詩の訳注解説をできるだけ物語のように解釈してゆく。中国詩を日本の詩に換えて解釈とする方法では誤訳されることになる。 そして、最終的には、時代背景、社会性、詩人のプロファイルなどを総合的に、それを日本人的な語訳解釈してゆく。 全体把握は同系のHPhttp://chubunkenkyu.byoubu.com/index.htmlを参照してもらいたい。
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Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》10. 望郷の歌―黄鵠の歌
(Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》10. 望郷の歌―黄鵠の歌 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10658
中国史・女性論 |
Ⅳ 政略婚 (近隣国・異民族に嫁いだ公主) Ⅳ-§-1 烏孫王に嫁いだ細君 1. 和蕃公主 2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君 3. 建国の英雄冒頓単于 4. 匈奴遊牧王国の出現 5. 漢の高祖と冒頓単于 6. その後の漢帝国と匈奴との関係 7. 武帝の匈奴経略と張騫の西域行 8. 烏孫族と月氏族 9. 対匈奴攻守同盟策 10. 望郷の歌―黄鵠の歌 |
Ⅳ-§-1 烏孫王に嫁いだ細君
§-1-10 望郷の歌-黄鵠の歌
さて、話を江都公主細君の身の上にもどそう。烏孫王に嫁した細君は、烏孫国章鵠の歌では、右夫人(第二夫人)として鄭重に遇せられた。とはいうものの、烏孫国 招王 (昆莫) の猟驕靡は、齢すでに七十余歳の老年であり、そのうえ漢語を解せず、また匈奴国から嫁した女性が左夫人(第一夫人)となって一段上位にいたので、王ともめったに会えないありさまであった。『前漢書』巻九六下「烏孫国」の条には、このような細君の悲愁なさまを叙したのち、かの女自作の詩として、つぎにかかげる八言六句の詩を伝えている。
悲愁歌 烏孫公主 劉細君
吾家嫁我兮天一方,遠託異國兮烏孫王。
穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。
居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。
(悲愁歌)
吾が家 我を嫁がす 天の一方,遠く異國に託す 烏孫王。
穹盧を 室と爲して氈を牆と爲し,肉を以て食と爲して 酪を漿と爲す。
居常土(くに)を思ひ 心内に傷(いた)め,願はくは黄鵠と爲りて 故鄕に歸らん。
わたしの家(漢王室)は、わたしを(西域の国に)嫁がそうとしている、(そこは)天の彼方の地の果てだ。遠く異民族の国である烏孫の王の許へ嫁ぎゆかせる。
この地ではテントを住まいとして、毛氈を境の壁として。肉を(常)食として、乳製飲料を飲み物としている。
ふだんからふるさとを思いしのんでいるから、心のなかではいつもいたましい思いがしてい。だけど、 願うことなら、あの仙人を乗せ、一挙に千里を飛ぶという黄鵠となり、故郷に帰りたいものである。
§-1-10-2 烏孫公主 劉細君 《悲愁歌》訳注解説
1.劉細君烏孫公主:烏孫公主とは、漢の武帝の時、西域の伊犂地方に住んでいたトルコ系の民族の国家・烏孫国に嫁した漢の皇室の女性で、名は(劉)細君という。江都王・劉建の 娘で、武帝の従孫になる。塞外の民族や部族、諸侯との和親を図るための政略結婚の当事者。なお、王昭君が匈奴に嫁いだのは、この劉細君の婚姻の七十余年後になる。ともに漢王朝の対西域政策と軍略を物語るものである。 ・公主:天子の娘。皇女。現代語で、『白雪姫』を“白雪公主”というようなもの。蛇足になるが、『シンデレラ姫』は“灰姑娘”となり、原題に基づいたものになっている。
詩の末句に「願はくは黄鵠と爲りて 故鄕に歸らん。」とあるところから、この詩を「黄鵠歌」というが、日本人の感覚。あるいは、詩の内容からいって、むしろ「望郷の歌」という方がふさわしいと思う。
吾家嫁我兮天一方、遠託異國兮烏孫王。
わたしの家(漢王室)は、わたしを(西域の国に)嫁がそうとしている、(そこは)天の彼方の地の果てだ。遠く異民族の国である烏孫の王の許へ嫁ぎゆかせる。
2. 吾家:わたしの家は。漢家は。劉家は。
・嫁我:わたしをとつがす。 *この句には「吾」「我」と似たものが続く。前者は基本的に主格(わたしは、…)、後者は主として目的格(わたしに…。わたしを…)の場で使われる。蛇足だが、現代語では“我”のみになる。また「家」「嫁」もその義は日本語の訓読みに同じだが、「単語家族」の考え方に立つと、根では繋がっているとも考えられる。
・兮:上古の詩によく見られる、リズムをとり、語調を整える辞(ことば)。
3. 天一方:空の片一方。彼の地の果て。
前漢・蘇子卿(蘇武)『詩四首 其四』
燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。芳馨良夜發,隨風聞我堂。
徴夫懷遠路,遊子戀故鄕。寒冬十二月,晨起踐嚴霜。
俯觀江漢流,仰視浮雲翔。良友遠別離,各在天一方。
山海隔中州,相去悠且長。嘉會難再遇,歡樂殊未央。
願君崇令德,隨時愛景光。」とあり、
『古詩十九首之一・行行重行行』
行行重行行,與君生別離。相去萬餘里,各在天一涯。」とある。
・遠託:遠くとつぐ。
・託:憑る。寄せる。まかせる。頼る。
・異國:異民族の国。ここでは烏孫国になる。
4. 烏孫王:烏孫の王。劉細君が烏孫王に嫁いだのは、紀元前105年(武帝の元封六年)のことになる。
穹盧爲室兮氈爲牆、以肉爲食兮酪爲漿。
この地ではテントを住まいとして、毛氈を境の壁として。肉を(常)食として、乳製飲料を飲み物としている。
5.「穹盧爲室」は、「穹盧を室と爲す」と読むべきところで、本来「以穹盧爲室」とすべきところを語調の関係で「以」を取った。そのため、聯として繋がっている下聯の「以肉爲食兮酪爲漿」では同様の文型「以肉爲食」で、語調の関係上「以」が附けられている。
・穹廬:〔きゅうろ;qiong2lu2〕弓なりに張った円いドーム状のテント。蒙古包(パオ)。遊牧民の住居。匈奴の住居。斛律金によるとも北朝齊民歌であるともする『敕勒歌』「敕勒川,陰山下。天似穹廬,籠蓋四野。天蒼蒼,野茫茫,風吹草低見牛羊。」に詠われている。西北異民族のテント式の住居。豪放詞でも異民族の生活の象徴として、屡々使われる。 ・爲:…とする。…となす。 ・室:いえ。住まい。へや。 ・氈:〔せん;zhan1〕毛(け)むしろ。もうせん。西北異民族の生活を象徴する物。 ・牆:〔しゃう;qiang2〕かき。塀。境。
・以肉爲食:(獣)肉を(常)食とする。 ・〔以A爲B〕 Aを(もって)Bとする。Aを(もって)Bとなす。 ・酪爲漿:乳飲料を。 ・酪:〔らく;lao4〕ちちざけ。ミルク。乳製飲料。 ・漿:〔しゃう;jiang1〕どろりとした飲み物。濃いめの液体。こんず。汁。
居常土思兮心内傷、願爲黄鵠兮歸故鄕。
ふだんからふるさとを思いしのんでいるから、心のなかではいつもいたましい思いがしてい。だけど、 願うことなら、あの仙人を乗せ、一挙に千里を飛ぶという黄鵠となり、故郷に帰りたいものである。
6. ・居常:ふだん。平生。日常。 ・土思:ふるさとを思いしのぶ。
・心内傷:心のなかでいたましい思いをする。
7. ・願爲:願わくは…となり。白居易の『長恨歌』の最後部分に「在天願作比翼鳥,在地願爲連理枝。」とある。
8. ・黄鵠:黄色みを帯びた白鳥。渡り鳥で、秋には南方に帰っていく。 仙人が乗り、一挙に千里を飛ぶという黄色を帯びた白鳥のこと。中国で死人を生き返らせるという想像上の鳥。
・歸:故郷など本来居るべき所に戻っていくこと。かえる。
・故鄕:ふるさと。ここでは、中華の地を指す。
さて烏孫王猟騒廓は、やがて年老いたとの理由で、細君をかれの孫で、そのころ卑随の官にあった軍須靡に尚そうとしたが、細君は聴かなかった。宗主の女として儒教的教養をうけて育った細君にとっては、義理ある仲とはいえ、孫に再嫁するのは、たえがたい陵辱感をうけたことであろう。
やむなく老主としては、上書して武帝にかの女の説得を請うたため、武帝は烏孫の国俗に従って再嫁するよう、また宿敵の句奴をほろぼすには、是非とも烏孫の漠朝への協力が必要であることをあげて説得し、江都公主細君を軍陣の軍須磨に再嫁させたのであった。やがて老王の猟騎歴が死ぬと、軍須磨が代わって王位につき、細君との間に一女の少夫をもうけたといわれる。
こうして、かの女の生涯は、薄幸に終ったものの、その降嫁は決して無意味ではなかった。かの女をかすがいとして、漠朝と烏孫国との攻守同盟は強固になり、旬奴はしばしば漠軍から大打撃をこうむり、やがて南・北句奴に分裂して、南旬奴はついに漠朝に臣服することになった。いうなれば、漠朝の句奴王国に対する勝利は、細君の烏孫王への降嫁という犠牲のうえに成ったものといえよう。
軍須靡に再嫁した後の細君には、少夫と呼ぶ一女があったことは前述したとおりであるが、その他についてはわからない。軍須靡は細君が死ぬと、あらためて楚王の戊の孫女解憂が公主として降嫁されたが、解憂公主も、軍須びの死後は、嗣立した従弟の翁帰歴に再降嫁して、三男二女の母となったという。これは漠朝では昭帝から宣帝の初期にあたるが、こうして漢朝と烏孫国との婚姻関係は、細君以後もつづけられたのであった。
Ⅳ 政略婚《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》9.対匈奴攻守同盟策
Ⅳ 政略婚《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》9.対匈奴攻守同盟策 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10651
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Ⅳ 政略婚 (近隣国・異民族に嫁いだ公主) Ⅳ-§-1 烏孫王に嫁いだ細君 1. 和蕃公主 2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君 3. 建国の英雄冒頓単于 4. 匈奴遊牧王国の出現 5. 漢の高祖と冒頓単于 6. その後の漢帝国と匈奴との関係 7. 武帝の匈奴経略と張騫の西域行 8. 烏孫族と月氏族 9. 対匈奴攻守同盟策 10. 望郷の歌―黄鵠の歌 |
Ⅳ-§-1 烏孫王に嫁いだ細君
§-1-9 対匈奴攻守同盟策
月氏族がソグディアナに移牧すると、その故地のイリ地方には烏孫族が移ったが、烏孫遊牧王国は、シルSyr河上流のナリンNaryコ河流域に比定される赤谷城を根拠地に、西方はチユchu河流域からイリ河上流域およびユルドゥスYu-dusをふくんで、東方はウルムチに接する広大な範囲におよんでいたという。その後、烏孫国はシル河上流のナリン河から大ユルドゥス河谷にわたる天山山中にひろがる草原に遊牧するテエルク部族をたばねる盟主であるとしている。(『古代天山の歴史地理学的研究』)
ちなみに、近年天山山脈中から、烏孫族のものとみられる広大なマウンドをもつ墳墓が発見されたと伝えられるが、いずれにしても烏孫遊牧王国は、当時大匈奴王国と東西に隣接していたようである。さきにいった漢の武帝が、新たに領有することになった甘粛省西部の河西地区を、いかに確保すべきかに心をくだいたのは、まさしくこのころであった。張騫が第一次の旅行中、匈奴に抑留されている間に聞知しえた知識は、匈奴と烏孫との関係がしだいに冷却化しつつあるということであろう。そこで張鴛は、この情報にもとづいて武帝に、烏孫と漢朝との対匈奴攻守同盟策を締結するよう献議したところ納れられて、かれは正使として従者三百人、一万頭に達する牛・羊と数千の金・帛とを用意して、元狩二(前121年に、烏孫国におもむくことになった。張騫の第二次遠征である。
こうして漢軍の匈奴攻撃作戦は、これまでの正北面作戦から河西・西域にわたる西北面作戦 脚へと転換したのであった。
さて、烏孫の王延におもむいた張騫は、国王(昆莫)の猟驕靡に多額の財物を贈り、かつ漢室の公主を降嫁さすことも約して、烏孫族を河西地方へ誘致移動させて、漢朝との対匈奴攻守 同盟を結ぶよう説得したが、昆莫の猟驕靡は、部族内の不安定な勢力関係と、匈奴の勢威とをはばかって、河西地区へ移住することにも、また漢帝国と同盟を結ぶことにもふみ切ることができなかった。
ちなみに、烏孫国内の不安定な勢力関係とは、『前漢書』の「西城伝」に
初め昆莫十余子あり。中子の大禄は撞くて将たるの才にも長じ、部衆万金騎を将いて別居していた。大禄の兄の太子が若死したが、死に臨んで父の昆莫に「必ずわが子の軍須靡を太子とするよう」懇請し、昆莫もその請を納れたので、大禄は怒り、弟たちと謀って卑陳(太子) の軍須歴を攻めようとした。そこで昆莫は孫の軍須靡に万余騎を分与して別居させ、自らも万余騎をもって備えを固めたため、烏孫は三分の形勢となったが、大権はやはり昆莫の猟驕靡の手中にあった。
とあるのをさすものと思うが、これによると、兵三万余騎をもつ烏孫王の実力もほぼ推知でき、かれが、おいそれと漢がわの要請を納れなかったばかりか、漢使の張騫に対しても、尊大な態度をとったのは当然といえよう。
なお張騫は、烏孫国に滞在中、副使を大宛をはじめ、康居(カンテュ)、大月氏、安息(パルチア)などの西域諸国に派遣している。『前漢書』巻九六上、西域伝上、「安息国」の条に前漢武帝のとき、使を安息国につかわしたところ厚く歓待され、安息国王もまた、使節を漢朝に派遣して、大鳥(舵烏?)の卵や犁骬(シリア?)の眩人(マジシャン)を献上した。
とあるのは、このときの副使派遣と答礼俊の釆献をいったものと思われる。
漢朝と烏孫国との対句奴攻守同盟は、張賽の遣使のときには成功しなかったが、張騫が元鼎二年に帰国するとき、同行して中国を訪れた烏孫王の使節が、中国の人口の多きや物資の豊富さなどを見聞したり、その後もつづいて使節が来朝したことによって、烏孫王も漢朝の勢威の強大さをあらためて知るにおよんで、ついに武帝に対して公主の降嫁を請い、ここに両者は対匈奴攻守同盟を結ぶことになった。
さきにいったように、このとき和蕃公主として白羽の矢をたてられたのが、武帝の兄にあたる江都王劉建の女細君である。かの女の降嫁は元封年中(前110〜105)のことであった。
Ⅳ 政略婚 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》8. 烏孫族と月氏族
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Ⅳ-§-1-8. 烏孫族と月氏族
烏孫族については、現在までのところ、その民族的帰属も、その遊牧圏もあまり確かではない。民族としてはトルコ族説が有力であり、トルコ族系のキルギスKirgiz 部族に比定する 。あるいは一説にはカザック族ともいわれる。烏孫族は、さきにいったように前漠のはじめごろには、甘粛省の河西地方から敦塩地方に遊牧していた部族であった。
『漢書』巻九四、「匈奴伝」 によると、烏孫王は孝文帝(前180〜157)のころ月氏族のため、その王の難兜歴が殺されて国土を失ってしまったというが、その月氏族は、かつては匈奴奴の西に隣りした強大な遊牧国家で、旬奴の冒頓単子も、若いときこの国に人質となっていたことがある。
月氏族はそのころ、いまの甘粛省西部から敦凰地方および天山山眠東端の広い範囲にかけて遊牧していたと思われるが、やがて前一七七年ごろ冒頓単于の遣わした右賢王の軍に大打撃を うナ、一たびは分散のうきめにあい、その余類は天山山脈のかなたイリ河流域にのがれて遊牧したのであった。
こうして強力な月氏族を撃破・駆逐して、東西交通路の要衝を占める河西・敦煙地方とタリ 招ム盆地のオアシス諸国とを服属させた旬奴は、二代目の老上単干(前一七四1一六一) のとき、月氏族への対策上から、さきに月氏族によって首長を殺され国土を失った烏孫族を授け、烏孫の昆莫猟騒磨 - 昆美の二字は 『漢書』、「西域伝」の顔師古注には、王号といい、白鳥博士によると、大君の意にあたるKengbagの書写であると-1-と結んで、またも月氏族を攻め、その王を殺したため、月氏族はイリ地方から三たび移牧して、中央アジアのフェルガーナ盆地をへてソグディアナに侵入し、ここで遊牧生活を営みつつ、旧パクトリア王国の後を領していたスキタイ系の大夏族を臣従させて、大月氏と改名してこの地方に遊牧国家を再建したといわれる。
それは前二二三年から前二一九年ごろに比定されあたかも張騫の第一次遠征中の出来事である。
Ⅳ 政略婚《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》7. 武帝の匈奴経略と張騫の西域行
2018年5月19日 |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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(Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》3. 建国の英雄冒頓単于 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10609
中国史・女性論
Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》2. 最涯の地烏孫に嫁いだ細君
2018年5月13日 |
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