詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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魚玄機関連詩 〔李郢〕唐才子傳 #2
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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魚玄機関連詩 〔李郢〕唐才子傳 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 10238
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。
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魚玄機 関連詩文 |
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●北夢瑣言 卷九 孫光憲
唐女道魚玄機字蕙蘭,甚有才思。鹹通中,為李憶補闕執箕帚,後愛衰,下山隸咸宜觀為女道士。
#2
有怨李公詩曰:“易求無價寶,難得有心郎。”
又雲:“蕙蘭銷歇歸春浦,楊柳東西伴客舟。”
自是縱懷,乃娼婦也,
竟以殺侍婢為京兆尹溫璋殺之。有集行於世。
●唐才子傳 卷八 辛文房
魚玄機,長安人,女道士也。
性聰慧,好讀書,尤工韻調,情致繁縟。
咸通中及笄,為李億補闕侍寵。
夫人妒,不能容,億遣隸咸宜觀披戴。
#2
有怨李詩云:“易求無價寶,難得有心郎。”
與李郢端公同巷,居止接近,詩筒往反。
嘗登崇真觀南樓,睹新進士題名,
賦詩曰:“云峰滿目放春情,歷歷銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句,舉頭空羨榜中名。”
#3
觀其志意激切,使為一男子,
必有用之才,作者頗賞憐之。
時京師諸宮宇女郎,皆清俊濟楚,
簪星曳月,惟以吟詠自遣,
玄機杰出,多見酬酢云。
有詩集一卷,今傳。
●唐才子傳 李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
初居余杭,出有山水之興,
人有琴書之娛,疏于馳競。
#2
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。
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《唐才子傳》李郢 |
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訳 注 解 説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10231 |
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唐才子傳 李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
初居余杭,出有山水之興,
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
人有琴書之娛,疏于馳競。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい。
#2
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。
郢,字を楚望【そぼう】,大中十年崔铏榜【さいけいぼう】の進士に及第。
初めに余杭【よこう】に居る,出でては山水之興有り,
人とし 琴書之娛【たのし】み有り,疏に馳競【ちきょう】なり。
#2
歷為【れきい】するは藩鎮【はんちん】の従事,后に侍御史を拜す。
郢 詩に工なり,理 密にして辭 閑たり,個個 珠玉なり。
其の清麗【せいれい】は極めて能く景を寫し懷を狀り,每【つね】に人をして竟日【きょうじつ】卷を釋す能わず。
清塞【せいさい】と賈島【かとう】最も相い善し。
《唐才子傳》李郢 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。
(下し文)
#2
歷為【れきい】するは藩鎮【はんちん】の従事,后に侍御史を拜す。
郢 詩に工なり,理 密にして辭 閑たり,個個 珠玉なり。
其の清麗【せいれい】は極めて能く景を寫し懷を狀り,每【つね】に人をして竟日【きょうじつ】卷を釋す能わず。
清塞【せいさい】と賈島【かとう】最も相い善し。
(現代語訳)
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。
(訳注)
#2
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
5. ・侍御史 秦から前漢以降の官職名。主に監察、弾劾の官である。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
與清塞、賈島最相善。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。
6. ・清塞 晚唐「苦吟詩人」李洞、清塞、曹松、馬戴、裴說、許棠、唐求、方干、雍陶、. 無可、喻鳧、劉得仁,與姚合、賈島などがあげられる。
7. ・賈島 (浪仙・無本) 779―843年(中和4年)は中国唐代の詩人。字は浪仙、または閬仙。范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。この詩は賈島33歳、韓愈44歳の時 ・浮屠の用語解説 - 1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。 2 《(梵)buddha-stpaから》仏塔。 3 仏寺。 4 僧侶。 <韓愈Groop>渡桑乾(客舍并州已十霜)尋隱者不遇(松下問童子) 題李凝幽居(閒居少鄰並) 劍客(十年磨一劍) 三月晦日贈劉評事(三月正當三十日)
韓愈『送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)』
清塞,字南卿,居廬嶽為浮屠,客南徐亦久,後來少室、終南間。俗姓周,名賀。工為近體詩,格調清雅,與賈島、無可齊名。寶歷中,姚合守錢塘,因攜書投刺以丐品第,合延待甚異。見其《哭僧》詩雲:『凍須亡夜剃,遺偈病中書。』
芸妓について
妓女(ぎじょ)は、中国における遊女もしくは芸妓のこと。娼妓、娼女という呼称もある。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つこともあった。娼婦を指すこともある。また、道教の寺観にも娼婦に近い巫女がいた。この時代において、女性が男性と対等にできる唯一の場所であった。
もともとは国家による強制的な徴発と戦時獲得奴隷が主な供給源だったと考えられるが、罪人の一族を籍没(身分を落とし、官の所有とする制度)する方法が加わった。また、民間では人身売買による供給が一般的であった。区分すると以下の通り。
(1.宮妓 2.家妓 3.営妓、4.官妓、5.民妓、6.道妓)
1 宮妓
皇帝の後宮に所属。籍没された女性や外国や諸侯、民間から献上された女性。后妃とは別に、後宮に置かれ、後宮での業務をし、技芸を学び、皇帝を楽しませた。道教坊で技芸を習得した女性もこれに含まれる。班婕妤・趙飛燕や上官婉児などのように后妃に取り立てられるものもいた。
2 家妓
高官や貴族、商人の家に置かれ、家長の妾姫となった。主人だけではなく、客を歓待する席でも技芸により、これをもてなす役目があった。官妓から、臣下に下賜されて家妓になるものもいた。始皇帝の母にあたる呂不韋の愛人や、西晋の石崇の愛妾である緑珠が有名。
3営妓
軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませた。蘇小小。唐代女流詩人の薛濤が有名。
4官妓
中央政府の道教観や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里、明代・南京の旧院は、その代表的な色町である。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。唐代はその活動は最大なものであった。
唐代女流詩人の魚玄機、明代の陳円円、李香君、柳如是が有名。
5民妓
民営の妓楼に所属した。売春だけを目的とした女性も含まれる。明代以降、官妓が衰退した後、大きな役割を果たすようになった。清代は上海に多くの民妓がいた。宋代の李師師が有名。
6.道妓
道教の祠に学問等していない娼婦に近いものが多かった。
妓館には、花や植物が植えられ、狆や鸚鵡が飼われ、香炉が置かれ、また、雲母屏風、山水画や骨董が飾られているところが多く、庭園風になっているものもあった。妓館は、互いに奇をてらい合い、提供される様々な香りが数里先まで漂ったと伝えられる。さらに、厨女(女料理人)が働いており、彼女らが料理する山海の珍味がすぐに作れるように準備されていた。旧院には商店もあり、客が妓女に贈るための高級品が置かれていた。また、茶を専門とする茶坊もあった。夜には、妓女による音楽が奏でられ、芝居が上演された。妓館の額もまた、名人の手になるものがいくつもあった。妓館には、他に下働きの下女と男衆が別にいた。
妓女の部屋もまた、趣味がよく風雅であり、文人の書斎風になっているものもあった。李白の作品、李商隠の作品で登場する部隊はここの琴である。
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