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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》1. 和蕃公主 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10588

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Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》1. 和蕃公主

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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中国史・女性論


Ⅳ 政略婚 (近隣国・異民族に嫁いだ公主)

 

-§-1 烏孫王に嫁いだ細君

1. 和蕃公主

2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君

3. 建国の英雄冒頓単于

4. 匈奴遊牧王国の出現

5. 漢の高祖と冒頓単于

6. その後の漢帝国と勾奴との関係

7. 武帝の匈奴経略と張騫の西域行

8. 烏孫族と月氏族

9. 対匈奴攻守同盟策

10. 望郷の歌―黄鵠の歌

 

 

-§-2 匈奴王に嫁いだ王昭君-(その実像と虚像)

(一) 王昭君の実像

1. 王昭君の降嫁

2. 匈奴の衰微

3. 匈奴の分裂と漢朝への帰順

 

(二) 王昭君の虚像

1. 王昭君悲話の誕生

2. 王昭君悲話の大衆化と背景

3. 〝青塚″伝説

 

 

-§-3 吐蕃王に嫁いだ文成公王

1. 吐蕃王国と吐谷渾

2. 唐と吐蕃の関係

3. 文成公主の降嫁

 

 

-§-4 蔡文姫、辺境異民族に劫去された良家の一子女の悲惨な物語

1. 胡騎に劫め去られた蔡文姫

2. 蔡文姫について

3. 後漢末の政治の乱れ

4. 黄巾の乱と軍閥の混戦

5. 悲憤の詩

6. 南匈奴部と後漢帝国との関係

7. 南匈奴部の反乱と分裂

8. 帰都の実現

9. 母子別離の情

 

 

 

 

 

-§-1 烏孫王に嫁いだ細君

 

1. 和蕃公主

政略上、異民族の君長に嫁いだ中国の公主。公主とは天子の娘または皇族の女子をさす。〈匈奴〉には、王昭君、細君・解憂公主がいて、〈突厥〉には烏孫・義成公主、〈吐蕃〉には文成公主、〈ウイグル〉には寧国公主・咸安公主・大和公主などがある。和蕃公主は異民族の間へ中国文化を浸透させるうえで大きな役割を果たした。

 

中国では古来宗室の女を公主と称しているが、ここにいう公主は、いわゆる「和蕃公主」のことである。中国の歴代王朝、といっても、だいたい漢代から唐代ごろまでの各王朝は、異民族を手なづけ懐柔する外交上の一手段として、一族諸王の娘か、あるいは後宮の女官の一人を、えらんで公主と称し、胡族の王たちに降嫁させているが、この公主を、とくに和蕃公主とよんだ。

 

中国のように、東西南北の四周において、異民族とたえず接触があるところでは、はるか古い時代から外交政策上の一手段として、その懐柔のために、婚姻策が用いられている。それが記録上で確認されるのは、漢帝国の高祖(劉邦)のとき、匈奴王の冒頓単于との間に和平の盟約が成立して、公主の降嫁が約束されたのが最初のようである。その後、唐代ごろまでに、このような、ならわしに従って降嫁された和蕃公主は、幾十人をかぞえたことであろうか。

こうして、異民族の王に嫁した和蕃公主たちの多くは、異域でその生涯を終えたが、かの女たちは、遠い異境にあって、故国への切々たる恋慕の念を、ひたすら詩・文に托してみずからを慰めていたという。

 

しかし彼女らに関して、いまに伝わる史料は、まことに蓼蓼たるものである。ここにとりあげる、漢代に西北方はるかの烏孫族の王に降嫁した細君、また後漢代に南匈奴王に嫁いだ王昭君との二人の女性、あるいは少し時代は下るが、唐の第二代太宗の六四一年に吐蕃(ティペット)王のソンツェン=ガンボ(漢字訳で棄宗弄讃)に嫁した宗主の女、文成公主などについては、たまたま、かの女らの降嫁の事情が、多少でも青史に書きとどめられたり、あるいはまた、かの女らが遺した詩文なりが伝えられる幸運にめぐまれたため、後世の人びとの同情を喚びおこすようになったのである。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
78
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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