贈劉評事(三月正當三十日)
韓愈『送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)』
清塞,字南卿,居廬嶽為浮屠,客南徐亦久,後來少室、終南間。俗姓周,名賀。工為近體詩,格調清雅,與賈島、無可齊名。寶歷中,姚合守錢塘,因攜書投刺以丐品第,合延待甚異。見其《哭僧》詩雲:『凍須亡夜剃,遺偈病中書。』