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中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究

詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。

八、2.82 薛濤 《和李書記席上見贈 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9445

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八、2.82 薛濤 《和李書記席上見贈 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9445

八、2.82 薛濤 《和李書記席上見贈 》 

 

2017118

の紀頌之"6"つの校注Blog

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

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八、2.82 薛濤 《和李書記席上見贈 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9445

(武擔寺の西の高台で詩を作る。)
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。

 

 

 

 

薛濤詩 

 

 

79. 上王尚書

碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。

手持云篆題新榜,十萬人家春日長。

 

80. 段相國游武擔寺病不能從題寄

消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。

儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。 

 

81.  贈段校書

公子翩翩校書,玉弓金勒紫綃裾。

玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。

 

82.  題武擔寺西臺

秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。

水暗餘霞外,山明落照中。

鳥行看漸遠,松韻聽難窮。

今日登臨意,多歡語笑同。

 

83.  和段相公登武擔寺西臺

開閣錦城中,餘閑訪梵宮。

九層連晝景,萬象寫秋空。

天半將身到,江長與海通。

提攜出塵土,曾是穆清風。


 

 

 薛濤 79 《上王尚書》

 

 

訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9424

 

 

 

 

段文昌(だん ぶんしょう、772 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。

字は墨卿。その本貫は西河(山西省汾陽市)であるが、荊州(湖北省江陵県)で育った。
起家の官は、校書郎。李吉甫の知るところとなり、また、李逢吉とも交遊があった。次第に官を累進して、翰林学士より祠部郎中に進んだ。
穆宗朝で、中書侍郎平章事、つまり宰相になった。
長慶元年(821年)に、剣南西川節度使となった。剣南(四川省)の幕府では善政を敷き、諸蛮を支配下に置いた。翌年、雲南が唐朝の領内に侵攻した際も、使者を派遣して慰撫するのみで退けた。
以後、諸官を歴任し、最期は、再度、西川節度使となって没した。没後に太尉を追贈された。文集30巻が存したとされるが、現在伝わっていない。


段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒太尉。子段成式,為太常少卿。
簡介

八年(773年)出生于江陵,父段,官江陵令。先祖為褒國公段志玄。
少有才名,貞元初年,劍南節度使韋皋薦為校書郎,累擢翰林學士、中書舍人。
元十五年(799年),入蜀初授校郎。
唐憲宗元和十二年(817年)李愬平定淮西(今河南省東南部)
元濟,韓愈寫碑文,碑成,立在汝南城北門外。由於碑文大力歌頌裴度功勳,甚少提到立功極大的李愬的事蹟,李愬的部下石孝忠憤怒,將碑文毀。天子時敕段文昌重撰。
唐穆宗即位,與令狐楚同拜中書侍郎、同中書門下平章事。
未逾年,
长庆元年(821年),辞相位,出為西川節度使。治蜀期間“素洽蜀人之情,至是以寬政為治,嚴靜有斷,蠻夷畏服”,长庆二年(822年),云南流民窜扰贵州,朝廷命段文昌理,他派特使前往判,不久流民退去。
长庆三年(823年),拜刑部尚
元年(825年),拜兵部尚
唐文宗大和元年(826年),拜御史大夫,次年拜淮南
度使。
大和四年(830年),改荊南
度使。
大和六年(832年)終官劍南西川節度使,生前與女詩人薛濤有往來,薛濤死後,段文昌為她作墓志銘[2]
太和九年(835年)卒於
南西川,太尉。集三十卷。《全唐》輯其詩四首。《舊唐書》、《太平廣記》有傳。有四子:段成伋、段成式、段添、段云。




段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。

段文昌 武擔寺の西臺に題す
段文昌 全唐詩 卷三百三十一/段文昌

 卷331_2題武擔寺西臺 五言律詩押東韻.
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。 鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。

 

姚向 開閣錦城中
和段相公登武擔寺西臺(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。九層連晝景,萬象寫秋空。 天半將身到,江長與海通。提攜出塵土,曾是穆清風。

 

李敬伯 臺上起涼風
和段相公登武擔寺西臺(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻. 臺上起涼風,乘閑覽
功。自隨台席貴,盡許羽觴同。 樓殿斜暉照,江山極望通。賦詩思共樂,俱得詠時豐。

 

溫會 和段相公登武擔寺西臺 桑臺煙樹中
和段相公登武擔寺西臺(唐•溫會) 五言律詩押東韻.
桑臺煙樹中,臺榭造雲空。眺聽逢秋興,篇辭變國風。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。始愧才情薄,躋攀繼韻窮。

 

五言律詩押東韻.
題武擔寺西臺 
(武擔寺の西の高台で詩を作る。)
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
水暗餘霞外,山明落照中。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日登臨意,多歡語笑同。

今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。
武擔寺の西臺を題す 
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。

 

『題武擔寺西臺』 現代語訳と訳註
(
本文) 
題武擔寺西臺

秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
今日登臨意,多歡語笑同。


(下し文)
(武擔寺の西臺を題す)
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。


(現代語訳)
(武擔寺の西の高台で詩を作る。)
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。

(訳注)
題武擔寺西臺 
1. (武擔寺の西の高台で詩を作る。)
2.
 ・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。


秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
3. ・玲瓏 1 玉などが透き通るように美しいさま。また、玉のように輝くさま。 2 玉などの触れ合って美しく鳴るさま。また、音声の澄んで響くさま。
韓愈
『題百葉桃花』
百葉雙桃晚更紅,窺窗映竹見玲瓏。 
應知侍史歸天上,故伴仙郎宿禁中。
(百葉桃花に題す
百葉の雙桃 晚 更に紅なり,窗を窺【うかが】い 竹に映じて玲瓏【れいろう】を見る。
應に知るべし 侍史の天上に歸るを,故【ことさ】らに 仙郎を伴って禁中に宿す。

(百葉桃花の風情を詩にする。)

百葉桃花は両株並び立ち、日暮れになると、花の色はひとしお赤くなる。窓を覗い、竹にその影を映す。せいそできれいなはなとしていかにも清らかなものである。

侍史の者たちは、私を送ってきて、やがて内廷に帰ってしまい、まことに寂しい所から、この桃花は郎官の職にあるこの私の相手をしてくれ、長閑に禁中の当直をすることが出来るのである。だからこのような花のしおらしい所が良いのだ。

 

水暗餘霞外,山明落照中。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。

4. ・落照中 太陽が傾くと山の中腹の火があたらなかった奥にまで日が射しこむ状況を云う。


鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
5. ・鳥行 日が傾くととりは巣に帰る。
6.
 ・松韻 松に風があたり音を立てる。


今日登臨意,多歡語笑同。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。
7. ・語笑同 段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和するすることを意味する。この時、薛濤も招待されていたのだ。
薛濤『段相國游武擔寺病不能從題寄』
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
(段相國 武擔寺に游ぶ、病みて從うに能わず題して寄す)

消瘦【しょうそう】翻【かえ】って令公を見えるに堪【たえ】んや,落花 那【いか】んともする無し東風を恨む。

儂【わ】が心には猶お青春在りと道【い】う,飛蓬【ひほう】を石鏡の中に看るを羞じる。

(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)

病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。

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プロフィール

HN:
漢文委員会 紀 頌之(きのあきゆき))
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1946/09/10
職業:
文学者
趣味:
中国文学
自己紹介:
漢詩から唐・宋詩まで基本となる詩人・詩集を各全詩訳注解説してゆく、その中で、これまで他ブログに、掲載した女性の詩を、手を加えて、整理して掲載してゆく。
これまで日本では紹介されていないもの、誤訳の多かった詩などを、時代の背景、出自、その他関連するものなどから正しい解釈を進めてゆく。
毎日、20000文字掲載しているので、また、大病後で、ブログコミュニケーションが直ちに取ることができないけれど、精一杯努力してお返事いたします。

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