詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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九、集-07B【字解集】 31.遣懷 32.寄飛卿 33.過鄂州 34.夏日山居 35.暮春即事 魚玄機
2018年1月30日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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九、集-07B【字解集】 31.遣懷 32.寄飛卿 33.過鄂州 34.夏日山居 35.暮春即事 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9993
【字解集】 33.過鄂州
過鄂州
1. (旅は進み、鄂州の町を通るけれど、抒情をのべたもの)
2. ・鄂州 今の湖北省武漢市、当時の武昌は長江を50kmくだったところに現在の鄂州市があり、当時の武昌である。地名がそれぞれ入れ替わっているのである。
この詩も何らかのことで、題材が与えられて空想して書いたものであろう。詩としては面白いのではあるが、自分の目で見たものというより、この詩を読んでくれる人のことを考えた描写のようで実感のないものである。長安の人々にはアイドル魚玄機の詩として好評ではなかったろうか。
柳拂蘭橈花滿枝,石城城下暮帆遲。
柳の枝は低くたれ、船頭の漕ぐかじをはらう、木々はみな花ざかり、枝もたわわに花が咲きほこっている。石城城下の船着き場の水上には、夕ぐれに泊り場へとゆく帆をかけた船が、ゆっくりと動いている。
3. ・蘭橈(らんとう) 橈は舟のかじ。
折牌峰上三閭墓,遠火山頭五馬旗。
名所奮跡の山々が屏風のようにはるかな峯々が連なり、嶺の上には、楚の三閭大夫であった屈原の墓があるし、遠く漁火がもれ、山のあたりには、ありし日の五頭立ての大守の旗が今もひるがえっている。
4. ・石城 鐘祥県をさす。ここに北周のときに石城郡治をおいた。荊州であるから、長江を100km以上遡ったところである。
5. ・折牌峯 地名ではなくて長江が蛇行して、名所奮跡の山々が屏風のような形であることを云うのであろう。
6. ・三閭 楚の屈原をいう。屈原は三間の大夫であった。
7. ・遠火山 未詳。遠く漁火がもれ、山のあたり。
8. ・五馬旗 太守の乗車には、新馬すなわち四頭だての馬のはかに、鯵(そえうま)を加え、五頭をつけたので、転じて五馬は太守の異称となった。
此の句など全く実感のない観光案内のようである。
白雪調高題舊寺,陽春歌在換新詞。
白雪の古曲の調がたかくひびいている古寺の東山寺であり、そこにはみごとな詩が書きつけてある、また陽春の民謡のうたごえがある、今ではそれが新しい換え歌に作りかえられて歌われている。
9. ・陽春、白雪ともに古曲名。とくに白雪は、五十絃の琴曲で、あるいは大帝が東女にひかせた曲という。
10. ・舊寺 宝通禅寺は武昌洪山南麓に位置し、湖北省の有名な古いお寺で武漢市仏教四大寺にもなっている。宝通禅寺は1600年余りの歴史があり世界的にもよく知られている。南北朝時代の劉宋時代(420-479年)に建てられた。もともとは東山寺と呼ばれていたが唐の貞観代(627-649年)に弥陀寺にと改め、南宋の端平代(1234-1236年)に崇寧万寿禅師と改称した。明の時代になると成化二十一年(1485年)に「宝通禅寺」となった。武漢に現存する最古の寺院である。
莫愁魂逐清江去,空使行人萬首詩。
あの有名な歌姫の莫愁をうんだところ。その莫愁の魂は今では、ゆく川の水のように去っている。旅人は、こうした附近の名勝古跡、それから思い出の歌姫と、あらゆるものに感慨をもよおすことが多く、みんなたくさんな詩をのこすことになるのである。
宝通禅寺 観光案内の紹介
宝通禅寺は昔から皇室の寺院で、武漢の寺院群の中では異色です。そのため宝通禅寺の建築様式は北京の故宮(故宮―紫禁城とも呼ばれ、明清朝時代の王宮である歴史的建造物です。)に非常に似ています。寺院には放生池、聖僧橋、接引殿、東西庁、大雄宝殿、祖師殿、禅堂などの建築物があり、全体は起伏した山のように並んでいます。寺院の後ろには洪山宝塔、法界宮が建てられています。この他にも東屋や奇岩怪石、幽径、華厳洞、白龍泉などがあり観光客を和ませています。
山門
宝通寺では先ず山門の装飾を見ることができます。門額には「宝通禅寺」と書かれています。その字体は雄壮で力強く、気勢に溢れています。これは中国仏教協会协会の主席であり著名な書家趙朴初先生が書かれたものです。
洪山宝塔
洪山宝塔は名のごとく小高い丘陵になっている緑豊かな洪山公園にあります。元々は臨済塔と称し、元の大徳十一年(1307年)に建て始められ延祐二年(1315年)に完成したとされています。
塔は八角七層の楼閣式塔です。塔身内部には石が積み上げられており外壁にはレンガが用いられています。塔の高さは約43mあります。志書によると各層毎に木の梁を縦横に組み合わせながら上へと積んであります。内部には螺旋階段があります。八角の隅行にそれぞれ風鈴が下がっています。精巧なデザインが施されており湖北省の屈指の塔です。
【字解集】 34.夏日山居
夏日山居
1. (旅の途中、避暑もかねて山居にはいり、道教の修行をする)
2. 愛衰えるにおよんで山に入り、西京の咸宜觀に隷して女道士となる」と見えている。山は都の長安に在ったとされる。詩の内容からすると卾州をすぎて、隠遁の本場の近くであるところからも、期間限定で隠れたのであろう。
宋・孫光憲『北夢瑣言』
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。
鹹通中,為李憶補闕執箕帚,
後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
魚元機は晩唐の女道士であり、字を蕙蘭という。とても才能思想の持ち主である、
咸通元年、李億補闕の妻妾として仕えることとなる。
しかし、その後、夫李億の愛衰へ他の女のもとにいった、魚玄機は山を下り、咸宜観に隷して女道士となる。
北夢瑣言 孫光憲 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-67-3-# 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1884
移得仙居此地來,花叢自遍不曾栽。
道女の住居を移したが、そこには一面に花さく場所である。しかしそれはわざわざここにきて植えたのではなく、自然にそうした土地なので、いっそううれしく趣きがある。
3. ・此地 ここ。おそらくそれは長安での移盾ではあるまい。女性に逢いを選べる時代ではなく、男に愛が衰えるとあとは一定のお金で済ますのである。旅の途中で捨てるとことはないはずである。
庭前亞樹張衣桁,坐上新泉泛酒杯。
庭の木の横枝は、自然に衣桁のかわりをつとめてくれるし、坐っている座席の近くに、小さな泉がわいている。それはまったく小さくてちょうど杯に酒をみたしたようである。
4. ・花叢 花のくさむら。
5. ・亞樹 亜字型にたった枝の出ている木。横に枝の出ている木。
6. ・桁 衣桁。
軒檻暗傳深竹徑,綺羅長擁亂書堆。
軒下のらんかんの奥は、深い竹の小みちに通じているし、部屋のなかの美しい衣裳の下は乱雑に積み重ねた書物が置きっぱなしにしたままなのだ。
7. ・軒檻 軒の下にある手すり。
8. ・探竹裡 こんもりと竹を植えた間の暗い小みち。
9. ・綺羅 美しい着物。
10. ・書堆 積みかさねた書物。
閑乘畫舫吟明月,信任輕風吹卻回。
ひまにまかせて、畫舫で舟遊びをする。明月の下では詩を吟じる。もうこれからは軽く吹いてくる風に、すべてを任せて、生活をしていくのである。
11. ・畫舫 湖や川のよどみに浮かべ、遊びの用に当てるきれいな舟。
12. ・卻回 あともどりする。へさきの向きをかえる。
13. ・信任 すっかりまかせる。
【字解集】 35.暮春即事
暮春即事
1. (過ぎ去ろうとする春を、作者の青春の日を、年を取ってきた芸妓のこと、その時心に浮かぶことを述べる)
・暮春 年を取ってきた芸妓のことをのべる。花街で、かこわれた女にとって年を取ることは堪えがたいこととして、多くの詩人に取り上げられている。李商隠は「無題」として、蝉その他、この類いの詩を二十首以上も読んでいる。
燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1
無題(幽人不倦賞) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-91
2. ・即事 その場の事柄、目の前のけしき・ようすを即興で詩にしたもの。
杜甫『即事』
聞道花門破,和親事卻非。
人憐漢公主,生得渡河歸。
秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。
群凶猶索戰,回首意多違。
即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410
杜甫『草堂即事』
荒村建子月,獨樹老夫家。雪裡江船渡,風前竹徑斜。
寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。蜀酒禁愁得,無錢何處賒?
深巷窮門少侶儔,阮郎唯有夢中留。
その女はろじの奥、あまりばっとしない小さな家に、誰も寄り付かないくらしをしている。パトロンの男は足もいつか遠のいて、泊ってくれるのは夢のなかでだけだという。
3. ・深巻 人通りの少ないちまた。
4. ・窮門 貧乏な家。
5. ・侶儔 とも。伴侶。なかま。ともがら。
6. ・阮郎 花街では桃源郷を花街とし、宮女に逢うことから、男性を呼ぶ場合阮肇の故事をもじってこう呼ぶ。『幽明録』にある民話では、漢の明帝の永平5年(62年)に剡県で、劉晨と阮肇が天台山で宮女に出会い、村へ帰ると七代後の子孫が住んでいた。この変形で「仙女の洞窟」という民話では、劉晨と阮肇が山で迷い込んだ洞窟で仙女が碁を打っていた。村へ帰ると4、500年が過ぎており、洞窟に戻ると扉が閉じていて、二人は頭を壁に打ちつけて死んでしまった。天はこれを哀れんで、二人を幸運の神と悪運の神に任命した。
魚玄機『聞李端公垂釣回寄贈』
無限荷香染暑衣,阮郎何處弄船歸。
自慚不及鴛鴦侶,猶得雙雙近釣磯。
聞李端公垂釣回寄贈 魚玄機 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-94-30-# 卷804_23 【聞李端公垂釣回寄贈】魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2017
香飄羅綺誰家席,風送歌聲何處樓。
思えば、どこかの邸の宴席では、美しい衣裳の女たちが、香のにおいをただよわせながら、舞っているであろう。どこかの家の二階では、そこも宴席で、歌姫がうたう歌聾が、春の夜風にのって外に聞こえてくる。
7. ・羅綺 薄物の美しい衣裳。
街近鼓鼙喧曉睡,庭閑鵲語亂春愁。
すぐそこの大通りを楽隊が通るのか、やかましい音に、朝寝の目をさまされてしまう。静かなの庭で、こんどはかさきざのさわぐ聾がする。かささぎが騒げば、よいことがあるという。春に体を持て余している女にとっては気持ちをみだすことである。
8. ・街 巷に対してこれはメインストリート。大街。表通り。
9. ・鼓鼙 鼓はつづみ。鼙は軍鼓。軍鼓は夜が明けるとたたき始める
10. ・曉睡 朝のねむり。夜寝つけなくて、明け方にうとうととすること。
11. ・鵠語 かさきざのなく声。朝、かさきざが騒がしく鳴くとその日よいことがある吉兆であるといわれる。
12. ・春愁 春のものさびしさ。「阮郎唯有夢中留」に対する思い。
安能追逐人間事,萬裏身同不系舟。
人間の行く末などというものは、どれほど思いめぐらしてもどうにかなるものではない。はてしもない川の流れに繋がれず浮んだまま流されてゆく、小舟のようなものである。
13. ・迫逐(ついちく) おっかける。